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拝啓、倉本聰様。10日の『やすらぎの郷』、びっくりです。

碓井広義メディア文化評論家
(写真:アフロ)

テレビの現場を支えてきた無名の人たち

10日に放送された『やすらぎの郷』第71回を見て、驚きました。

最初のびっくりは、冒頭での菊村(石坂浩二さん)のモノローグです。

(菊村の声)「私は少し反省している。自分の親しかった友人たちの話を語るあまり、名のある者たちに話が偏(かたよ)った。ここにいる住人は、決して高名な人たちだけではない。それこそ長年、テレビの現場を裏から支え続けてきた無名の人たちも、やすらぎの郷にはいっぱい住んでいる。今日は少しばかり、そういう人たちの話をしよう」

確かに、「やすらぎの郷」は往年の有名俳優や大女優だけでなく、テレビに貢献した作り手たちも入所しているという設定でした。

私自身も、まさに制作現場出身なので、倉本さんが、いえ菊村が「無名の人たち」を気にかけてくれていたことが、嬉しい驚きだったのです。

散歩中の菊村は、ドラマの美術を手がけていた茅野大三郎と、50年ぶりに再会します。

茅野は、それまでドラマで使われていた、細かく切った紙や発泡スチロールの「雪」を、革命的に変えた人物として紹介されます。なんと「降って溶ける雪」を開発したのでした。

(菊村の声)「ビデオもCGもなかった時代、僕らはあの頃、創意と工夫で あくまでアナログで不可能に挑戦した」

知識と金で、前例にならってつくるのが「作る」。 金がなくても、智恵でゼロから前例にないものを生み出すのが「創る」。

それが倉本さんの持論です。

創意と工夫のテレビ創成期

テラスのテーブルで、お茶を飲む2人。

ここで、2度目のびっくりが登場します。

茅野「面白かったねえ、あの頃 テレビは」

菊村「ああ、吉川(きっかわ)とか、碓井とか、先鋭的なディレクターもいたしさ」

茅野「ああ、あれ。大失敗した碓井ちゃんが始末書、取られたやつ」

菊村「そう、あの事件だよ(笑)」

(菊村の声)「その事件とは、こういうものだった」

ここから回想シーンです。4人の男が、壁で四方を囲まれた部屋で、四角いテーブルを囲んで会議をする、という場面です。

4人の顔を、それぞれ正面からアップで撮りたいのですが、このままでは互いのカメラが見切れて(画面に入って)しまいます。

(菊村の声)「そこで吉川の考案した方法がこうだ」

会議室のセットの中、大勢のスタッフが準備をしている。

そこに入ってきた若いディレクターが、プロデューサーに呼び止められる。

吉川「碓井ちゃん、碓井ちゃん。(壁に)穴開けてカメラ仕込むから」

碓井「それ、いいっすねえ。あ、そうか。向こうも全部(穴を)開けるんでしょ」

4面の壁に、それぞれ四角の穴を空け、ドアのように開閉可能にします。そこからカメラで人物のアップを撮ろうというのです。扉が閉じている時は、そこに絵画の額縁が掛けられているという仕掛けでした。

(菊村の声)「リハーサルではうまくいった」

リハーサルを何度も重ねて、いざ本番。当時はドラマも生放送です。途中までは順調だったのですが、ADのくしゃみをきっかけに段取りが崩れてしまいます。つまり、扉の開閉やカメラが映ってしまったのです。

サブ(副調整室)で怒鳴る碓井D。その後ろで頭を抱えんばかりの吉川P。

この回想シーンの中の碓井Dが、なぜか私の若い頃の風貌によく似ている(怒鳴ったりはしませんでしたが)というオマケ付きでした(笑)。

(菊村の声)「碓井ディレクターは始末書を取られ、全責任は俺が取ると豪語したプロデューサーの吉川は、ほどなく営業に飛ばされた」

菊村「いい時代だったねえ」

茅野「ねえ」

(菊村の声)「少なくともあの頃、テレビの創成期、我々は創意に輝いていたのだ」

もちろん私は、まだこの時代にはテレビ界に足を踏み入れていません(笑)。名前だけの出演は、倉本さんの”遊び”です。

スペシャルドラマ『波の盆』

私同様、名前が使われている吉川も、実在の吉川正澄(きっかわ まさずみ)さんから来ています。麻布、東大と倉本さんと同期で、昭和34年(1957)にTBSに入社し、昭和45年(1970)にテレビマンユニオンを仲間と共に創立した人物です。

あの回想のエピソードが、吉川さん当人のものなのか。それとも、リアルな逸話の一つを借りて、同じ時代を生きた盟友の名をこのドラマに刻もうとしたのか。それは分かりません。

昭和58年(1983)に放送されたスペシャルドラマ『波の盆』は、倉本さんと吉川さんが初めてがっちりと組んだ作品でした。ハワイ・マウイ島を舞台にした、日系移民一世が主人公の物語です。

脚本:倉本 聰。主演:笠 智衆。監督:実相寺昭雄。音楽:武満 徹。プロデューサー:吉川正澄、山口 剛。製作:テレビマンユニオン、日本テレビ。

実相寺監督と吉川さんは、TBSでの同期です。吉川さんが倉本さんと実相寺監督をつなぐ形で、このゴールデントライアングルが成立しました。そして、この年の「芸術祭大賞」「ATP大賞」などを総なめにします。

ちなみに、当時の私はテレビマンユニオンに参加して3年目のディレクター。このドラマでは、アシスタント・プロデューサーを務めていました。

倉本聰、実相寺昭雄、吉川正澄という3人の「師匠」に出会ったのが、この『波の盆』になります。(もう一人、テレビマンユニオン創立メンバーである萩元晴彦さんを加えて、この業界での4人の師匠ということになります)

1983年から師事して、今年で34年。実相寺監督、吉川さん、そして萩元さんの3人が「あちらの世界」の住人となった今、私にとっての「生きた師匠」は、倉本さんだけになってしまいました。

君は『やすらぎの郷』を見たか!?

倉本さん本人から直接、『やすらぎの郷』の企画の話をうかがったのは一昨年のことです。タイトルや舞台の設定は少し違っていましたが、狙いと基本構造は変わっていません。念のため、師匠は末端の弟子の反応を試してみたのです。

即座に「ぜひ、実現してください!」と身を乗り出してお願いしたことを、よく覚えています。何より、私自身が「倉本聰の連ドラ」を見たかったからです。

毎日、あらためて「上手いなあ」と感心しながら楽しんで、気がつけば、もう後半戦に突入しています。

「やすらぎの郷」に暮らす人たちの“これから”は、どんな展開になるのか。ドラマ全体としての“決着”、もしくは“着地点”はどの辺りになるのか。楽しみです。

また、倉本さんにとっての「言いたいこと」「言うべきこと」「言い遺したいこと」は全部、このドラマに投入して欲しいと思っています。乱暴な言い方になりますが、とことんこのドラマを“私物化”してください(笑)。

かつて、『君は海を見たか』というタイトルの倉本作品がありました。それにならえば、君は『やすらぎの郷』を見たか、ですね。空前絶後、前代未聞のドラマとして、見た人の記憶に残る作品であることは、不肖の弟子が保証します。

メディア文化評論家

1955年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。博士(政策研究)。1981年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。代表作に「人間ドキュメント 夏目雅子物語」など。慶大助教授などを経て、2020年まで上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。著書『脚本力』(幻冬舎)、『少しぐらいの嘘は大目に―向田邦子の言葉』(新潮社)ほか。毎日新聞、日刊ゲンダイ等で放送時評やコラム、週刊新潮で書評の連載中。文化庁「芸術祭賞」審査委員(22年度)、「芸術選奨」選考審査員(18年度~20年度)。

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