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放送開始から50年 『ウルトラセブン』アンヌ隊員に出会った!?

碓井広義メディア文化評論家

今からちょうど50年前、1967年10月1日(日)の夜7時から、『ウルトラセブン』(TBS系)の放送が始まりました。

当時、この武田薬品提供の30分枠では、前作が『ウルトラマン』、その前が『ウルトラQ』という具合に、円谷プロの制作による特撮テレビ映画が続けて放送されていました。

『ウルトラマン』シリーズは、その後、平成に至るまで長く続くことになりますが、個人的に最も印象に残っているのが『ウルトラセブン』です。

怪獣が主な相手だった『ウルトラマン』に比べ、『ウルトラセブン』では宇宙人や宇宙怪獣と対峙することになります。

主人公は「ハヤタ」から「モロボシ・ダン」へと変わり、活躍するチームが「科学特捜隊」から「ウルトラ警備隊」となりました。また内容も、子どもだけを意識したものではなく、大人をも巻き込むようなテーマ性がありました。

そして、ウルトラ警備隊の紅一点が「友里アンヌ隊員」です。モロボシ・ダンとの淡い恋模様も描かれた『セブン』ということもあり、視聴者の少年たちにとっては“憧れのお姉さん”的な存在だったと思います。

この時、アンヌを演じた女優、ひし美ゆり子さんは20歳でした。

「アンヌ隊員」と「女優・ひし美ゆり子」

そんな「アンヌ隊員」に、50年の時空を超えて(笑)、お会いする機会がありました。慶應義塾の機関紙『三田評論』10月号での、「三人閑談 ウルトラセブン50年」です。

「慶應丸の内シティキャンパス」シニアコンサルタントの桑畑幸博さんと私が、ひし美さんにお話をうかがうという形でした。

以下は、その貴重な証言の一部です。

碓井  ひし美さんご自身は、出演する前に、ウルトラQとかウルトラマンをご覧になっていたんですか。

ひし美  いや、全然見てないです。

碓井  いきなりこのセブンに。

ひし美  いきなりセブンです。ただ、ウルトラマンを一話だけ見せられました。そのとき、あのオレンジの隊員服がいいなと思っていたら、ブルー・グレイの服になって(笑)。

碓井  でも、あの制服が格好よかったんですよねえ。

ひし美  その当時は、もっと華やかな色がよかった。だけど考えてみると、あのブルー・グレイの服は、私みたいな胴が太い人は、目の錯覚でちょっと「キュッボン」に見られるのでよかったんですけれど(笑)。スタイルよくないのに、みんな錯覚してくれる。

桑畑  でも、それでアンヌ隊員が初恋だ、みたいな男の子はいっぱいいるわけですよ。

碓井  そうそう。当時はワンクール(三ヶ月)ではなく、一年間の放映ですから、見ている少年たちにも、しっかりアンヌ隊員が刷り込まれてしまうわけで。ひし美さんとアンヌを、僕らはもうほとんど一体化して見ていました(笑)。

ひし美  でも、当時、放送されるとテレビというものはもうそれきりなんで、意外と私たち俳優は、終わったら「はい、終わった」という感じなんですよ。森次晃嗣さん(モロボシ・ダン役)なんか先に撮影終わったら、もう次の撮影に行ってしまう。

碓井  以前、『北の国から』で蛍を演じた中嶋朋子さんとお話したときに、何歳になっても「蛍だ、蛍だ」と言われ続けて、嬉しいけれども、「別の私も見てよ」という反発もあった、と仰っていました。そういうことはありませんでした?

ひし美  私は「アンヌだ、アンヌだ」と言われたことない。

桑畑  そうなんですか?

ひし美  子供番組だから、子供がそんなこと言えないじゃないですか。大人になると、ほかに、麻丘めぐみだとか興味がどんどん変わっていって(笑)。だから、「アンヌだ」って騒がれたりしたことは全然ない。

・・・ひし美さんはその後、73年のドラマ『プレイガール』(東京12チャンネル=現・テレビ東京)に出演します。結構セクシーな場面もあり、少年たちは「真面目なアンヌが不良になっちゃった」と、びっくりしたものです(笑)。

師匠・実相寺昭雄監督の現場

『ウルトラセブン』は、私たちのようにリアルタイムで見ていた人間が今見返しても、何かしらの再発見があり、今の若い人たちが見ても、彼らなりの発見がある作品です。

また、ある種、普遍的なテーマというものがちゃんと込められていました。日曜の夜7時放映という、基本的には子供向けの枠にもかかわらず、重たいテーマも物語の中にしっかり取り込んでありました。

たとえば、私の師匠である実相寺昭雄監督が演出した「第四惑星の悪夢」(四三話)は、AIやロボットがどこまで進化するのかという話で、完全に時代の先取りでした。

桑畑  印象に残った回はありますか。

ひし美  いっぱいあり過ぎるくらい(笑)。「第四惑星」なんかすごいと思いました。昔は嫌いだったんです。昔の戦争のニュース映像でよくあった目隠しして公開処刑するようなシーンが挿入されるでしょう?

碓井  あれは強烈ですよねえ。

ひし美  強烈すぎ。子供番組にあれを出すってすごい。実相寺さんと晩年対談したとき、「私、あれがあるからあの話はあんまり見たくなかったの」って言いました(笑)。

桑畑  でも、このお話の中では、それを目撃した隊員は、本当のことだと思わずに、何かのロケをやっているんだろうと考えているんですよね。そのへんが逆に薄ら寒い感じがします。なぜ実相寺さんはわざわざそのシーンを入れたのか。

ひし美  やっぱり鬼才ですよ(笑)。

碓井  撮影現場での実相寺監督はどんな感じでしたか?

ひし美  あまりしゃべらない監督さんで、芝居もどちらかというとカメラ目線に立って「はい、グラス上げたー」とか「はい、下げたー」とかよく指示していました。例えばグラスにビューッとカメラが寄ったり、物越しに何かを撮ったりすることばかり気にして撮影してらして、芝居がどうこうはあまりおっしゃらなかったですね。

碓井  まさにそういった実相寺演出の現場を、ひし美さんに伺ってみたかった。

ひし美  逆にやりやすいですよ。ペロリンガ星人の回(四五話、円盤が来た)のとき、フクシン君と私で河原で撮るシーンがあったんです。二人でずっとしゃべらせておいて、望遠で知らないうちに撮られていたという感じでした。だから、逆にナイスショットが結構ある。お芝居、お芝居してなくて。

碓井  当時はフィルム撮影ですから、アフレコ(無音の映像に合わせて、後から声を収録)のときに、「あ、こうなっていたのか」とわかる感じなのでしょうね。

ひし美  そうなんです。実相寺さんの初日、お化粧して待っていたのに、後で映ったものを見たら反転になっていて、私たちは影になっているのね。「ええー」と思って。ああいう撮られ方されていると思うと、逆に緊張しないで済む。

碓井  「こういう監督なんだ」とわかってリラックスしたというのが、いかにもひし美さんらしい(笑)。

ひし美  そうなんですよ。私は最初、実相寺さんにびくびくしていたんです。フルハシ隊員が、「今度来る監督は鬼才で、すごいんだぞ」と脅かす。私は「鬼才」って、鬼監督のことだと思って(笑)。それで、いつも顔を合わせないようにしていた。そうしたら、対談したときに、「ひし美君はいつもロケバスに僕が乗っていると、機材車に乗っていたね」と言われた(笑)。

碓井  実相寺監督の場合、(役者さんより)画が第一という感じが明らかにわかるから、出演している方は頭にきているかと思ったんですけどね。

ひし美  そうでもないんです。気が付いたらニキビのアップがあったり。

碓井  監督、アップ大好きだから(笑)。

・・・というわけで、古希を迎えてますますお元気な、そしてチャーミングな「アンヌ隊員」でした。

私が手にしている、付箋でいっぱいの本は、ひし美さんの近著『アンヌ今昔物語』(小学館) 筆者撮影
私が手にしている、付箋でいっぱいの本は、ひし美さんの近著『アンヌ今昔物語』(小学館) 筆者撮影
メディア文化評論家

1955年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。博士(政策研究)。1981年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。代表作に「人間ドキュメント 夏目雅子物語」など。慶大助教授などを経て、2020年まで上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。著書『脚本力』(幻冬舎)、『少しぐらいの嘘は大目に―向田邦子の言葉』(新潮社)ほか。毎日新聞、日刊ゲンダイ等で放送時評やコラム、週刊新潮で書評の連載中。文化庁「芸術祭賞」審査委員(22年度)、「芸術選奨」選考審査員(18年度~20年度)。

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