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『北の国から』40周年、復元された「黒板五郎の履歴書」

碓井広義メディア文化評論家
「五郎の石の家」(写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

『北の国から』放送開始40周年

40年前の1981年10月9日(金)、ドラマ『北の国から』(フジテレビ系)の第1話が放送されました。

この日、視聴者は初めて黒板五郎(田中邦衛)と向き合いましたが、そもそもどんな人物だったのか。

倉本聰さんが脚本を書く時、最も大切にしている作業が、登場人物の詳細な「履歴書」作りです。

いつ、どこで生まれ、どのように育ち、誰と出会い、何をしてきたのか。まるで実在の人物を扱うように作成していくのです。

五郎についても企画段階で書かれていましたが、今回、倉本さん本人による加筆修正を経て、「履歴書」が復元されました。

昭和56年(1981)に私たちと出会うまでの「見えざる軌跡」です。

黒板五郎の「履歴書」

昭和10年(1935)1月5日 

 北海道上川郡下富良野町字麓郷に農業黒板市蔵、うめ五男として生まれる。

昭和16年(1941)4月

 同所麓郷小学校入学。

昭和17年(1942)10月

 父市蔵死亡。

昭和22年(1947)4月

 麓郷中学校入学。教師田中文雄より剣道の手ほどきを受ける。

昭和23年(1948)7月

 同校後輩吉本咲子に初恋。兄直治に呼び出され、殴られてあきらめる。

同年9月

 剣道初段。交番の看板を盗んで捕まり、譴責(けんせき)処分。

昭和25年(1950)4月

 富良野工業高校入学、剣道部に籍を置く。

昭和26年(1951)10月

 次兄、三兄を炭鉱事故で同時に失う。同じ頃、隣の女子高校1年久山百合子と恋愛、童貞喪失、同時に一発で妊娠さす(友人カンパにて処分し、表沙汰にならず)。

昭和27年(1952)11月

 百合子友人前野タカコと恋愛、又一発で妊娠(同上処分)。前後して元同級生菅原絹子も妊娠させ、「一発のゴロ」の異名をとる。

昭和28年(1953)4月

 同校卒業と同時に集団就職で上京、東京田端の中村製鋼所に旋盤工見習いとして入る。自動車免許とる。

同年1月

 母うめ死去。

昭和29年(1954)12月

 つとめ先事務員岡田みどりと不祥事を起こし、馘(くび)になる。

昭和30年(1955)3月

 東京上板橋あけぼの自動車修理工場に見習いとして入社。

同年10月

 正社員に採用。

昭和32年(1957)5月

 中央区築地高津自動車サルベージへ転職。

昭和43年(1968)2月

 同社近くの栗山理髪店店員宮前令子を知る。

同年6月

 結婚。

昭和44年(1969)1月

 長男純誕生。

昭和45年(1970)5月

 交通事故起こし、会社を馘になる。

同年6月

 青山三丁目、坂田商会ガソリンスタンドに入社。

同年12月

 長女蛍出生。

昭和51年(1976)4月

 坂田商会淀橋支店に転配。この頃より妻令子、新宿の美容院「ニュー・ワカバ」につとめ出す。

昭和53年(1978)12月

 美容院「REI」を開設。令子に男が出来たことを知る。

昭和54年(1979)5月

 令子、突如逐電。呆然。

昭和55年(1980)4月

 北海道へ帰る。

黒板五郎は決してヒーローではないし、聖人君子でもありません。弱さも狡(ずる)さも持つ普通の男です。

しかし北海道での生活を通じて、自分と向き合い格闘していきました。時には自分自身に勝ちますが、敗けることも多かった五郎。

この「愛すべきダメ男」の真摯で正直な生き方が、見る側の心を揺さぶりました。

倉本さんが造形した人物像を、田中邦衛さんという唯一無二の俳優が見事に具現化したのです。

『北の国から』の新作

81年10月に始まり、82年3月末に放送が終了した後、スペシャル形式で2002年まで続いた『北の国から』。

実は今年の夏、倉本さんは、『北の国から2021』にあたる新作シナリオを書き上げていました。

あれから、五郎はどうしていたのか。そして今、五郎は何を思っているのか。

読ませていただくと、五郎の、いわば「人生の到達点」の情景が描かれていました。

今年3月に旅立った田中邦衛さんの「不在」を承知の上で、それでも「五郎の物語」に挑んだ倉本さんに敬意を表したいと思います。

そして、いつかこのシナリオが映像化され、私たちが見られる日が来ることを願うばかりです。

メディア文化評論家

1955年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。博士(政策研究)。1981年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。代表作に「人間ドキュメント 夏目雅子物語」など。慶大助教授などを経て、2020年まで上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。著書『脚本力』(幻冬舎)、『少しぐらいの嘘は大目に―向田邦子の言葉』(新潮社)ほか。毎日新聞、日刊ゲンダイ等で放送時評やコラム、週刊新潮で書評の連載中。文化庁「芸術祭賞」審査委員(22年度)、「芸術選奨」選考審査員(18年度~20年度)。

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