ラッパーのマチーデフさんに聞く、日本語ラップの平成史

新曲『ヘイセイ卒業式』を発表したラッパーのマチーデフさん

ラッパーのマチーデフさんが、平成をテーマにした楽曲を発表した。マチーデフさんは、1997年にラップをはじめ、ソロやグループで数多くの作品を出すほか、最近では、音楽原作キャラクターラッププロジェクト『ヒプノシスマイク(ヒプマイ)』とアニメーション映画『KING OF PRISM(キンプリ)』のコラボ作品のリリック制作や、声優の専門学校での講師など、多岐に及ぶ活動を行っている。

▼『ヘイセイ卒業式』

『ヘイセイ卒業式』では、日本の平成史をリリックで振り返っている。ボディコン、ボキャブラ天国、たまごっちなど懐かしい言葉から、リーマンショック、東京スカイツリー開業など最近の出来事まで平成の世をにぎわせたあれこれが次々に登場する。ところで、そもそもヒップホップという音楽ジャンル自体が、そのまま平成史と重なるのではないだろうか。だいたい平成の始まるころ、ヒップホップは産声を上げ、現在まで様々な変化・進化を遂げてきた。そこで今回はマチーデフさんに、「平成における日本のヒップホップの進化」について話を伺った。

(注)様々な個人名が登場しますが、記事の都合上、敬称略とさせていただきます。

撮影:猪瀬まな美/ノラネコデザイン(オフィシャルWEBサイト

撮影場所提供:音楽茶房 Buddy-Buddy(Facebook

ラッパーのマチーデフさん
ラッパーのマチーデフさん

(昭和56年~64年)昭和の終わりから存在した日本語ラップの黎明期といとうせいこう

―――日本のヒップホップの始まりはいつだったんですかね?

(マチーデフさん:以下表記なし)実際には、平成より少し前、いちばん最初に歌唱法としてのラップが取り入れられたのは1981年ぐらいですね。諸説ありますが、おそらくYMOがかなり早かった(※1)。あとは、吉幾三の『俺ら東京さ行ぐだ』(1984年)とか、歌唱法としてのラップは取り入れられていたけど、これはまあ、ジャンルとしてのヒップホップではないでしょうね。

―――ラップとヒップホップは違うものなんですか?

そうです。ラップは歌唱法で、ヒップホップというのはもう少し大きな文化を意味しています。具体的にはラップ、ブレイクダンス、グラフィティ、DJプレイがヒップホップの四大要素と言われていて。そういう意味で、スタイルとしてのヒップホップを日本で初めて導入したのはいとうせいこうさんと言われています。僕もそう思う。

いとうせいこうが1985年にリリースした『業界こんなもんだラップ』(iTunesSpotify)は、打ち込みのトラック(音楽)もそうだし、そのなかで流れているビートの鳴り方(リズム重視のビート)とか、スクラッチバトルみたいなものが曲の中に入っている。あと、ヒューマンビートボックスといって、今だとHIKAKINさんなんか有名ですけど、口で楽器を表現する手法が、実験的にすでに入っている。あ、あと、三連符と言って、通常は音符を四等分するところを、三等分したようなリズムがあって、これはラップでよく使われるリズムです。これをいとうせいこうさんはすでに取り入れていた。

CHECK!

『業界こんなもんだラップ』(いとうせいこう/1985)には、すでにヒップホップに不可欠な以下のような要素が含まれていた。

・打ち込みのDJトラック

・スクラッチバトル

・ヒューマンビートボックス

・三連符

―――ではこれを持って一応1985年を起点としましょう。平成が1989年からなので、平成が始まる4年前ですね。

いとうせいこうは明らかに、アメリカのヒップホップシーンを日本に移植するために様々な試みを行っている。それから、近田春夫の「President BPM」とか(※2)。でも、ここから一気に日本にヒップホップシーンができあがるかというとそうじゃない。いとうせいこうはマルチな才能を持った方なので、スタイルとしてのヒップホップを日本に持ち込んだのは間違いないけど、そこから文筆業をされたり、司会者を務められたりするので、あくまでいとうせいこうとか、近田春夫とか、メジャーフォース(※3)とか、そういうマルチな才能を持った人の活動の中の一つとしてヒップホップがあったというイメージ。

そのあとに『DJアンダーグラウンドコンテスト』という大会があって、これが1987年ぐらいから始まったのかな。これで、ECD(※4)とか、スチャダラパーとかが出てきた。

ちなみに、この頃僕はもう生まれていますが、まだヒップホップのヒの字も知らない(笑)。

(平成元年~7年)最初にチャートに肉薄したスチャダラパー。ラップがお茶の間に受け入られる平成初期

で、平成が始まる1989年は、確かにヒップホップ史的にはかなり重要な年で、Jungle Brothers(※5)、Public Enemy(※6)、De La Soul(※7)とか、かなりの大物が相次いで来日コンサートを行ったんですよ。

―――当時の日本はバブル絶頂期で、市場としてアメリカの次に大きかった日本に、大物アーティストが続々とやってくるようになったわけですね。

それもそうだし、アメリカでもヒップホップがもてはやされてた。黄金時代だったんですね。昔から洋楽好きの人は日本にもいるわけで、洋楽を聴いていた日本のリスナーの耳にもヒップホップが続々と届いている時期だった。

だから、アンテナの高い人はこの頃にヒップホップを聴いていた。それが、お茶の間にも届くのは、1991年ぐらい。まず、M.C.ハマーが世界的に大ヒットして、もちろん日本でも大流行した。

▼音楽に疎い人でも、1990年を生きていた人なら、知らないとは言わせない全世界的なヒット曲『U Can't Touch This』(MC Hammer公式より)

あと、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ/1985~1996)で『ダンス甲子園』(※8)というコーナーがあって、これはストリートカルチャーとしてのヒップホップダンスやブレイクダンス、ニュージャックスウィングなどを取り入れたダンスを披露していた。

―――とんねるずの番組にM.C.ハマーが出たりしてね。その辺の空気感は子どもの頃の記憶としてなんとなく覚えています。

そう。とんねるずのタカさんがものまねしてね。でもこの頃ももちろん僕もテレビを見ていましたけど、ジャンルとしてのヒップホップに目覚めたという感じではなかった。

そして、いよいよ1994年にはスチャダラパー featuring 小沢健二『今夜はブギー・バック』(iTunesSpotify)、EAST END×YURI『DA.YO.NE』(iTunesSpotify)がリリースされる。これら2曲の登場まではラップはエッジの立った人の間での流行だったり、ダンスなど一部分の流行だったりしたけど、これが、楽曲としてのヒップホップが世間に知れ渡ったファーストインパクトだったと僕は思う。

―――当時中学生だった僕も、その2枚は短冊形のシングルCDを買いました。

はい。今まで日本語ラップの歴史として、世間にラップが浸透するタイミングとして、大きなビッグバンは3回あったと思っていて、この2曲のヒットが最初のビッグバンですね。これがなければ、日本語のラップが世の中に浸透することはなかったかもしれない。

CHECK!

日本語ラップが世間に広まったファーストインパクトは、『今夜はブギー・バック』(スチャダラパー featuring 小沢健二『今夜はブギー・バック』/1994)、『DA.YO.NE』(EAST END×YURI/1994)。

  • 『今夜はブギー・バック』では、ヒップホップ業界では常套手段である、アーティスト間のコラボレーション・フィーチャリングが行われている。
  • EAST END×YURIは、1995年に日本のヒップホップアーティストとして初めて、紅白歌合戦への出場を果たす。

当時僕は中学3年生でした。実は僕もこのあたりでヒップホップの洗礼を受けて、ラップが大好きになったので。多感な時期にこのビッグバンを経験できたことで、ラッパーを目指すきっかけになりました。

―――いい話。

(平成8年~10年)メジャーシーンのJ-Rapと、アンダーグラウンド勢の対立。さんピンCAMP

でもね、これで世間にヒップホップというジャンルが浸透はしたけど、一方でとても誤解されてしまったというか、コミカルな要素が強かったのが災いした。アンダーグラウンドでヒップホップやってる人たちにとっては反発が生まれたわけです。テレビでは流行っているあいつらは偽物だ、というムードが生まれてきた。

当時、J-POPに対してJ-RAPという言葉があったんですが、これが世間にもてはやされた。J-RAPというくくりの中で紹介されていたのは、スチャダラパー、EAST END×YURI、m.c.A・T(※9)とか。で、アンダーグラウンドで地道にヒップホップやっていたECD、YOU THE ROCK★(※10)あたりは気に入らなかったわけですよ。世間との温度差が、アンチJ-RAPというムードにつながった。

90年代ヒップホップ界に起こった抗争を、慎重に語るマチーデフさん。
90年代ヒップホップ界に起こった抗争を、慎重に語るマチーデフさん。

そのうねりみたいなものが、『さんピンCAMP』(1996年)という伝説のイベントにつながっていきます。さんピンCAMPは、ECDが主催で、当時J-RAPという言葉や現象に対してアンチの立場を取っていた人たちが一同に集まることになった。ECD、BUDDHA BRAND(※11)、RHYMESTER(※12)、キング・ギドラ(※13)とかが出演して、若者たちを熱狂するイベントになった。

で、僕はというと、元々ラップを知ったのがそのJ-RAPだったから、狭間で気持ちが揺れ動くことになった(笑)。当時はインターネットとかないから、情報も少なくて、テレビが情報源だったんですが、『えびす温泉』(1994~1997年)という番組に出ていたEDUというアーティストが好きで、よく聴いていました。でも、高校に入学したら先輩に「お前こんなの聴いてちゃダメだ」と言われて、で、BUDDHA BRANDとかキング・ギドラとか、RHYMESTERの曲が入った自作テープを先輩が僕のために作ってくれて。実はその高校の先輩は東京ブロンクスという名前でライターになるんですが。その先輩のおかげで、ヒップホップの世界がとても広がった。そして「もう今日からJ-RAPという呼称は使っちゃダメだ。ジャパニーズヒップホップと呼べ」と釘を刺されました。

で、そういうテープを聴きながら、でもEDUもスチャダラパーも聴いてました(笑)。このころの微妙な気持ちを表現したのがこれ。

―――B-BOY青年の青春ですね。

当時のアンダーグラウンドのヒップホップの空気感を知る手がかりとしては、LAMP EYEの『証言』(iTunes)という曲とかを聴いてもらうといいと思うんですが。ここに参加したYOU THE ROCK★は、「巻き起こすJ-RAPとの戦争」と歌っています。

CHECK!

LAMP EYEの『証言』は、YOU THE ROCK★、Zeebra、DEV LARGEなど当時のアンダーグラウンドシーンの大物MCが参加した日本語ラップの金字塔。この頃、お茶の間には知られていないアンダーグラウンドシーンで、日本語ラップはじわじわとコアなリスナーを獲得していく。

(このあと、アンダーグラウンド勢の『さんピンCAMP』と、J-RAPという現象との対立について、様々な話をするが、割愛。日本のヒップホップの歴史を語る上では重要なテーマなので、知りたい人は検索してみてください。)

(平成11年~13年)Dragon Ashが世界を変えた! KICKにRIP、女性リスナーを獲得するまで

……まあ、そうやって、明らかに当時のヒップホップ業界は世間にちゃんと浸透していなかった。で、そこにセカンドインパクトがやってきます。Dragon Ashですね。『Grateful Days』(Dragon Ash featuring ACO, Zeebra/1999)。

▼『Grateful Days』は現在公式ではMVを見ることはできませんし、iTunes、Spotifyでも試聴できません。当時のDragon Ashの雰囲気を見てもらうため、『Deep Impact』(2000年)の公式リンクを張ります。

Dragon Ashはヒップホップの要素も取り入れたミクスチャーバンドです。『Grateful Days』で共演したDragon AshとZeebraは後に仲違いするんですがね……。でも、『Grateful Days』が果たした役割はやっぱりすごくて、まずそれまでアンダーグラウンドで活躍していたヒップホップの人たちがこのあとに続々と活躍の場を広げるんです。あと、ビデオなんか見てもらうとわかるんですが、ボーカルの降谷建志がかっこよかった(笑)。それがなんで大事かというと、一気にヒップホップは女性リスナーを獲得したんですね。

そして、この2年あとにメジャーシーンに登場する、KICK THE CAN CREW(2001年『マルシェ』(iTunesSpotify)、RIP SLYME(2001年『STEPPER'S DELIGHT』(iTunesSpotify))なんかが典型ですけど、この頃のヒップホップは女性リスナーを増やした功績が大きい。

要するに、先ほどのファーストインパクト(ブギー・バック、DA.YO.NE)の頃は、コミカルな印象というか、所詮は大きな音楽業界のなかでヒップホップというのはイロモノ的な、亜流の扱いだった。『だんご三兄弟』とか『PPAP』とか、J-POPのなかで時折変な曲が流行しますが、そのなかの一つみたいな扱いしかされなかったわけです。で、アングラではヒップホップを愛する人たちがくすぶっていた。

それがセカンドインパクトで、ついにかっこいい曲としてヒップホップが広まった。だから女性ファンも増えた。スチャダラパーもEAST ENDもずっと活動しているヒップホッパーでかっこいい曲がたくさんあるんですが、世間的には「ブギー・バックの人」、「DA.YO.NEの人」というある意味ゆがんだ認識のしかたをされてしまった。先ほどの『さんピンCAMP』の頃は、もちろんアンダーグラウンドで熱いシーンがありましたが、リスナーは圧倒的に男が多かったんです。でも、『Grateful Days』以降は女性リスナーが増えた。

CHECK!

世間への日本語ラップのセカンドインパクトは、『Greatful Days』(Dragon Ash featuring ACO, Zeebra/1999)。曲中のZeebraのライムの冒頭には、『俺は東京生まれHIP HOP育ち、悪そうな奴は大体友達』という、おそらく日本のヒップホップの歴史のなかで、最も有名なリリックが登場する。その後1,2年のスパンでKICK THE CAN CREW、RIP SLYMEなどがブレイクを果たす。

00年代前半は明らかにヒップホップバブルで、当時はヒップホップのCDが信じられないぐらいのセールスを売っていた。でも、そこから音楽産業全体が、CDが売れなくなってきて窮地に立たされる時代に入ったんです。だから、ヒップホップという音楽ジャンルは、CD産業の最後の恩恵を受けた音楽ジャンルだと言われていて。ラップっぽい言い方をすると、”メイクマネー”したわけです。

その元をたどるとDragon Ashなので、あの曲の果たした役割はめちゃくちゃ大きい。

(平成14年~26年)ヒップホップバブルから冬の時代へ。フリースタイルダンジョンまでの道のり

―――先ほどヒップホップが世間に浸透したインパクトは3回あると言いましたが、最後の3回目はなんですか?

『フリースタイルダンジョン』(テレビ朝日/2015年~)ですね。もはやバンドやミュージシャンでもない。テレビ番組が生み出したインパクトが、サードインパクト。

―――セカンドインパクトが1999年ですから、ずいぶん時間が経過しますね。その間は目立った変化はなかったんですか?

いや、もちろんヒップホップ業界的にはいろんなことがありました。語りたいことは山ほどあるんですけど、でも世間的にはこの3つのビッグバンが大きいですね。

―――では、『Greatful Days』から『フリースタイルダンジョン』の間で起こったいくつかのことをかいつまんで教えてください。

そうですね。では、『韻』の話をしましょうか。80年代のいとうせいこうさんの頃は、せいぜい語尾の1音、2音だけ韻を踏んでいて、ダジャレ的な韻の踏み方も多かった。90年代中盤になると、キング・ギドラ、まあK-DUB SHINEですけど、彼が母音をそろえて名詞で踏むとか、倒置法で踏むとか、そういう日本語で韻を踏む際のマナーを作り上げたわけです。

少し専門的な話になりますが、日本語は普通に文章を作ると動詞で終わることが多いですよね。『私は歩く』とか。動詞は走る、歩く、考える、などほとんどすべて母音が『U(う)』段で終わる。形容詞も美しい、はかない、神々しい、など『I(い)』段で終わる。よって普通にリリックを作れば簡単に『U』『I』で韻を踏むことができるけど、これでは意外性がなくて面白くない。よって倒置法を使って名詞で韻を踏むことによって、意外な言葉同士で韻を踏むことが技法として良しとされるようになりました。現在もこのルールは日本語ラップとしては基本的なマナーとなっています。

あと、2音じゃなくて、3音、4音で踏むとか、長い音節で韻を踏む技術を確立したのがキング・ギドラです。

韻について細かく解説するマチーデフさん
韻について細かく解説するマチーデフさん

で、『大掃除』なんて曲があって、未熟なラッパーに対してちゃんと韻を踏めよとディスる歌なんですよ。で、みんな、「やべぇ、韻踏まなきゃ」ってムードが広まった。Zeebraも参加した『Grateful Days』はその流れを結構汲んでます。で、00年代にNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDというMC集団が出てくるんですが、彼らはわりと自由だったんですよ。

▼NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDのデビューアルバム、『NITRO MICROPHONE UNDERGROUND』

iTunesSpotify

トラックやMCも含めて、音楽的にとても海外っぽい。DELIというMCは高い声で、しかもはっきり発音しないこともあって、聴き取りづらいところもあったけど、それがとても海外っぽくて、かっこよかった。当時Wu-Tang Clan(※14)っていうアメリカのアーティストが流行っていたんですけども、集団でMCする感じが彼らを彷彿とさせた。すごく簡単に言うと、日本語なのに洋楽っぽく聞こえた。それで、韻踏まなきゃという文化が、少し変化した。

―――いま話を聞いてて思ったのは、日本語ラップは、アメリカを中心とした英語圏のヒップホップに対するコンプレックスと、J-RAP的な取り上げられ方をされる世間という、二重のコンプレックスを抱えていたわけですね。

ですね。でも、ヒップホップは貧困とか、抑圧から生まれる音楽なので。コンプレックスをバネに頑張ってきたというのは、理にかなってますよね。だから日本語でラップをやるという行為が、すでにヒップホップ的な要素がある。英語圏には劣っているという思いが常にあって、それをヒップホップ的解釈で乗り越えてきたのが、まさにヒップホップの歴史。

NITRO MICROPHONE UNDERGROUNDが出てきたあとも、俺たちは韻を踏む、という人たちはたくさんいたし、メジャーどころだとKICK THE CAN CREWなんかは思いっきり韻を踏みまくっている。そうやって、日本語ラップにも様々な潮流が出てきたのが、00年代に入ってからなのかな。ケツメイシなんかもね。あれは僕の中では、ラップとレゲエをミックスした人。

あとは、Def Techあたりが早かったと思うんですが、母音を省略する技術が出てきた。日本語は子音と母音の組み合わせ、あるいは母音のみという単語だけど、英語には子音だけという音もあり、これが日本語と英語で詞を曲に載せる際に障壁となっていた。そこで母音を省略することで、少し英語っぽく滑らかに聞こえるみたいなものが流行るようになってきた。Def Techの『My Way』を聴いてみましょう。

▼オフィシャルMVより

サビで、「そばにいないから」と歌っていますが、そばに(い)ないから、と「い」を省略しています。「冷静と情熱の間で」というリリックでは、「れ(い)せ(い)とじょ(う)ねつの間で」と歌っていますね。

あとはねえ、ハスラーラップというガチストリートから出てきた人たちの台頭もあって、これも00年代後半。SCARS(※15)とか、練マザファッカー(※16)とか。それまで日本語ラップは、アンテナ高い人、つまり圧倒的に裕福な環境で育った人が多いけど、本当は貧困とか満たされていない人たちからヒップホップは生まれたものだから。ちなみに、SCARSが2006年に出した「Homie Homie Remix feat. SWANKY SWIPE」(iTunesSpotify)を聴くと、これも「生きたいように生きる神奈川・東京」という歌詞が「いきた(い)ように(い)きる神奈川・東京」と歌っている。

10年代になると、よりスピード感が出てきて、世間で話題になっている事柄を誰が最初にラップするかという話になってくる。たとえばピエール瀧さんが逮捕されて、そのことを誰がいちばん最初にライムに乗せるか、みたいな戦いになってくる。

―――それはインターネットの役割が大きいというか、メディアとしての表現手段がCDから配信・ストリーミングに移ったことも大きいでしょうね。

それは関連してると思います。今はアメリカと日本との流行の距離感はほとんどないし、海外で流行ってるやり方をすぐ日本で持ってくるというそのスピード感の勝負にもなっています。ここのところ、特にその流れが強まってきています。

でも、総じて僕の肌感覚としては、音楽業界全体がシュリンクするなかで、00年代後半からフリースタイルダンジョンが始まるまでっていうのは、わりと冬の時代だったんじゃないかなって。

(平成27年~令和元年)フリースタイルダンジョン、ヒプノシスマイク。歴史は繰り返される

―――いろいろありましたが、ここでフリースタイルダンジョンに戻ってきましたね。

はい、サードビッグバン。現在進行中の現象ですが、フリースタイルダンジョンが作ったビッグバン。すさまじい。僕もこの現象のおかげで講師としての仕事が増えて、生活できています。歴史は繰り返すじゃないですが、僕としては、フリースタイルダンジョンを、さんピンCAMPの時と重ねてしまう。というのは、MCバトルも元々は男の子のカルチャーだった。高校生ラップ選手権で沸々としていたものがフリースタイルダンジョンで一気に噴火して男性リスナーを爆発的に増やした。そして女性リスナーも増えた。この流れがさんピンCAMPの盛り上がりを彷彿とさせる。

だとすると、ヒプノシスマイクは、『Grateful Days』なものになり得るかもしれない。女性のファンが多いので。

僕は声優学科のある専門学校でラップの授業をもっているんですが、選択科目で、興味のある生徒しか来ないんですね。で、これまでは男の子が7:3ぐらいで多かったのが、去年あたりから男女の比率が逆転して。なんで? って思うじゃないですか。それで聞いたら、ヒプノシスマイクだっていう。ここまできてるんだと思いました。とにかく若い世代を中心に大きな現象となりつつあります。

ヒプノシスマイクは、2017年にはじまった、男性声優のラップ集団によるプロジェクト。10代の女性を中心にファンが多い。プロジェクトには、日本のヒップホップ業界の第一線で活躍しているアーティストが多数参加している。

▼ヒプノシスマイク Division All Stars『ヒプノシスマイク-Division Battle Anthem-』

▼Fling Posse VS 麻天狼『BATTLE BATTLE BATTLE』

ここまでくると、もう完全に、「悪そうなやつ」たちがやるものじゃなくなっていて、それは完全にフリースタイルダンジョンとヒプノシスマイクの影響。それまでのラッパーと違って、スーツやネクタイを着用してラップバトルに登場したDOTAMA(※17)くんとかが活躍しているのも影響していると思う。

でも、いわゆる”陰キャ”の生徒がラップで対抗するというのは、ヒップホップの理にかなってるかなって。さっきのコンプレックスをバネに成長してきたという話つながる。

僕自身も、ヒプノシスマイクがらみの仕事をたくさんいただいて、これは後々語られるような次の波になるのか、ならないかまだわかりませんが、とにかく最新の現象であることは間違いありません。

CHECK!

2015年に放送を開始した『フリースタイルダンジョン』は、現在進行中のサードインパクト。平成の終わりに、再びラップが世の中的にブームとなる現象を巻き起こした。また、テレビ番組のフォーマットとしても新鮮なこともあり、ラップに興味がなかった若い世代も巻き込み、かなりのブームを巻き起こしている。それまでプロフェッショナルのものだったラップを、一般人でも活躍できる機会があるもの、と再認識させた功績も大きい。

また、そのラップバトルをテーマにした声優によるプロジェクト、ヒプノシスマイクも大変人気となっている。

―――先ほど00年代後半からフリースタイルダンジョンまでを「冬の時代」と表現しましたけど、僕としては少し意外で。平成という時代を通して、常にラップ・ヒップホップは日本の音楽界のなかで地位を高めてきた印象があって。

ヒップホップシーンで見れば、明らかに末広がりだし、カルチャーとしてはどんどんどんどん大きくなっていってますよね。それを冬の時代って表現しているのは、単純にお茶の間に衝撃を与えるビッグバンがなかったっていう意味です。でも常にカルチャーとしては広がり続けている。

今日話した通り、平成が始まる1989年というのは日本語ラップが始まった頃と重なってるし、フリースタイルダンジョンはちょうど平成の終わりぐらい。

僕の持論としては、世の中が不安定になるとヒップホップが強くなるってのがあって。今夜はブギー・バックやDA.YO.NEのころは、阪神大震災やオウムの問題があった。『Grateful Days』は1999年で、世紀の終わりというか、ある種の終末感があった。3・11の時もね、直後にヒップホップアーティストがめちゃくちゃ曲を発表しまくってた。

―――ヒップホップは、歌詞に事象を取り込みやすいからなのかもしれませんね。

日常的な言葉を詞に乗せやすいですからね、ヒップホップは。自分の意見も発表しやすいし。あと、ヒップホップは、既存のものに新しい価値を付加するっていう美学もあるんですよ。レコードがこすれる音をスクラッチとして音楽に取り入れたりとか。僕、その感じがすごく好きで。その感じが今の時代に合っているのかもしれませんね。

マチーデフさん『ヘイセイ卒業式』
マチーデフさん『ヘイセイ卒業式』

マチーデフさんの新曲『ヘイセイ卒業式』に込めた思い

―――マチーデフさん、今日はありがとうございました。最後に、そんな日本語ラップが産声をあげて大活躍した平成をテーマにしたご自身の楽曲『ヘイセイ卒業式』についてお伺いしたいんですが。

放送局で働いている知り合いに「平成ありがとう」みたいな曲作ったら? と言われたんですよ。今回は生前退位ですし、自粛ムードが薄いから、胸を張って歌ってもいいだろうと言われた。でも、一つ気になるのは、そんな大きなテーマを僕が歌っていいのかという。扱うテーマが巨大だと思って。ビッグアーティストがやるべき仕事なんじゃないかと思った。

そんなときに、卒業式の呼びかけってあるじゃないですか? 「みんなで行った、修学旅行!(修学旅行!)」みたいな。これ、みんな経験していると思うんですけど、そのコール&レスポンスが少しラップみたいだな、と思って。「なんとかした修学旅行!」みたいに、体言止め、倒置法を多用するのも、ラップっぽい。

―――ああ、そこにつながるのか。

しかも文字数でリズムを刻んでいて、ちゃんと気持ちいいフレーズになってるんですよ。で、先ほどの平成というテーマと卒業式というモチーフを使って、みんなで合唱みたいにすれば面白いと思って。それで、ようやく平成というテーマで一曲書ける気分にあった。みんなで歌えばあんまりおこがましくもないし、イケると思って。曲作りではいつも、アイデアがいくつかあって、それがくっついて一つになるみたいなことが僕の場合多いです。あと、アルバムの最後の曲をビックバンドみたいなトラックで仕上げたいという思いがあった。卒業式の呼びかけとビックバンドって合うじゃんって直感的に思って、それでアルバムの最後の曲もこれにしようと決まった。平成はいいことも悪いこともありましたけど、次の時代へ向かって明るい感じの曲にしたかった。

―――平成×卒業式という要素が重なって、この曲ができたわけですね。

1日で33人分の声のレコーディングしたんですよ。1人あたり15分で時間を割って、これって録音スケジュールとしてはかなりタイトだと思うんですけど、エンジニアさんにも無理を言って頑張ってもらいました。僕は先述の通りラップの講師もやってますので、普通の人にいかにラップしてもらうかということに関してはかなり修業してきたつもりで。しかもいわゆるプロじゃない人もたくさん含まれている。

―――僕もラップしました(笑)。

梅田君にもラップしてもらって。『ラップの教科書』(リットーミュージック)という本を出して、ラップの講師もやって、プロじゃない人にラップしてもらうという経験をたくさんやっている。そういう意味でも、『ヘイセイ卒業式』は自分にしか作れない曲になってるかなと思いますね。

―――そんな『ヘイセイ卒業式』が含まれたニューアルバム、『メガネシーズン』については?

僕の中ではもう最高傑作。38年生きてきて、自分が最高責任者として製作総指揮を担ったもののなかで、いちばんいい出来だと自負しております。是非、聴いてください。

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【注釈】

  • (※1) YMOのアルバム『BGM』に、「RAP PHENOMENA(ラップ現象)」という曲があり、自然現象の一つである「ラップ現象」について、Rapで表現するという洒落を利かせている(iTunesSpotify)。作詞・作曲は細野晴臣。英訳・ピーター・バラカン。また、YMOのアルバム『増殖』でコラボしたスネークマンショーも、1981年に『咲坂と桃内のごきげんいかが1 2 3』という楽曲を発表している。
  • (※2)特に、有名人のスキャンダルを執拗に追いかけるマスコミを痛烈に批判した1986年の『MASS COMMUNICATION BREAKDOWN』(iTunes)は、当時の東京のストリートカルチャーの最先端という感じで面白い。管楽器が今聞いても非常にかっこいい。マチーデフさんも梅田もオススメの楽曲。
  • (※3)メジャーフォース=中西俊夫、高木完、藤原ヒロシ、屋敷豪太など当時の最先端カルチャーを体現していたミュージシャン・アーティストによるインディーズレーベル、レコード会社。このレーベルから、メジャーデビュー前のスチャダラパーはデビューアルバムを発表することになる。
  • (※4)ECD。1990年デビュー。1992年アルバム『ECD』(iTunesSpotify)。2018年死去。
  • (※5)Jungle Brothers。ヒップホップにジャズやハウスなどの要素を取り入れた先駆者。1988年『Straight Out The Jungle』(iTunesSpotify)でデビュー。今聴いてもクール。
  • (※6)Public Enemy。1982年結成1987年デビュー。1990年の『Fear of a Black Planet』(iTunesSpotify)は、パブリックエネミー(社会の敵)という名前なのに、アメリカ・カナダ・イギリスはもちろん、南半球はオーストラリア、ニュージーランド、非英語圏のドイツ、スウェーデンでもチャートインして受け入れられた。
  • (※7)De La Soul。1989年『3 Feet High and Rising』。MC同士が掛け合いをするなどコミカルな要素が多く、ラップの裾野を大きく広げた功績は大きい。話は変わるが、日本のミュージシャン『EGO-WRAPPIN'』のバンド名の由来は、彼らがインタビューの場で、「近頃の若者はEgo-Wrappin'(エゴを隠していて、何を考えているのかわからない、のような意味)だ」と発言したことから。
  • (※8)ダンス甲子園。山本太郎(元タレント、現参議院議員)が素人時代にデビューしたのはこの番組がきっかけであることは有名。LL BROTHERSなどもこの番組をきっかけに有名になった。
  • (※9)m.c.A・T。1993年、『Bomb A Head!』(iTunesSpotify)でブレイク。後にダンス&ボーカルユニットDA PUMPをプロデュース。ラップ=ヒップホップ業界では黙殺に近い評価だが、先駆者としての評価はもう少しされてもいいかもしれない。
  • (※10)YOU THE ROCK★。日本のヒップホップシーン最古期から活躍するラッパーの1人。1992年、YOU THE ROCK & DJ BENとして『NEVER DIE』、『TIGHT BUT FAT』をリリース。世間的には、特に客演としての活動が多く、2000年にNONA REEVESとコラボした『DJ! DJ!~とどかぬ想い~』(iTunesSpotify)や、ピチカートファイブとコラボした『東京の合唱』などが有名。
  • (※11)BUDDHA BRAND。リーダーのDEV LARGEを中心に結成。1996年メジャーデビュー。
  • (※12)RHYMESTER/ライムスター。1993年デビュー。特に2002年の『ウワサの伴奏』(SpotifyiTunes)は生演奏を取り入れたアルバムとして玄人筋から評価が高い。中心人物の宇多丸は、映画評論家や文筆家、ラジオパーソナリティとしても知られている。
  • (※13)キング・ギドラ。現在の表記はKGDR。Zeebra、K DUB SHINE、DJ OASISの3人。1995年デビューアルバム『空からの力』(iTunesSpotify)には、『フリースタイル・ダンジョン』という楽曲がある。1996年に活動休止するも、その後の個人の活躍によって伝説のクルーと化す。特にZeebraは、日本語ラップのご意見番中のご意見番として、Greatful Days、フリースタイルダンジョンなどヒップホップシーンの重要な企画に関わる。2002年、2011年に再結成。
  • (※14)Wu-Tang Clan。1992年デビュー。1997年のアルバム『Wu-Tang Forever』(iTunesSpotify)は、当時のヒップホップではめずらしくUS・Billboardチャートの1位になる。
  • (※15)SCARS。ハスラーラップの代表格。川崎市を本拠地に様々なバックボーンを持つメンバーで構成される。文中で紹介されている曲は2006年のアルバム『THE ALBUM』に収録されている。
  • (※16)練マザファッカー。東京都練馬区を拠点に活動。TBSのバラエティ番組『リンカーン』の企画で中川家剛がラッパーとして加入したことも。
  • (※17)DOTAMA。元々ラップバトルの常連だったが、2016年フリースタイルダンジョンへの出演を機に世間にも知られるようになったラッパー。テレビで知名度を上げる中発売したベストアルバム『DOTAMA BEST』(iTunesSpotify)は高セールスを記録。