各球団で「昭和最後のホームラン」と「平成最初のホームラン」を打ったのは…。どちらも同じ選手の球団も
「昭和最後のホームラン」を打ったのは、レギュラーシーズンの場合、昭和63年(1988年)10月23日の中嶋聡だ。この試合のホームランは、両チーム1本ずつ。4回表に高橋忠一、その裏に中嶋が記録した。日本シリーズを含めると、第5戦の石毛宏典が「昭和最後」となる。この試合は、3回表に宇野勝、6回裏に清原和博、9回裏に石毛がホームランを打った。
一方、「平成最初のホームラン」は、原辰徳のバットから飛び出した。平成元年(1989年)は、4月8日に予定されていた開幕戦の半分が雨で流れ、残る3試合のうち、セ・リーグの2試合がデー・ゲーム、パ・リーグの1試合はナイト・ゲーム。セ・リーグの試合では、どちらも1回裏にホームランが出たが、原が打った試合は13時に始まり、高橋慶彦の試合は14時開始だった。
彼らを含め、各球団における「昭和最後のホームラン」と「平成最初のホームラン」を打った選手は、リストのとおり。近鉄バファローズでは、どちらもラルフ・ブライアントが記録した。西武ライオンズも、レギュラーシーズンに限ると、秋山幸二が「昭和最後」と「平成最初」のホームランを打った。
ブライアントが昭和63年10月19日に打ったホームランは、近鉄を日本シリーズに導くかと思われた。この一打が出たのは、ダブルヘッダーの2試合目、同点の8回表。このまま逃げきれば、近鉄の勝率は西武を上回っていた。だが、近鉄はその裏に再び追いつかれ、試合は10回裏に引き分けで終わった。それとともに、西武のリーグ優勝が決まった。
また、パ・リーグで「平成最初」となったホームランは、代打として一軍の試合に初出場した広永益隆が打った。
ブライアントや秋山のように、それぞれの球団における「平成最後のホームラン」と「令和最初のホームラン」を同じ選手が打つ可能性は、シーズン中に元号が変わるので、「昭和最後」と「平成最初」よりも高い。阪神タイガースの選手による「平成最初のホームラン」を記録したセシル・フィルダーは、これが来日初アーチだった。