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【解読『おちょやん』】道頓堀ロミジュリの恋の行方は 東野絢香が「みつえ」を熱演

碓井広義メディア文化評論家
道頓堀のジュリエット!?(提供:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

NHK朝の連続テレビ小説『おちょやん』の第11週(2月15日~19日)は、舞台と現実、2つの「家庭劇」で笑わせて泣かせる劇的展開でした。

道頓堀の『ロミオとジュリエット』

昭和3年(1928)の大阪・道頓堀。芝居茶屋という商売も難しい時代で、「岡安」のライバルだった「福富」も、すでに楽器店になっています。

「岡安」は苦しいながらも頑張っていますが、女将のシズ(篠原涼子)と夫の宗助(名倉潤)は、一人娘のみつえ(東野絢香)を嫁に出すことを考えていました。

そこに老舗料亭の跡取りとの縁談が舞い込みます。しかし、みつえは、いい返事をしません。「福富」の息子・福助(井上拓哉)が好きだったのです。

とはいえ、みつえと福助の結婚は、シズと福助の母であるキク(いしのようこ)の関係を考えると無理筋でした。

2人を何とかしてあげたい千代(杉咲花)。ふと思いついたのが「芝居」です。

チンピラにからまれたみつえを、福助が救ったことにして、「頼りになる男」「みつえにふさわしい青年」としてシズに認めさせようというのです。台本は一平(成田凌)に書いてもらいました。

ところが、シズに仕掛けがばれて大失敗。シズは「今すぐ、別れなはれ。あんたのためだす」と、しずえに迫ります。

「岡安」の女将になることも、福助との結婚もできないと知ったしずえが、思わず大声を上げました。

「これ以上、うちの夢、取り上げんといて!」

さらに、キクが大口のお客を「岡安」に回してくれたことを知ったシズは、「福富」に乗り込んでいきました。

シズから「施(ほどこ)しなんてお断り」だと言われたキクは怒り、「あんたも、この娘も目障りや」と言い返します。さらに、みつえに向って・・・

「人には、ふさわしい居場所がある。あんたは、うちにふさわしくない!」

落胆するみつえ。シズとキクの対立は、どこから来たものなのか。それを、みつえと千代に教えてくれたのは、みつえの祖母でシズの母であるハナ(宮田圭子)でした。

若い頃、「福富」のお茶子だったハナは、暖簾分けしてもらって「岡安」を開きました。その時、何人かの「ごひいき客」を引き抜いてしまったのです。

以来、「福富」の女将となったキクの母と、「岡安」の女将であるハナは、いわゆる犬猿の仲に。そんな母親同士を見て育ったのがシズとキクでした。

そして、打ち明け話をしたハナは、最後に言います。

「おばあちゃんは、あんたの味方や。幸せになり。ええな」

宮田さんの滋味あふれる笑顔が忘れられない、いい場面になりました。

涙と笑いの『マットン婆さん』

一方、千代が所属する「鶴亀家庭劇」では、次の公演のトリで、一平が書いた『母に捧げる記』を上演することになっていました。

そこに千之助(星田英利)が割って入ります。『母に捧げる記』の台本を、大幅に手直ししたものでやると言い出したのです。タイトルも『マットン婆さん』に変更。

この『マットン婆さん』ですが、現実の「松竹新喜劇」でも評判をとった喜劇『ハットン婆さん』を下敷きにしたものです。松竹では、あの藤山寛美も出演した、当たり芝居でした。

『マットン婆さん』の主人公は、奉公先の片桐家で長年にわたって女中をしてきた、お松(演じるのは千之助)。

主(あるじ)である片桐儀平の妻は早く亡くなり、残された3人の子供を育てたのは「マットン」と呼ばれる、お松でした。「お松どん」が「おまつどん」、そして「マットン」に。

30年後、詐欺に遭って、お金に困った長男・正一郎(須我廼家天晴)と長女・満里子(千代)。

父の儀平に頼みますが断られ、実の子には金を出さず、他人のマットンに給金を払い続けるのはおかしいと抗議します。

すると、末っ子の三郎(一平)が、「これを使って」と大金を差し出します。それはマットンがこつこつ貯めてきたものでした。

そこにマットンが現れるのですが、千之助の芝居は、台本から逸脱したものになっていきます。見ている側もスリリングで目が離せません。

マットンは、三郎に自分の金であることは「ないしょに」とささやきながら、つい自分でバラしてしまう。それなのに、「口が軽い!」と三郎を注意して、客を笑わせます。

そして、一同に自分の気持ちを明かすマットン・・・

「これまで、たんと無理言われてきたけど、頼りにしてくれてるんやと嬉しうて。これからも遠慮のう無理言うて、困らせておくれなはれ」

続けて、

「どう逆立ちしたかて、ほんまのお母ちゃんにはなれしまへんけど、ほんまのお母ちゃんの代りに無理聞いてあげるんが、マットンの生きる喜びです」

泣きながら語るマットン。見る側も、もらい泣きです。

思わず「マットン」と呼びかける正一郎に、三郎が・・・

「マットン、違いますやろ」

満里子も「せやな」と応じ、マットンに呼びかけます。

「おおきに、お母さん!」

嬉しいやら、照れくさいやらで、体をゆすって泣くマットン。

「マットン」ではなく、「マットンを演じる千之助」そのものと化した、星田さんに拍手です。

この場面で、一平は、自分が『母に捧げる記』で描こうとしていた「母の無償の愛」を、千之助が見事に芝居にしていることに気づきます。

同時に、千之助が自分の「親代り」になろうとしてくれていたことも。

こういう流れ、八津弘幸さんの脚本が上手い。

因縁の「神社」での奇跡

みつえと福助は「駆け落ち」を決行します。皆は大騒ぎで探しますが、見つかりません。

駆け出した千代が向かったのは神社。2人がいました。

この神社、見たことがある。そう。若い頃のシズの悲恋の舞台。歌舞伎役者の早川延四郎(片岡松十郎)との因縁の場所でした。

みつえに向って千代が言います。

「(シズに)もっと無理言うたったら、ええねん。何べんでも無理言い続けたら、必ず許してくれる」

そんなことがなぜ分かるのかと言い張るみつえに・・・

「なんで分かるか。(シズは)みつえのお母ちゃんさかいな。駆け落ちしたら、会えなくなる。帰る場所が無うなる」

みつえの中に、千代の言葉が浸透していきます。

そこにシズが来ました。神頼みしようと思ったのです。

みつえが訴えます。

「お母ちゃん、堪忍。うちが間違うてた。やぱり、お母ちゃん、お父ちゃん、おばあちゃん、好きや。離れたない。もう二度と駆け落ちなんか、せえへん。うちは一生、お母ちゃんの娘や」

さらに・・・

「せやさかい、無理言います。福助と一緒にならしておくれやす! 何べんでも言います。困らせます。堪忍。我がまま娘やねん。福助のこと、お母ちゃんたちと同じくらい好きなん。家族になりたいんだす!」

東野さんの見せ場、熱演です。

そして、みつえは土下座! もちろん福助も。

それを見たシズは2人の仲を許すことに決め、キクに頭を下げに行きます。

2つの「家庭劇」の先に

昭和4年(1929)の春、みつえと福助の祝言が行われました。

その席で、ハナがキクの盃にお酒を注ぎます。

「あんたのお母さんの代りに」

それを飲み干し、今度はハナに盃を差し出すキク。

「お母さんの代りだす」

いや、泣けますね。さり気ないやり取りでありながら、これまた名場面の一つとなりました。

みつえと福助という「小さな家族」の誕生であり、「岡安」と「福富」が大きな傘の下に集まった「大きな家族」の出現でもあります。

道頓堀のロミオとジュリエットによる「駆け落ち騒動」という、街場で演じられた「家庭劇」。そして、『マットン婆さん』という名の舞台で演じられた「家庭劇」。

どちらも思いきり笑わせて、存分に泣かせてくれました。この2つを同時進行で見せながら、やがて姿を現すはずの、千代と一平による新たな「家庭」を予感させる第11週でした。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

メディア文化評論家

1955年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。博士(政策研究)。1981年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。代表作に「人間ドキュメント 夏目雅子物語」など。慶大助教授などを経て、2020年まで上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。著書『脚本力』(幻冬舎)、『少しぐらいの嘘は大目に―向田邦子の言葉』(新潮社)ほか。毎日新聞、日刊ゲンダイ等で放送時評やコラム、週刊新潮で書評の連載中。文化庁「芸術祭賞」審査委員(22年度)、「芸術選奨」選考審査員(18年度~20年度)。

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