有原航平の前にレンジャーズで背番号「35」をつけた選手たち。阪神で打ちまくったスラッガーもその一人
有原航平(テキサス・レンジャーズ)の背番号は「35」だ。ベースボール・リファレンスによると、レンジャーズで「35」を背負ってプレーした選手は、1961~71年のワシントン・セネタース時代を含め、32人を数える。
そのなかには、後に日本プロ野球へやってきた選手も3人いる。
1971年にセネタースで27試合に出場したリッチー・シャインブルームは、1975~76年に広島東洋カープで「シェーン」としてプレーした。ちなみに、シェーンは、1971年のオフにカンザスシティ・ロイヤルズへ移り、翌年、オールスター・ゲームに選ばれている。この年は134試合に出場し、ホームランは8本ながら、リーグ6位の打率.300と5位の出塁率.383を記録した。
1982年に出場16試合のランディ・バスは、その翌年から1988年の途中まで、阪神タイガースで「バース」としてプレーし、1985~86年は2年続けて三冠王となった。バースのホームランは、メジャーリーグの130試合で9本(36.1打数/本)、マイナーリーグの1141試合で238本(16.2打数/本)、日本プロ野球の614試合で202本(10.9打数/本)だ。日本プロ野球でホームランを打ったペース(1本当たりの打数)は、200本塁打以上の歴代2位に位置する。それについては、昨年4月に「NPB通算200本塁打以上の106人を「ホームランを打ったペース」の順に並べると…」で書いた。そこから、昨シーズンは3人が200本塁打に到達したが、中島宏之(読売ジャイアンツ)、浅村栄斗(東北楽天ゴールデンイーグルス)、丸佳浩(読売)のいずれも、ここまでのペースは歴代トップ50に入っていない。
2017年に横浜DeNAベイスターズで7登板のフィル・クラインは、2014~16年にレンジャーズで投げた。背番号は「64」「35」「31」を使用。2015年の開幕から7月まで「35」を背負い、(AAAと行き来しながら)10試合に登板した。
この他に、本人ではないものの、1987年に横浜大洋ホエールズで82試合に出場したジム・アドゥチの同名の息子が、クラインの直前、2013~14年に背番号「35」のユニフォームを着て、計61試合でプレーした。こちらのラストネームは、「アドゥシー」の方が英語の発音に近いように感じる。父はセネタース/レンジャーズではプレーしておらず、他のチームでも背番号「35」はつけていない。
また、クラインと有原の間に背番号「35」を使用した2人は、どちらもエース、少なくともエース格の投手だった。コール・ハメルズは2015年の夏から2018年の夏までレンジャーズに在籍し、2015年は移籍後の12登板で防御率3.66、翌年はリーグ8位の防御率3.32を記録した。ランス・リンは2018年のオフに3年3000万ドルでレンジャーズに入団し、今オフにトレードでシカゴ・ホワイトソックスへ移った。2019年の防御率3.67と2020年の防御率3.32は、リーグ7位と10位。2シーズンの計292.1イニングは、このスパンのどの投手よりも多かった。過去5年(2016~20年)のレンジャーズの開幕投手は、ハメルズ、ダルビッシュ有(現サンディエゴ・パドレス)、再びハメルズ、マイク・マイナー(現ロイヤルズ)、リンだ。
リンがいなくなり、現在のレンジャーズはエース不在だ。ハメルズとリンに有原が続けば、レンジャーズの背番号「35」は、エース・ナンバーとして知られるようになるかもしれない。