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京王観光による不正を支えた「指(し)ノミ券」

梅原淳鉄道ジャーナリスト
不正に用いられたと考えられる指ノミ券。金額欄はアスタリスクで埋められている。(GYRO PHOTOGRAPHY/アフロ)

旅行会社がキセルで2億円の支払いを免れる

 旅行業を営む京王観光は、社名からもわかるとおり、大手民鉄の一つである京王電鉄がすべての株式を保有する100パーセント子会社である。その京王観光は、同社が主催した団体旅行の際、JR西日本に対して不正に運賃・料金の支払いを免れていたという。不正は少なくとも2008(平成20)年から2018(平成30)年までの10年間にわたって行われており、同社が支払わなかった金額の総額は2億円に達すると報じられている。

 読者の皆様が最も興味を抱いているであろう具体的な手口について、被害に遭ったJR西日本は再発の恐れがあるとして具体的には明かさなかった。ただし、不正そのものの少なくとも一つの概要は報じられている。新幹線や特急列車の指定席を予約して実際に利用しながら、本来は必要となる指定席特急券を購入しなかったというものだ。なぜこのようなことができたのであろうか。筆者の推測を述べてみたい。

 なお、いわゆる「キセル」というと、乗車駅と降車駅との双方の付近のみの乗車券を購入し、途中の区間の運賃を支払わない行為を指す。今回推測される手口は厳密にはキセルではない。しかし、多数の正規のきっぷのなかに一部不正に発券したきっぷを混ぜるという手口であると思われ、麻薬の取引などで出てくる見せ金のような役割を果たしている。広義のキセルと言ってよい。

券面に金額が記されていない指定席特急券とは

 京王観光は今回のキセルに際し、JR旅客会社との協定に基づいて自社に設置されたマルス(Multi Access seat Reservation System)というJR旅客会社の座席予約・販売システムの端末を使用して、券面に金額が記されていない指定席特急券を発券したと考えられる。この結果、同社は団体旅客からは規定の指定席特急料金を受け取ったにもかかわらず、JR西日本に対してその指定席特急料金を支払わずに済ませることができたのだ。

 券面に金額が記されていない指定席特急券の発券自体は不正ではない。新幹線回数券や指定席特急回数券のように、あらかじめ指定席特急料金分が含まれたきっぷを購入した利用者が、旅行に当たって列車の指定席を確保する際に使用するために発券されるのである。このようなきっぷを部内用語で「指(し)ノミ券」という。指ノミ券の形状は指定席特急券と同じながら、指定席特急料金分は徴収済みなので、券面には金額は表示されないか、アスタリスクで埋められている。

 言うまでもなく、母体となるきっぷを持っていなければ指ノミ券は発券してもらえないし、使用することもできない。指ノミ券を発券した窓口の担当者は、その際に母体となるきっぷを確認したことを示すスタンプを押す。近年は母体となるきっぷとの関連性がわかるよう、マルスの端末からどちらにも同じ番号を印字する仕組みもあるという。さらには、近年は紙を節約するという意味合いもあるらしく、新幹線回数券や指定席特急回数券で座席を指定しても指ノミ券を発券しないケースが増えてきた。マルスの端末は母体となるきっぷを回収し、列車名や座席番号、列車の運転時刻が印字された新しいきっぷを発券する。

団体旅行特有の座席指定のシステムがキセルを実行させてしまったか

 ここまでの手順で不正を行うことはできない。にもかかわらず、なぜキセルが実行できたのか。それは、団体旅行における指定席の予約方法が鍵を握る。

 一般の旅客の場合、JR旅客会社によって運転される列車の指定席を予約し、購入できるのは列車の運転日の1カ月前からだ。現実には、1カ月以上前からでも事前の申し込みを受け付けるJR旅客会社や旅行会社も存在する。ただし、このような場合でも実際に窓口の担当者がマルス端末を操作して指定席の予約や発券作業を行う日は1カ月前だ。

 これに対し、旅行会社は団体旅行については指定席を旅行日の11カ月前から予約できる。この時点では旅行会社はJR旅客会社に対して指定席特急料金を支払う必要はない。まだ列車の詳細な時刻などが確定していないからだ。実際の旅行日までにダイヤ改正の実施が予定されているとしたら、列車の運転状況が大きく変わってしまう可能性もある。

 マルスを管理するJRグループの鉄道情報システム、通称JRシステムは、旅行会社から寄せられた指定席の予約に対し、差し当たり仮の列車として受け付けておく。JR旅客会社が列車の運転時刻を確定させた段階で、JRシステムは受付済みの予約を仮の列車から正規の列車へと読み替える。と同時にJRシステムは旅行会社に対して団体ごとに読み替えの確認を求める通知をファクスで出す。この通知を「読替対象団体一件リスト」、部内では「ヨリト」と呼んでいる。

 「読替対象団体一件リスト」を受け取った旅行会社は、すみやかに該当の団体ごとに予約を確認し、団体旅客の人数が確定したら正規の金額が記載された指定席特急券、そして団体乗車券を発券しなければならない。そうでないとJR旅客会社の売上にならないからだ。

 JRシステムの督促はなかなか厳しい。旅行会社が読み替えの確認を行わない場合、JRシステムは「読替督促連絡表」(部内用語は「ヨミレ」)を送る。さらに、読み替えの確認は行ったものの、団体の人数が決まらないといった理由で旅行会社がなかなか指定席特急券を発券しないときには「団体乗車券発券督促連絡表」(同「トクレ」)の送信を行う。という次第で、旅行会社は該当する団体の人数が確定したらその分の指定席特急券を発券し、代金をJR旅客会社に支払う義務が生じる。

 筆者の推測を述べると、京王観光はJRシステムによる読み替えを確認し、いよいよ発券という段階で、該当する団体の人数よりも少ない指定席特急券を発券した。残りの指定席特急券について、一部の報道では先ほど記した指ノミ券を同時に発券したとあるが、さすがにそのような行為はJRシステムから怪しまれるであろう。

団体旅客の周囲の座席は手つかずの空間か

 それではどうしたのか、さらに推測を続けたい。筆者の経験上、団体旅客の周囲の座席は指定席特急券が一般向けに発売となっても、長らく空席のままというケースが多いようだ。団体旅客はたいていは騒がしいので、すぐ隣の座席に一般の旅客を座らせようものなら車掌にクレームが寄せられる。無用のトラブルを避けようというマルスの配慮かもしれない。もう一つの理由として考えられるのは、確定したとはいっても団体旅客の人数は流動的なので、後日人数が増えるという状況を予想してマルスで指定席の予約を受け付けない状態に設定されていると考えられる。

 京王観光はいま挙げた余裕分の座席を悪用したのかもしれない。つまり、該当の団体旅客の人数よりも指定席を少なく予約していても、その周囲の座席は長く空席となっている。しかも、その指定席特急券を発券する優先権は該当の団体旅客を取り扱う京王観光に与えられているはずであるから、慌てる必要はない。

 本来は団体旅客の人数増に備えて用意された余裕分の座席に対し、京王観光は指ノミ券として発券した。つまり、団体旅客ではなく、一般の旅客が乗車するとJR旅客会社やJRシステムに偽ってマルスの端末の操作を行ったのだ。

 となると母体となるきっぷが存在しなければならないので、京王観光は同時に新幹線回数券や指定席特急回数券を発券した。団体旅客の場合、団体乗車券は1枚にまとめられており、改札口や列車の車内では団体旅客の添乗員が駅員や乗務員に人数を報告するだけで多くは利用できてしまう。このため、団体旅行の行程中で母体となるきっぷと指ノミ券とを照合する機会はほぼ生じない。かくして京王観光は団体旅行が終了した後に新幹線回数券や指定席特急回数券を払い戻し、本来はJR旅客会社に支払うべき指定席特急料金を不正に得たと考えられる。

マルスの端末の取り扱いを厳格に行っていれば、今回の不正も防ぐことはできた

 いままで推測した手口もマルスであれば見破るに違いない。指ノミ券に関連づけられている限り、新幹線回数券なり指定席特急回数券はたとえ1枚も使用していない状況であってもシステム上では払い戻せないからだ。

 恐らくは、指ノミ券をマルスにて発券する際に、母体となるきっぷとの関連づけ作業を省いたのであろう。このあたりはまだマルスも厳密ではなく、窓口の担当者が母体となるきっぷを目視で確認しただけで指ノミ券を発券できるようになっていたのだ。

 今回のような「キセル」の根絶するための方策は言葉にすれば簡単である。すべての指定席について乗車券と指定席特急券とをどのように徴収したかをマルスで管理すればよい。もしも、指ノミ券とその母体となるきっぷとを関連づける作業があまりにも煩雑で、いま挙げた対策が不可能というのであれば、指ノミ券自体を廃止するほかないであろう。新しいマルス端末では新幹線回数券や指定席特急回数券に座席を指定する際、新しいきっぷに差し替えていることもあり、今後はこの方式に一本化できるはずだ。

 しかしながら、指ノミ券を廃止しづらい事情も残っている。日本に短期滞在の外国人、または日本に居住していない日本人向けにJR旅客会社全線が乗り放題となるジャパン・レール・パスの場合、いまのところは指ノミ券の発券が避けられないからだ。付け加えると、1枚のジャパン・レール・パスに対して指ノミ券は無制限に発券でき、しかも母体となるジャパン・レール・パスへの関連づけも行われないという。

 こちらは少々解決が難しい。一度に指ノミ券を何枚も発券できる結果、新しいきっぷに差し替えるという方策を導入できないからだ。となると、母体となるきっぷで何とか指ノミ券を管理できないかを探っていく必要が生じるものの、ジャパン・レール・パスの磁気面に指ノミ券の情報をすべて書き込むにもデータ量の限界がある。ならばジャパン・レール・パスをICカードにして記憶できるデータ量を増やし、発券されたすべての指ノミ券に関する情報を記憶できるようにすればよい。副次的な効果として、時間が重複する指定席特急券であるとか、時間が重複しないまでも物理的に利用不可能な指定席特急券を発券できないようにするというジャパン・レール・パスが抱えている課題を解決できるはずだ。

 なお、ICカードのきっぷにするとJR旅客会社の全駅にICカード対応の改札機を設置しなければならないのではと考えるが、そうではない。新幹線や特急列車の停車駅に設置されていればよいので、現状でもほぼ達成済みだ。もしも未設置の駅であれば、専用の改札機ではなく、市販のICカードリーダーをもとに仕様を改めて、ジャパン・レール・パスの使用状況を書き込めるようにすれば導入コストを下げられて都合がよい。

 駅の改札口であるとか車内でのチェックを厳しくせよという声はよく聞かれる。今回のキセルは、京王観光が指ノミ券の発行に用いた新幹線回数券や指定席特急回数券を規定どおり使用させ、駅で確実に回収していれば未遂に終わっていた。その意味では駅員や車掌の業務怠慢だと批判する向きもあろう。

 しかし、多数の旅客でごった返す駅で大人数の団体旅客の携えるきっぷを常に確認する作業は難しい。それどころか、人数の把握すら困難で、旅行会社の添乗員の申告に頼っているのが現状だと言える。解決方法はあり、団体旅客も自動改札機を通るようにすればよい。団体旅客乗車券はICカードとして添乗員が携え、まずは自動改札機のリーダー部分にタッチし、その後、団体旅客一人ひとりが指定席特急券を自動改札機に挿入して通過するように改めれば今回のキセルは根絶できるし、駅や車内での業務の改善につながる。

 今回のキセルの手口が筆者の推測どおりであるか否かを問わず、根本的な問題はいま述べた点にはない。実を言うと、マルスの端末を不正に操作する側と、操作によって生じる支払い請求の権限を委ねられている側とが同一人物または組織であるという点が根本的な原因だ。支払い請求についての決裁を下す権限はいまもJRシステムに委ねられているものの、今後はさらに厳しく徹底しなければこの種の不正は方法を変えて再発するであろう。

鉄道ジャーナリスト

1965(昭和40)年生まれ。大学卒業後、三井銀行(現在の三井住友銀行)に入行し、交友社月刊「鉄道ファン」編集部などを経て2000年に鉄道ジャーナリストとして活動を開始する。『新幹線を運行する技術』(SBクリエイティブ)、『JRは生き残れるのか』(洋泉社)、『電車たちの「第二の人生」』(交通新聞社)をはじめ著書多数。また、雑誌やWEB媒体への寄稿のほか、講義・講演やテレビ・ラジオ・新聞等での解説、コメントも行っており、NHKラジオ第1の「子ども科学電話相談」では鉄道部門の回答者も務める。2023(令和5)年より福岡市地下鉄経営戦略懇話会委員に就任。

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