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1イニングに2度の振り逃げ。マスクをかぶっていたのは、もちろん(?)あの捕手だった

宇根夏樹ベースボール・ライター

5月29日にAT&Tパークで行われた試合で、「1イニング2度の振り逃げ」が起きた。7回裏、マイク・フォーティネビッチ(アトランタ・ブレーブス)は3三振を奪ったが、2ストライクからブランドン・ベルト(サンフランシスコ・ジャイアンツ)とグレガー・ブランコを空振りさせたカーブは、いずれもワイルド・ピッチ(暴投)となり、出塁を許した。ブランコの振り逃げによって、場面は2死満塁に。フォーティネビッチはここでマウンドを降り、代わったルイス・アビラン青木宣親を遊撃ゴロに討ち取って、ブレーブスはこの回を無失点で切り抜けた。

「1イニング2度のワイルド・ピッチ」はメジャーリーグ記録ではない。1900年以降に5投手が「1イニング4度のワイルド・ピッチ」を記録している。また、「1イニング2度の振り逃げ」もメジャーリーグ記録ではないようだ。残念ながら最多記録を見つけることはできなかったが、この試合をレポートしたいくつかの記事、ブレーブスとジャイアンツがそれぞれ公式に出しているゲーム・ノート、イライアス・スポーツ・ビューローのメモ、どれを読んでも「1イニング2度の振り逃げ」がメジャーリーグ記録という記述は見当たらず、この試合の振り逃げについてまったく触れていないものも多かった。

ただ、この試合の振り逃げには、あの選手が関わっていた。マスクをかぶってフォーティネビッチの球を受けていた――カーブを受け損なって振り逃げを許した――のは、A.J.ピアジンスキだった。

ピアジンスキは10年前、シカゴ・ホワイトソックスでプレーしていた時に、球史に残る振り逃げを生み出した。

ホワイトソックスがアナハイム・エンジェルス(現ロサンゼルス・エンジェルス)と対戦した2005年のリーグ・チャンピオンシップシリーズ(リーグ優勝決定シリーズ)第2戦。同点の9回裏、2死走者なしの場面で打席に入ったピアジンスキは、フルカウントからの6球目を空振りした。

ところが、ピアジンスキはダグアウトのある三塁側へ一歩踏み出した後、捕球したジョシュ・ポールがマウンドに向かってボールを転がしたのとほぼ同時に、方向を転じて一塁へ猛然と走り出した。誰もボールを拾い上げないうちに、ピアジンスキは一塁に到達。一塁側のダグアウトからはマイク・ソーシア監督が出てきて抗議したが、振り逃げによる出塁が成立した。

改めて映像を確認すると、ポールはミットを地面に立ててすれすれで捕球しているものの、何度見てもボールはダイレクトに収まっていて、バウンドはしていない。振り逃げはできず、ただの三振ということだ。

その後、ピアジンスキに代わったパブロ・オズーナが二盗を決め、ジョー・クリーディの二塁打でホームインした。シリーズを1勝1敗としたホワイトソックスは、そこから1敗もすることなくワールドチャンピオンまで駆け上がった。

なお、フォーティネビッチが逃した――続投していれば可能性のあった――「1イニング4奪三振」は、これまでに71投手が75度記録しているが、ピアジンスキはそこには関わっていない。「1イニング4奪三振」が記録された試合に出場していたことはあるが、マスクをかぶっていたこともなければ、振り逃げかどうかを問わず、そのイニングに三振を喫したこともない。

また、メジャーリーグでは「1イニング4奪三振」が最多記録ながら、ジョー・ニークロは1976年のエキシビション・ゲーム(オープン戦)で「1イニング5奪三振」を記録しており、マイナーリーグには「1イニング5奪三振」を記録した投手が何人かいる。2008~11年に広島東洋カープ、2013年にオリックス・バファローズで投げたマイク・シュルツは、2004年にアリゾナ・ダイヤモンドバックス傘下のA+でプレーしていた時に記録した。現在はニューヨーク・ヤンキース傘下のAAAで投げているマーク・モンゴメリーもその一人だ。プロ1年目の2011年、ヤンキース傘下のAにいたモンゴメリーは9回裏に登板し、エバン・ギャティス(現ヒューストン・アストロズ)を含む打者5人から三振を奪った。

ベースボール・ライター

うねなつき/Natsuki Une。1968年生まれ。三重県出身。MLB(メジャーリーグ・ベースボール)専門誌『スラッガー』元編集長。現在はフリーランスのライター。著書『MLB人類学――名言・迷言・妄言集』(彩流社)。

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