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ジーターになれなかった背番号「2」の遊撃手。トゥロウィツキが引退

宇根夏樹ベースボール・ライター
トロイ・トゥロウィツキ(左)とクリス・デービス July 16, 2013(写真:ロイター/アフロ)

 7月25日、トロイ・トゥロウィツキが、ニューヨーク・ヤンキースを通して、引退声明を発表した。

 トゥロウィツキは、メジャーリーグを代表する遊撃手だった。ルーキーイヤーからの9シーズン(2007~15年)に、打率.298、出塁率.370、192本塁打、OPS.884を記録。守っては、ゴールドグラブを2度受賞し、フィールディング・バイブル賞には3度選ばれた。攻守のいずれにおいても、そのプレーは、ダイナミックと形容するのがふさわしかった。

 こちらも背番号「2」の遊撃手で、身長も同じ6フィート3インチのデレク・ジーターと、ルーキーイヤーからの9シーズン(ジーターは1996~2004年)を比べると、打率と出塁率は.315と.386のジーターが少し勝るが、本塁打はトゥロウィツキが42本多く、OPSも35ポイント高い。守備は、トゥロウィツキの方が優れていた。

 ただ、トゥロウィツキはジーターになれなかった。当時から故障は少なくなかった上、昨シーズンに至っては全休し、今シーズンも開幕から5試合に出場したのみ。34歳にして、選手生活にピリオドを打った。

 トゥロウィツキが記録した通算の打撃成績は、ジーターよりも、むしろ、ジーター(とアレックス・ロドリゲス)とほぼ同時期に登場した遊撃手、ノマー・ガルシアパーラに近い。本塁打は4本しか違わず、出塁率は同じだ。ガルシアパーラも故障に泣かされ、36歳で引退した。

筆者作成
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 2006年8月にコロラド・ロッキーズからメジャーデビューした時、トゥロウィツキは背番号「14」のユニフォームを着ていたが、翌シーズンより、ジーターと同じ「2」に変更した。この背番号は、三塁コーチのマイク・ガイエゴに譲ってもらった。ちなみに、ヤンキースでジーターの直前に背番号「2」を使用したのは、選手時代のガイエゴだ。トロント・ブルージェイズでも、トゥロウィツキは「2」を背負い、今年1月に入団したヤンキースでは、背番号を「12」とした(ヤンキースの「2」はジーターの永久欠番)。

 もっとも、カリフォルニア州立大ロングビーチ校時代の背番号は、「2」ではなく「5」だった。その理由について、ニューヨーク・ポストのケビン・カーナンが2014年に書いた記事のなかで、トゥロウィツキはこう語っている。「大学では、すでに背番号「2」は使用されていたから「5」にしたんだ。ノマーの「5」さ」

 ガルシアパーラは、ボストン・レッドソックスで背番号「5」のユニフォームを着ていた。その後にプレーした3球団でも、違う背番号の時期はあったものの、いずれも背番号「5」を使用した。

 引退声明の直後、テキサス大は、トゥロウィツキのアシスタント・コーチ就任を発表した。

ベースボール・ライター

うねなつき/Natsuki Une。1968年生まれ。三重県出身。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)専門誌『スラッガー』元編集長。現在はフリーランスのライター。著書『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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