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オリックスと東京ヤクルトの初夢!?「最下位の翌年にリーグ優勝」でなくても「最下位→CS進出」なら…

宇根夏樹ベースボール・ライター
大石大二郎(右端)(写真:アフロスポーツ)

 昨年、オリックス・バファローズと東京ヤクルトスワローズは、それぞれのリーグで最下位に終わった。どちらも2年連続。過去5年に3度の最下位も共通する。

「最下位の翌年にリーグ優勝」は、以下のとおり。皆無ではないものの、稀なことだ。

筆者作成
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 1946年の近畿グレートリングは、シーズンが開催されなかった1945年を挟んでいるので、優勝は「最下位の翌年」ではなく「最下位の翌シーズン」だ。1950年にセ・リーグを制した松竹ロビンスは、前年が1リーグ制の最下位。この他に、1975~78年の阪急ブレーブスはリーグ4連覇ながら、1975年の後期が最下位で、その直後となる1976年の前期は1位だった。1973~82年のパ・リーグは、前期と後期に分かれていた。

 この7球団中5球団は、前年の最下位にとどまらず、連続最下位からのリーグ優勝だ。1960年の大洋ホエールズは、前年まで6年続けて最下位にいた(1954~59年)。1975年の広島東洋カープは3年連続(1972~74年)。1946年の近畿、2001年の大阪近鉄バファローズ、2015年の東京ヤクルトは、その前に2年続けて最下位だった。それぞれ、1943~44年、1999~2000年、2013~14年だ。

 新監督の下、前年の最下位からリーグ優勝も、7球団中5球団。1975年の広島東洋は、前年の森永勝也からジョー・ルーツとなったのに加え、シーズン序盤に、ルーツ→野崎泰一古葉竹識と変遷した。残る2球団、1976年の読売ジャイアンツと2001年の大阪近鉄は、ともに監督2年目の長嶋茂雄梨田昌孝が采配を振った。

 一方、「最下位の翌年にクライマックス・シリーズ進出」は延べ8球団を数え、このシリーズが始まった2007年から2019年までの最下位、13シーズン×2リーグ=26球団の30.8%を占める。なかでも、東京ヤクルトは、2015年と2018年の2度だ。

筆者作成
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 こちらの場合、前年まで連続最下位の球団は、2015年の東京ヤクルトだけ。新監督は多く、8球団中6球団は、最下位の前年とは違う監督で開幕を迎えた。2008年のオリックスは、2年目のテリー・コリンズ監督が5月下旬に辞任し、その後は代行として大石大二郎が指揮を執った。北海道日本ハムファイターズの監督は、先月、「同じ球団で「連続10年以上の監督」は北海道日本ハムの栗山英樹が9人目。9年目に負け越して続投は…」で書いたとおり、2012年から交代していない。2014年は3年目だった。

 東京ヤクルトの高津臣吾監督は、今年が2年目となる。オリックスの中嶋聡監督は、昨年の8月下旬から監督代行を務め、11月に肩書きから「代行」が外れた。ちなみに、監督代行としての67試合は、29勝35敗3分、勝率.453。その前の53試合と比べると、勝率は1割2分以上高く、同じスパンの東北楽天ゴールデンイーグルス(27勝35敗5分/勝率.435)と北海道日本ハムファイターズ(28勝37敗2分/勝率.431)を上回る。

 なお、高津も中嶋も、選手時代に現在の球団で10年以上プレーしているが、その時期には「最下位→リーグ優勝」も「最下位→クライマックス・シリーズ進出」もなかった。ただ、中嶋は2004年から2015年まで、北海道日本ハムのユニフォームを着ていた。2013年の一軍出場は2試合、2014年は1試合ながら、バッテリー・コーチを兼任し、「最下位→クライマックス・シリーズ進出」を経験している。

ベースボール・ライター

うねなつき/Natsuki Une。1968年生まれ。三重県出身。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)専門誌『スラッガー』元編集長。現在はフリーランスのライター。著書『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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