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ギャラクシー賞「大賞」受賞記念 ドラマ「あまちゃん」研究 序説 短期集中連載 第6回

碓井広義メディア文化評論家

第51回ギャラクシー賞「大賞」受賞を記念して、「あまちゃん」に関する考察を短期集中連載しています。

ドラマ「あまちゃん」研究 序説

~なぜ視聴者に支持されたのか~

短期集中連載 第6回

<2> 舞台俳優の起用

脇役に、これほどたくさんの舞台俳優、もしくは舞台出身の役者を起用した朝ドラはない。主だった配役だけでも以下のようになる。

今野弥生(海女) :渡辺えり=劇団300(さんじゅうまる)

長内かつ枝(海女):木野花=劇団青い鳥

甲斐(純喫茶「アイドル」マスター) :松尾スズキ=劇団大人計画

安部小百合(海女):片桐はいり=劇団ブリキの自発団

花巻珠子(海女クラブ事務員):伊勢志摩=劇団大人計画

栗原しおり(観光協会職員):安藤玉恵=劇団ポツドール

荒巻太一(プロデューサー):古田新太=劇団☆新感線

菅原 保(観光協会長):吹越満=劇団WAHAHA本舗

中でも渡辺えり、木野花、松尾スズキは劇団主宰者として演出も手掛けてきた実力派だ。古田新太、吹越満なども、その名前で客を呼ぶことができる生粋の舞台人である。

優れた舞台人は、生の舞台の上で共演者たちとの相互作用で役柄をふくらませていけるだけでなく、劇場に足を運んでくれた観客の反応を取り込みながら自分の芝居をコントロールすることも可能だ。もちろんドラマでは、舞台のような意味での観客は目の前にいない。

しかし、目の前の観客の心を捉える修業を重ねてきた彼らの存在感が、このドラマを人間味あふれるものにしていたのは確かだ。

「あまちゃん」では、彼らと同様に舞台出身である宮藤官九郎が脚本を手がけていたことで、一つのセットで展開されるシーンが、あたかも一幕芝居の舞台のごとき雰囲気を持ち得た。

演じる者たちは、そこがまるで生の舞台であるかのように集中すると同時に、セリフのキャッチボールを楽しんでいた。それが画面から伝わってくるため、視聴者は主人公が出ていない場面でも常に目が離せなかったのだ。

以上のように、「あまちゃん」が持つ、1 アイドル物語、2  80年代の取り込み、3 異例の脚本、4 秀逸なキャスティングという4つの特徴を分析してみると、あらためてこのドラマが、歴代の朝ドラには見られなかったいくつものチャレンジを行っていたことがわかる。

すべてが成功しているわけではないかもしれないが、朝ドラだけでなく、ドラマそのものに対する既成概念を、可能な限り振り払いながら制作されていたことは明らかだろう。

3 「あまちゃん」は震災をいかに描いたか

「あまちゃん」で、放送開始直後から注目されていたことの一つに、東日本大震災をどう描くのかがあった。ドラマの設定は2008年から12年までであり、震災が起きた2011年3月11日は避けて通れない。

「あまちゃん」の放送までは被災から2年が経っているが、その時点までに日本のドラマはなかなか正面から東日本大震災を描けていなかった。

2012年に話題となった「最高の離婚」(フジテレビ)は震災をきっかけに結婚した夫婦のドラマだったが、舞台はあくまでも東京である。その意味で、「あまちゃん」は日本初の本格的震災ドラマだったのだ。

多くの視聴者が「一体どうやって見せるのだろう」と注目していた震災と津波の場面が放送されたのは、2013年9月2日(月)の第133回である。

冒頭は東京へ向うため北三陸鉄道に乗っているユイ(橋本愛)だ。そこに春子(小泉今日子)の「それは突然やってきました」というナレーションが流れる。そして突然、夏(宮本信子)の携帯電話が緊急警報を告げた。

結果的に、脚本の宮藤官九郎と制作陣は津波の実写映像を視聴者に見せることをしなかった。その代わり、主に2つの表現によってこの惨事を伝えたのである。

一つは観光協会に置かれていたジオラマの破壊された無残な姿だ。地震で壊れた北三陸のジオラマで、どこでどんな被害があったのかを語っていた。

もう一つが、電車が止まったトンネルを徒歩で抜けて、外の風景を見た瞬間のユイと駅長の大吉(杉本哲太)の表情だ。2人の絶望とも驚きとも取れるような表情を見た多くの視聴者は、それぞれに震災当時を思い浮かべたことだろう。

さらに津波が運んできたと思われる、線路の周囲に散乱した瓦礫を短い時間で見せていた。敢えてそれだけにとどめたのである。

この描き方は見事だ。本物の映像は多くの視聴者の目に焼きついている。何より、被災地の皆さんもこのドラマを見ているのだ。あの日の出来事を思い起こさせるには必要かつ十分、しかも表現として優れたものだった。

では、何が優れていたのか。このドラマのように、「現実性」と「物語性」の入り混じった表現をする場合、作り手側は見る側がどう感じるのかを想像する力を持っていなくてはならない。

なぜなら、視聴者の中には被災地に住む人も、実際に被災した人もいるわけで、流す映像やストーリーが、そうした「当事者」の特に精神面に、どんな影響を与えるかを考慮する必要がある。それがまさに制作側の「想像力」である。

さらに、「想像力」による当事者への配慮があった上で、表現として成立させなくてはならない。このドラマで言えば、被災地以外の場所に住む視聴者をも納得させ得る表現になっていることだ。そこでは精一杯の「創造力」を発揮しなくてはならないだろう。

つまり、「想像力」と「創造力」という2点において、このドラマでの震災の表現は優れていたのである。

(連載最終回へ続く)

メディア文化評論家

1955年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。博士(政策研究)。1981年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。代表作に「人間ドキュメント 夏目雅子物語」など。慶大助教授などを経て、2020年まで上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。著書『脚本力』(幻冬舎)、『少しぐらいの嘘は大目に―向田邦子の言葉』(新潮社)ほか。毎日新聞、日刊ゲンダイ等で放送時評やコラム、週刊新潮で書評の連載中。文化庁「芸術祭賞」審査委員(22年度)、「芸術選奨」選考審査員(18年度~20年度)。

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