完結から1週間、「名台詞」で振り返る『やすらぎの刻~道』

番組サイトより

3月27日に幕を閉じた、帯ドラマ劇場『やすらぎの刻~道』(テレビ朝日系)。

昨年4月から1年間、平日に毎日放送されてきた、一種の大河ドラマでした。しかも、2017年の『やすらぎの郷』の続編である「やすらぎ」パートと、昭和から令和までを貫く物語「道」パートの二重構造という意欲作でもありました。

番組ホームページによれば、総出演者は402名。エキストラ総数が1235名。発注された弁当は約1万4000個。また、倉本聰さんが書いてきた脚本も、原稿総枚数が5500枚という膨大なものだったそうです。

完結から一週間が過ぎて、あらためて思い返してみると、このドラマには、戦争、老い、そして死など、他の連続ドラマではあまり描かれないテーマがいくつも投入されていました。まさに「倉本ドラマ」ならではでしょう。

倉本さんが生まれたのは、今から85年前の1935年(昭和10年)。翌年二・二六事件が起こり、その一年後には日中戦争が始まるという時代です。

敗戦時に10歳だった倉本さん。戦地には行っていません。しかし、「銃後」の「少国民」として見聞きしたことや、「学童疎開」などの体験の全てが、倉本さんの中で脈々と生き続けています。それらは登場人物たちが語る言葉、つまりドラマの中の台詞(せりふ)を通して、見る側へと届けられました。

たとえば、「道」パートの重要人物の一人だった、根来鉄兵(平山浩行)はこんなことを言っています。

「殺したら祈れ。謝罪でも感謝でも良い、神様に祈れ。けものを殺す時、わしゃいつもそうしとる。喰わしていただくんだからわしゃそうしとる。命をいただくンだからわしゃそうしとる。戦争は殺しても相手を喰わん。喰わんのに殺す。そんなことわしゃできん! だからわしゃ戦争ちゅうもンを――好かん!」

また根来公一(佐藤祐基)も、憤っていました。朴訥な青年が、言葉を探しながら語っていく場面の長台詞です。

「戦争はいやだな。戦争はけんかじゃ。それも、何の恨みもない、――逢ったこともない相手とのな。こういうことを考えたことがあるか。東京に爆弾をまいて行った敵兵。あいつらも自分が殺した日本人のことを、誰一人知らんで殺しよったンじゃ。中には、何の恨みもないのに、どうしてこんなことせにゃいかんのかと、――泣きながら爆弾落とした奴がおるかもしれん。自分の殺しとる敵の人間が、自分のおやじやおふくろや兄弟や、そういう者だったらどうするンだと、――そういう事考えて、泣きながら爆弾落とした奴もいたかもしれん。きっとそういう者(もん)がおったと思うンじゃ。おらん筈はない。きっと、――必ずおった筈よ。そういう者がおることを考えると、――わしは悲しくて涙が出る。戦争ちゅうのはそういうもンだ。殺す理由などないものを――敵だというだけで、――国が違うというだけで、――只わけもなく殺し合うンじゃ」

そして、脳内ドラマ「道」を書き続けてきた、老脚本家の菊村栄(石坂浩二)が現代社会を見つめる、その眼差し。

「私は大声で叫びたくなっていた。君らはその時代を知っているのか! 君らのおじいさんやおやじさんたちが、苦労して瓦礫を取り除き、汗や涙を散々流して、ようやくここまでにした渋谷の路上を、なんにも知らずに君らは歩いてる! えらそうにスマホをいじりながらわが物顔で歩いてる! ふざけるンじゃない!」

さらに、菊村が抱いている、生と死についての深い感慨。

「自分も程なく老いて朽ちる。その朽ち方を最近沁々(しみじみ)と、一人考えることが多くなった。周囲の人に迷惑をかけ、厄介者となって死ぬのはイヤだ。そんな時思い出す一本の樹があった。それはいつだったか北海道で見た、一本の桂の巨木だった。それは原生林の奥にあって、樹齢凡そ400年。朽ちかけ、しかし凛として立っていた。あの樹のように、私は死にたい。誰からも悲しまれず、誰からも忘れられて」

これらはいずれも、本来なら役者たちが口にすると同時に、消えてしまうはずの言葉です。しかし、脚本家・倉本聰が台詞に込めた思いは、言霊(ことだま)となって私たちの中に残っていく。足掛け4年におよぶ『やすらぎ』シリーズとは、そういう貴重なドラマ体験でした。