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岡本和真は、野村克也と王貞治しか達成していない「3年連続の二冠王」にリーチ。2年連続で止まったのは…

宇根夏樹ベースボール・ライター
王貞治(左)と松中信彦 MARCH 19, 2006(写真:ロイター/アフロ)

 岡本和真(読売ジャイアンツ)は、2年続けて本塁打王と打点王を獲得している。2020年は、どちらも単独トップの31本塁打と97打点。2021年は、39本のホームランを打って村上宗隆(東京ヤクルト・スワローズ)と本塁打王を分け合い、113打点を挙げ、村上を1打点差で凌いだ。

 これまで、二冠王を2年連続から3年連続に伸ばした選手は、パ・リーグとセ・リーグに1人ずつ、南海ホークスの野村克也と読売の王貞治しかいない。

 野村は、1962年から1967年まで、本塁打王と打点王の二冠を6年継続した。その4年目の1965年は、三冠王だ。本塁打王は、1961年から1968年まで、8年連続で手にした。

 王は、1964年から1974年まで、1シーズンに2タイトル以上を11年続けた。1964~67年が本塁打王と打点王、1968~70年が首位打者と本塁打王、1971~72年が本塁打王と打点王、1973~74年は三冠王だ。

 1962~78年の17年間、王はどのシーズンも、本塁打王と打点王の少なくとも一方を獲得した。1962年は本塁打王と打点王、1963年は本塁打王、1975年は打点王、1976~77年は本塁打王と打点王、1978年は打点王だ。このスパンに、セ・リーグで王以外に本塁打王を獲得したのは、1975年の田淵幸一と1978年の山本浩二だけ。打点王は、王とチームメイトの長嶋茂雄(1963、68~70年)が獲得し続けた。

 一方、1976~77年の王を含む7人は、二冠王のストリークが2年でストップした。続けて二冠王となったのは、6年連続の野村と11年連続の王、そして、この7人と岡本の延べ10人。1985~86年のランディ・バース落合博満は、どちらも2年連続の三冠王だ。

筆者作成
筆者作成

 1人目の中西太は、2年連続の二冠王のうち、1955年が首位打者と本塁打王、1956年は本塁打王と打点王だ。両シーズンとも三冠王に極めて近く、1955年の98打点は、打点王の山内和弘と1打点差。1956年の打率.325は、首位打者を獲得したチームメイトの豊田泰光と1厘違わなかった。中西は、1958年も首位打者と本塁打王を獲得。このシーズンも、1打点差で打点王を逃している。中西のような、二冠王を獲得し、残る1タイトルが2位の選手については、「「三冠王」に迫った打者たち。二冠&1厘差未満の打率2位や1打点差の打点2位、2本差の本塁打2位も」で書いた。

 3年連続の二冠王(あるいは三冠王)とはならなかったものの、1957年の中西、1978年の王、1992年のオレステス・デストラーデ、2006年の松中信彦は、リーチをかけた「3年目」に1タイトルを獲得した。ただ、この4人とも、それ以外の2部門は、僅差とまではいかなかった。例えば、2006年の松中の場合、首位打者となったものの、本塁打王との差は13本あり、打点王には24打点差をつけられた。

 7人のなかで、3年連続の二冠王に最も近かったのは、1987年のバースだろう。打点は79にとどまり、タイトルを獲得したカルロス・ポンセより19打点少なかったが、37本塁打はリック・ランセロッティ(ランス)と2本しか違わず、打率.320は首位打者の2人と1分3厘差だった。もっとも、打率の順位は7位。篠塚利夫正田耕三に次ぐ3位には、バースと同じく、それまで2年続けて三冠王の落合が位置した。落合は、1986年12月のトレードにより、ロッテ・オリオンズから中日ドラゴンズへ移籍。1987年の打率.331は1位と2厘差ながら、28本塁打と85打点は、それぞれの1位と10以上の差があった。

 なお、バースと落合以外の5人が、2年連続の二冠王に続く「3年目」に記録したスタッツは、1957年の中西が.317/24本/100打点、1978年の王が.300/39本/118打点、1982年の山本が.306/30本/90打点、1992年のデストラーデが.266/41本/87打点、2006年の松中は.324/19本/76打点だ。

ベースボール・ライター

うねなつき/Natsuki Une。1968年生まれ。三重県出身。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)専門誌『スラッガー』元編集長。現在はフリーランスのライター。著書『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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