福留孝介に続き、五十嵐亮太も「4ディケイド・プレーヤー」の仲間入り
今シーズン限りで選手生活を終える五十嵐亮太(東京ヤクルトスワローズ)が、引退試合として10月25日に登板し、(引退試合についての是非はさておき)4ディケイド・プレーヤーとなった。1990年代、2000年代、2010年代、2020年代のいずれも、一軍の試合に出場。現役選手では、福留孝介(阪神タイガース)もそうだ。2人とも、1999年にデビュー(一軍の試合に初めて出場)した。
4ディケイド・プレーヤーを探したところ、福留と五十嵐を含め、14人が見つかった(この他にもいれば、教えてください)。
通算出場が4試合でも、4ディケイド・プレーヤーにはなれる。例えば、1999年と2000年に1試合ずつ出場し、18シーズン(2001~18年)のブランクを経て2019年と2020年に再び1試合ずつ出場すれば、4ディケイドだ。けれども、そんなことはまず起きない。
一方、キャリア(在籍年数ではなく実働年数)が長くても、それが4ディケイドにわたるには、基本的には巡り合わせが必要だ。リストの14人中9人は、ディケイドの最終年にデビューしている。それに対し、今シーズンにデビューした選手が4ディケイド・プレーヤーとなるのは、不可能に近い。ここから一軍出場を30シーズン続けても、2020年代(2020~29年)、2030年代(2030~39年)、2040年代(2040~49年)の3ディケイド。工藤公康、山本昌、中嶋聡が記録した歴代最多の29シーズンを上回っても、4ディケイドにはならない。
また、数少ない4ディケイド・プレーヤーのなかでも、石井琢朗は異例だ。最初の3シーズン、1989~91年は投手だった(当時の登録名は石井忠徳)。従って、投手としては、1980年代と1990年代の2ディケイド、野手としては、1990年代、2000年代、2010年代の3ディケイドだ。
2020年代を含む4ディケイド・プレーヤーは、これから3人に増えるかもしれない。今シーズンは無理にしても、来シーズン以降に復帰すれば、松坂大輔(埼玉西武ライオンズ)がそうなる。福留と五十嵐と同じく、松坂も1999年にデビューした。
なお、現役選手のデビュー年については、こちらで書いた。