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職場の適応障害を防ぐため今すぐ必要なことは グローバル企業から学ぶ経営トップの役割と行動

海原純子博士(医学)・心療内科医・産業医・昭和女子大学客員教授
写真はイメージです。(写真:アフロ)

「働く人のメンタル」復職してもまた体調不良に

産業医の現場で、メンタル不調による面談がじわじわ増加し、適応障害やうつ状態で休職する社員が増えています。

厚生労働省がまとめた2021年「労働安全衛生調査」(全国の約1万4千事業所についてオンラインで実施)によりますと、20年11月~21年10月にメンタル不調により連続1カ月以上休職したり退職したりした従業員がいる事業所は10.1%で、前年の9.2%から増加しています。

産業医面談で話し合われる内容としては、正規雇用社員の場合は、企業が派遣社員を減らし、人件費をカットした影響で業務負担が増加したことによる疲労感、負担が増えてもそれに対して異議を唱えられない雰囲気、非正規雇用社員の場合は、いつ契約が打ち切りになるかという不安による睡眠障害や正規雇用社員と同じ業務をしているにもかかわらず給与が低いことによる不満感などです。雇用形態にかかわらず悩みの要因となっているのは、上司の理不尽な業務命令やハラスメントと感じる言動、感情的な判断の多い上司、ものを言えない職場の雰囲気、自分のペースで進められない業務などが特徴的です。

職場環境にも要因が

業務の質や量の負担が大きいことがストレス要因になるのははっきりしていますが、それをわかりつつ見ないふりをする上司や一体感のない職場の雰囲気があるとストレスによる障害を未然に防ぐことができないのです。そしてそのような職場環境の企業が決して少なくないと実感しています。不調に陥った社員が休職し回復して復帰してもまた元の職場環境に戻ると再び不調に陥ることは目に見えていて、このような場合、単に本人のストレス耐性が低いから、として本人だけの要因としてしまうのは問題だと感じていました。一方、メンタル不調で休むと「問題がある社員」というレッテルを張られるのを恐れて体調が悪くても受診するのを先延ばしにしてさらに体調が悪くなる社員も少なくありません。

職場のメンタルヘルス対策というと、産業医面談やストレスチェック施行、直属の上司などによるラインケアなどが中心となっています。このような対策はしっかりなされている一方で、メンタル不調の根底に職場のメンタルヘルスへの理解や正規雇用社員と非正規雇用社員の間の格差、男性と女性の雇用形態や賃金格差、親会社と子会社、系列会社の待遇格差、人件費カットによる慢性的人手不足による負担などがあることは視野に入れられていないことがほとんどです。

正規社員と非正規社員の健康格差

実際に非正規雇用社員は、規雇用社員に比べ体調が不良だという研究報告もされています。正規と非正規の勤労者の格差は給与面だけではなく健康面に及んでいることを、九州大学の錦谷まりこ准教授らのグループが2013年の「国民生活基礎調査」のデータを基に22年7月にMedicines誌に発表しています。調査対象は18~45歳の会社員8282人(男性4444人、女性3838人)で、心の健康状態(厚生労働省K6による心の活気)と所得、雇用形態との関わりを分析しました。

その結果、非正規の社員は正規の社員に比べ心の健康状態が不良であることが分かりました。また、非正規の場合、女性は所得階層が高くなるほど心の健康状態は良くなるものの、男性は所得階層が高くなっても改善しないことが分かりました。男性の場合は「非正規」雇用であるということに対して自己肯定感が持ちにくいことが背景にあるのではないかと推察されています。こうした格差是正やジェンダー問題は、企業トップの経営陣が取り組まなければならない内容ですが取り残されている状態の企業が多いと思います。

ですから産業医もまた休職した社員の主治医も、本人の回復を手助けすることはできても職場に残る問題を解決できない状態で本人を元の職場に送りだすことになっており、歯がゆい気持ちになることがしばしばです。

海外グローバル企業での取り組み

では海外のグローバル企業では職場のメンタルヘルス対策はどうなっているのでしょうか。

英国でもコロナ禍以前からメンタルヘルス不調により休職者や退職者が増加し、それによる経済状態の損失が大きな問題になっていました。英国政府や投資家たちの間からメンタル不調による企業利益損失が懸念されたことから、企業によるメンタルヘルスへの取り組みを体系立てて評価しようという仕組み作りが加速しました。多くの機関投資家たちが後押しして21年には英国内の30社のパイロット調査を行い、まず英国内の従業員1万人以上の上場企業100社を対象にした調査結果を「CCLA Corporate Mental Health Benchmark UK 100 」として公表しました。

さらに英国だけではなく世界のグローバル企業100社を選びそのBenchmark(ベンチマーク、評価基準)を作成する際、私も外部委員として参加しました。外部委員としてはほかにハーバー大学のDr Shekhar Saxenaらが参加しています。

詳細は、下記サイトにある資料(https://www.ccla.co.uk/mental-health)「2022 Global 100 benchmark report」の58,59ページに記載されています。

1.メンタルヘルスへの改善計画の方針が明確で体系化しているか

2.企業のCEOやトップの立場の人がリーダーシップをとりメンタルヘルス支援を明確に表明して情報発信をしているか

3.メンタルヘルス対策の運営と管理:仕事の在り方や職場環境を含めてメンタルヘルスを守る体制ができているか

4.ホームページなどでの情報公開

が柱になりさらに

・メンタルヘルスについてオープンに話し合える環境があるか

・マネジャーや管理職がメンタルヘルスについての知識と理解を深める研修を行い、リーダーシップの役割を果たしているか

・CEOが従業員のメンタルヘルスや幸せについて把握し、状況について定期的に情報発信しているか

・親会社子会社の賃金、待遇格差是正・ジェンダーや人種による差別やハラスメントに対する対策をしているか

・ワークライフバランスに対する視点があるか

などが組み込まれています。

CCLAベンチマークの特徴

「職場のメンタルヘルス対策」として思い浮かぶのは、不調者個人に対するケアや不調者を出さないための予防などだと思いますが、このベンチマークでまず挙げられていたのは企業トップがメンタルヘルス対策のリーダーシップをとりそれを企業の顔ともいえるホームページで発信しているかどうかということで、これには非常に驚きがありました。日本でメンタルヘルス対策というと担当は企業の人事総務グループで、CEOがメンタルヘルスについてリーダーシップをとることはまず考えられないからです。世界を代表するグローバル上場企業を選んでいる株価指数(MSCI ACWI)に入っている従業員1万人以上のトップ100社の場合、たとえばBHPGroup では、CEOがホームページでメンタルヘルスへの取り組みをビデオメッセージなどで語っています。また賃金については単に格差をなくすことではなく、公平性を掲げています。

ベンチマークで紹介された公平性に関する企業の取り組みUnion Pacificの例
ベンチマークで紹介された公平性に関する企業の取り組みUnion Pacificの例

日本の健康経営との違い

これに対し、日本で行われている職場のメンタルヘルス対策は、社員個人に対するものが主体になっています。健康診断や、ストレスチェック、産業医面談、長時間労働の是正、有給休暇の取得勧奨などきめ細かく行われている一方で、企業トップが社員の「ウェルビーイング」実現のためにリーダーシップをとるには至らず、対策は人事総務担当者に一任されていることがほとんどです。特にグローバル企業との大きな違いとして、賃金の不公平さや男女格差、ハラスメント対策の不備が目立ちます。

CCLAで行っているグローバル企業のベンチマークについては何度か新聞やネットで紹介しましたが、ほとんど関心を示す企業はなく、それは「外国の問題で日本は別」「大企業はできても中小企業はできるわけはない」という反応でした。

しかし、休職には至らなくても、上司にものを言えない雰囲気の中で気持ちを抑えている社員や不公平感でモチベーションが低下している社員、ハラスメントだと言いたくても不利益になることを恐れている社員と面談する機会が多く、問題点を指摘しても人事どまりになるケースがほとんどなのが現状です。賃金に関しては、子会社や系列会社に出向した社員の賃金をカットしたり、状況に応じて非正規社員を採用したり雇い止めをすることで経営利益を上げるような方法をとってきた企業にとっては、賃金の公平性の実現はとても無理という現状もあると思います。またハラスメントに関しては、問題が起こるとすぐに訴訟に持ち込む傾向がある欧米とは異なり「上司に逆らえない」「上の立場の人に反抗してはいけない」という文化的側面を持つ日本では、企業トップがハラスメント禁止について強いリーダーシップを示してほしいものです。

今すぐできることは何なのか

健康とは、病気がない、ということではありません。働く人が気持ちよくモチベーションを保って働くには、働く場に公平性がありコミュニケーションがよいことが必要であす。その意味で企業トップが、職場のメンタルヘルスやウェルビーイングについて、明確なリーダーシップをとる姿勢をホームページで宣言することなどがスタートになるのではないかと思います。持続的な企業収益は働く人の意欲が不可欠ですが、そのためには気持ちよく働ける環境作りが必要だと思います。今一度組織の環境について見直していただきたいと思います。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人のテーマ支援記事です。オーサーが発案した記事テーマについて、一部執筆費用を負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】

博士(医学)・心療内科医・産業医・昭和女子大学客員教授

東京慈恵会医科大学卒業。同大講師を経て、1986年東京で日本初の女性クリニックを開設。2007年厚生労働省健康大使(~2017年)。2008-2010年、ハーバード大学大学院ヘルスコミュニケーション研究室客員研究員。日本医科大学医学教育センター特任教授(~2022年3月)。復興庁心の健康サポート事業統括責任者(~2014年)。被災地調査論文で2016年日本ストレス学会賞受賞。日本生活習慣病予防協会理事。日本ポジティブサイコロジー医学会理事。医学生時代父親の病気のため歌手活動で生活費を捻出しテレビドラマの主題歌など歌う。医師となり中止していたジャズライブを再開。

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