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永久欠番となるまでに背番号「29」でプレーした23選手のうち、3人は日本プロ野球も経験

宇根夏樹ベースボール・ライター
エイドリアン・ベルトレー(左端)とその家族 Jun 8, 2019(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 6月8日の試合前、テキサス・レンジャーズは、エイドリアン・ベルトレーの背番号「29」を欠番とするセレモニーを行った。

 ベースボール・リファレンスによると、ワシントン・セネタース(1961~71年)とレンジャーズで背番号「29」のユニフォームを着てプレーしたのは、ベルトレーが23人目だ。セレモニーには、7人目のスティーブ・フーコーと22人目のフリオ・ボーボンも顔を見せた。

筆者作成
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 23選手のうち3人、ピート・インカビリア(13人目)は1995年に千葉ロッテマリーンズ、マイク・ウッド(19人目)は2008年に横浜ベイスターズ、ジェイソン・ボッツ(20人目)は2008~09年に北海道日本ハムファイターズでプレーした。

 選手としてではないが、1993年に中日ドラゴンズで18試合に出場したブルック・ジャコビーも、背番号「29」を使用したことがある。2006年の開幕直前に、打撃コーチのルディ・ハラミーヨが前立腺癌の手術を受け、数週間にわたってチームを離れた。その際、マイナーリーグのヒッティング・コーディネーターだったジャコビーが、打撃コーチを務めた。選手時代にジャコビーが使った背番号では、アトランタ・ブレーブスの「47」がトム・グラビンの欠番だ。レンジャーズでプレーしたことはない。

 メジャーリーグで背番号「29」を欠番とするのは、レンジャーズが4球団目。ミネソタ・ツインズとロサンゼルス・エンジェルスはロッド・カルー、ブレーブスはジョン・スモルツの欠番なので、ベルトレーは3人目となる。カルーとスモルツは、殿堂に入っている。ベルトレーも、そうなることは間違いない。

 なお、ツインズで「29」を背負った25選手のなかで、日本でもプレーしたのはトニー・ロイ(1963~67年/西鉄ライオンズ、1968年/近鉄バファローズ)だけだ。エンジェルスの9選手にもポール・デード(1981年/阪神タイガース)しかおらず、ブレーブスの33選手には一人もいない。

ベースボール・ライター

うねなつき/Natsuki Une。1968年生まれ。三重県出身。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)専門誌『スラッガー』元編集長。現在はフリーランスのライター。著書『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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