【年代別ディケイド本塁打トップ10】60年代と70年代は王が1位、80年代は落合、90年代は清原

王貞治(左)とハンク・アーロン March 20, 2006(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

 1950年に日本プロ野球が2リーグ制となってから、7つのディケイドが過ぎた。それぞれのディケイドで最も多くのホームランを打ったのは、1950年代が青田昇中西太(ともに197本)、1960年代と1970年代が王貞治(393本と438本)、1980年代が落合博満(340本)、1990年代が清原和博(271本)、2000年代がタフィー・ローズ(353本)で、2010年代はウラディミール・バレンティン(288本)だ。

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 この7人中6人は、最多本塁打を記録したディケイドに、シーズン本塁打王を3度以上獲得している。王は1960年代に8度(1962~69年)、1970年代に7度(1970~74、76~77年)。清原だけはタイトルがなく、前後のディケイドでも皆無だ。清原はリーグ1位と5本差以内のシーズンが4度(1990、92、95~96年)あり、1995年の25本は小久保裕紀と3本差、1996年の31本はトロイ・ニールと1本差だった。

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 2ディケイド続けてトップ10入りは、1960年代も1970年代も1位の王以外にも、4人いる。山内一弘(1950年代6位、1960年代6位)と土井正博(1960年代8位、1970年代5位)に、広島東洋カープで長きにわたってチームメイトとしてプレーした山本浩二(1970年代4位、1980年代5位)と衣笠祥雄(1970年代6位、1980年代8位)がそうだ。

 その一方で、こんな例もある。豊田泰光は1950年代に128本のホームランを打ち、このディケイドの9位に位置した。けれども、1960年代はそれよりも7本多い135本ながら、こちらはトップ10に入っていない。また、村田修一は2000年代に205本、2010年代に155本なので、どちらのディケイドでもトップ10圏外だ。村田の通算360本塁打は歴代28位。どのディケイドのトップ10にもランクインしていない選手のなかでは、最も多い。

 なお、メジャーリーグ編はこちら。ちなみに、写真のハンク・アーロンは、1960年代の2位だ。

【ディケイド本塁打トップ10】1920年代はルースがトップ。プーホルスは2つのディケイドで4位以内