【過去作品全解説付き】ソフィア・コッポラ新作「ビガイルド」。南北戦争の話に隠された、現代的な視点

南北戦争時代の人里離れた女学校を舞台にした、「2つの視点」の映画

ソフィア・コッポラ監督の新作「The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ」(元題:The Beguiled)が2月23日、TOHOシネマズ六本木ヒルズをはじめ日本国内各地の映画館で公開される。アメリカでは昨年5月24日に初公開された作品で、カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品され、監督賞に輝いた。玄人好みのサスペンススリラーで、コッポラの新境地を感じさせる作品となっている。個性派・実力派揃いの女優陣のなかでも、主役を務めるニコール・キッドマンの演技は群を抜いて素晴らしかった。

「The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ」(c)2017 Focus Features LLC. All Rights Reserved.
「The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ」(c)2017 Focus Features LLC. All Rights Reserved.

舞台は南北戦争時代のアメリカ。南部にある人里離れた男子禁制の“女子寄宿学園”に、負傷した北軍の兵士がやってくる。先生も生徒もみんな女性という空間に、突如登場した北軍・兵士・男性というまったくの異物。多感な少女時代を過ごす生徒たちは(そして、先生たちも)、若い兵士に並々ならぬ興味を抱く。オブラートに包まず言えば、それは性的な興味だ。世慣れた兵士は、そんな状況を楽しんでいたが、ある事件をきっかけに兵士と彼女たちの関係は悪化していく……。

「The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ」(c)2017 Focus Features LLC. All Rights Reserved.
「The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ」(c)2017 Focus Features LLC. All Rights Reserved.

この作品は最初、女社会の怖さを描いたものだと思った。ある意味、それは間違いではないだろう。「カッコーの巣の上で」「ドッグヴィル」のような、異常な閉鎖環境にひょんなことから、何も知らぬあわれな異物が放り込まれるストーリー。実際、このあわれな男性は、その無邪気さゆえにあわれな結末を迎えることになる。これは物語の1つの軸だ。そして映画館を出て、日常生活に戻り、ふと映画を思い出したとき、もう一つの、重要なテーマに行き当たった。この映画には、通奏低音のように、隠された現代的なテーマがあるように感じた。そのテーマこそ、彼女がずっと描いてきたある主題である。優れた映画はいくつかのメッセージを内包している。そして、この作品もそうだ。それは何か、もう少し後で語ろう。

”現代の巨匠”の新作をぜひ劇場で体験しよう

ハリウッドの大作や、邦画のヒット作を好きな人にとって、この作品は少し地味な印象を受けるかもしれない。もちろん、映画好きは間違いなくこの作品を気にいるだろう。でも僕はあえて、「ヒット作しか観ないよ」という方にこそ、この映画をおすすめしたい。なぜなら、ソフィア・コッポラこそ、「現代の巨匠」という称号にふさわしい映画監督だからだ。巨匠・宮崎駿の新作が出来不出来に限らず毎回必見のように、ソフィア・コッポラも巨匠の域に達する監督なので、ぜひ新作も劇場で見てほしい。特に、この巨匠の作品はハズレがない。え? ソフィア・コッポラを巨匠と呼ぶのに抵抗があるって? 確かに、フランシス・フォード・コッポラの娘に産まれたこともあり、親の七光り的な陰口をたたかれがちかもしれない。でも、僕が思うに、この人は父を上回る才能の持ち主である。あくまで映画好きの一人である僕の意見としては。

アメリカの映画監督の巨匠と言えば誰を思い浮かべるだろう。スティーブン・スピルバーグ(71歳・男性)。まさに巨匠にふさわしい。ウディ・アレン(82歳・男性)。なるほど、確かに。他に、映画好きでなくても誰もが名前を知っている監督といえば、「タイタニック」・「ターミネーター」のジェームズ・キャメロン(63歳・男性)、「タクシードライバー」・「ヒューゴの不思議な発明」のマーティン・スコセッシ(75歳・男性)あたりだろうか。みんな、おじいちゃんですよね。もちろん、最高にキレキレの天才おじいちゃんたちですが。

さて、ソフィア・コッポラ(46歳・女性)は、性別的な意味でも、年齢的な意味でも、おじいちゃんではない。ついでに言えば、今までの興行収入で言えば、大ヒット作が出ていないと言えるかもしれない。ただ、実はデビュー作から現在まで1000万ドル(10億円)の興行収入を切ってないのは、「ハズレがない」という裏付けになっているし(実はウディ・アレンなんかもっと興収が低い作品を量産している)、これまで6作も良作を出している監督を、「親の七光り」などとは決して呼べないだろう。しかも、もし七光りなら、一作目が大きく当たって、後は下降線をたどりそうなものを、彼女はここまですべての作品で、キャリア一作目の興収を上回っている。

ソフィア・コッポラ過去6作品の興行収入(世界)

  • ヴァージン・スーサイズ $10.4 million
  • ロスト・イン・トランスレーション $119.7 million
  • マリー・アントワネット $60.9 million
  • SOMEWHERE $13.9 million
  • ブリングリング $19.1 million
  • The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ  $27.4 million
出典:データ引用元:Box Office

彼女がずっと描いてきた、セレブの孤独…「マリー・アントワネット」「SOMEWHERE」「ロスト・イン・トランスレーション」

ここでソフィア・コッポラの過去作を簡単に振り返っておきたい。彼女が過去作のなかでずっと描いてきたのは、セレブの孤独である。映画「マリー・アントワネット」では、まさに「セレブの孤独」という言葉が、世界中、そして歴史上これ以上ないほど似合うマリー・アントワネットの人物像に迫っている。彼女はこの歴史上まれに見る「誤解」の上に倒れた悲劇の女王を、現代の観客に感情移入させるべくリブートさせている(ちなみに、かの有名な「パンがなければケーキを食べればいい」という言葉は、彼女が口にした言葉ではないことが確定している)。生まれた時から有名人の娘として注目を集め続けてきたセレブである、ソフィア自身が、「世界的な誤解」を解きあかしていく。

苦難を乗り越えるも、民衆の作られたゴシップに沈むマリー・アントワネット  (c)2005 I Want Candy LLC.
苦難を乗り越えるも、民衆の作られたゴシップに沈むマリー・アントワネット  (c)2005 I Want Candy LLC.

「SOMEWHERE」は、ベルサイユ宮殿を貸し切った大作マリー・アントワネットとは打って変わって、ロードムービー的な作品に仕上がっているが、孤独の深さではちょっと比べようもないレベルだ。世界的なスター「ジョニー・マルコ」の日常に密着しながら、やりたいことがなくなってしまった男を描く、ソフィア・コッポラのなかでもひときわ重たい作品だ。スティーヴン・ドーフの演技も相まって、見るのがとてもつらい作品になっている(DVDで鑑賞した僕はその辛さゆえ何も度も停止ボタンを押したくなった。しかし不思議と、見終わったあとに思い返すと、とても大好きな作品である)。世界的な「道化」と化した、からっぽで、誰にも理解されない男。

そんな彼が世界中でたった一人心を許せる、離婚した奥さんとの間の娘・クレオ(エル・ファニング)との交流は、寒々とした、乾いた作品における一筋の淡い光だ。陰鬱なストーリーを後半までぐっと我慢していただいて、あの甘美なプールのシーンを見てほしい。

娘との日々を通じて、空っぽな胴体にほんの少し心を宿したマルコ。しかしそれは、これまでの孤独に向き合うということでもある。弱い心はそれに耐えられるのだろうか。この作品のエンディングは、ハッピーエンドにもバッドエンドにも見える。あなたはどちらに見えただろうか。友人と語り合ってほしい。

娘とパパとの関係は、まさにセレブである父、フランシス・フォード・コッポラを想起せずにはいられない。これは、ソフィアからの「父へのラブレター」なのかもしれない。

世間にいいように扱われいつも多忙だが、自分が何をやりたいかは見失ってしまった主人公。 SOMEWHERE (c)2010-Somewhere LLC
世間にいいように扱われいつも多忙だが、自分が何をやりたいかは見失ってしまった主人公。 SOMEWHERE (c)2010-Somewhere LLC

セレブの孤独は、「ロスト・イン・トランスレーション」にも現れている。この映画は、200万ドルのギャラで日本のウィスキーのCMに出ることになった斜陽のハリウッドスター(ビル・マーレー)が、カメラマンの夫にくっついて東京に来ることになった女(スカーレット・ヨハンソン)と恋に落ちる話である。僕たちが見慣れた新宿や渋谷やありふれたカラオケボックスなどの風景が、こんなにもロマンチックだったのかと感じずにはいられない作品だ。外国人から見た日本の変なところ(CMディレクターの指示をぜんぜん丁寧に訳してくれない通訳や、やけに低い場所に設置されたシャワーなど)が満載で、そういう視点から見ても面白い映画だ。この作品の主役、ビル・マーレーは、スターの日々にとても疲れている。そして何かを諦めてしまったようにも見える。そんな孤独な男の淡い恋は、小さなささやかな宝箱のように美しい。

東京の雑踏にたたずむスカーレット・ヨハンソン/ロスト・イン・トランスレーション (c)2003, Focus Features all rights reserved
東京の雑踏にたたずむスカーレット・ヨハンソン/ロスト・イン・トランスレーション (c)2003, Focus Features all rights reserved

マスコミ、一般大衆、ある日突然セレブになった人々「ヴァージン・スーサイズ」「ブリングリング」

デビュー作「ヴァージン・スーサイズ」は、ここまで紹介してきた作品と違い、はっきりとしたセレブは登場しない。一人の少女が自殺を選び、やがて残された4人の姉妹も自殺する話である。しかし、この作品でも、5人姉妹の1人が自殺したことで、家族は興味本位のマスコミに追われるシーンが挿入されている。直接的には描かれていないが、アメリカ郊外に住む典型的な父と母の精神が壊れていく原因には、メディアの過熱報道による二次被害があるようにも見える。

少女の死はマスコミで紹介され、平凡だった家族は壊れていく。ヴァージン・スーサイズ (c)1999 a division of Paramount Pictures.
少女の死はマスコミで紹介され、平凡だった家族は壊れていく。ヴァージン・スーサイズ (c)1999 a division of Paramount Pictures.

さて、過去作を紹介してきたが、いよいよこれがラストだ。実話を元にした「ブリングリング」は、ここまでの作品とほんの少し違う。この作品の主人公はセレブではなく、セレブが大好きな普通の中高生である。彼らは、ちょっとした出来心から、パリス・ヒルトンら有名人の自宅に入り、スターの私服や靴、バッグ、貴金属を奪う窃盗を繰り返す。彼らは興味本位でセレブを追いかける立場であった。皮肉にも、犯罪が明るみになったあとは、彼ら窃盗団自身が「セレブ化」し、追いかけられる側に回っていく。

有名人の自宅を検索サイトで調べ、その内容をSNSに書くという現代的な状況を映し出しつつ、孤独な少年少女たちの空虚な心を執拗なまでに表している。

SNS用に自撮りに励む窃盗団の少年少女。彼らが窃盗を始めたい理由はわかりやすい。いい服を着て目立ちたかったからだ。現代的な承認欲求というテーマを正面から表現している作品もそう多くはない。

ブリングリング (c)2013 Somewhere Else, LLC. All Rights Reserved
ブリングリング (c)2013 Somewhere Else, LLC. All Rights Reserved
マスコミによって有名な窃盗団となった彼らは、取材に答える。しかし、その言葉は、どこか上滑りして空虚な印象を受ける。ブリングリング (c)2013 Somewhere Else, LLC.
マスコミによって有名な窃盗団となった彼らは、取材に答える。しかし、その言葉は、どこか上滑りして空虚な印象を受ける。ブリングリング (c)2013 Somewhere Else, LLC.

彼女がずっと描いてきた、「セレブの孤独」「有名であること/有名になりたいこと」の滑稽さ

さあ、少し長かったが全作紹介させてもらった。こうしてみるとソフィア・コッポラはずっとセレブなどを題材として、「見る側」の暴力性、「見られる側」の空虚さ、やりきれなさにこだわってきたと言えるだろう。そこで翻って「ビガイルド」である。こうやって考えると、誰が見る側で誰が見られる側か明白だ。この作品の「見られる側」は、このストーリーに唯一登場する男性である、負傷兵の男(コリン・ファレル)である。「女の園」にやってきた男は、思春期女子の格好のターゲットになる。そういう視点で見ると、見られる側である負傷兵の男は、同居人に好かれようというモチベーションもあって、サービス精神旺盛なように見える。彼は途中、なかばスターのように振る舞う。そして、必然のように巻き起こる恋愛沙汰を契機に、彼の人気は失墜する。

 (c)2017 Focus Features LLC. All Rights Reserved.
(c)2017 Focus Features LLC. All Rights Reserved.

「異物がやってくる→もてはやされる→事件→今度は憎まれる」という流れは、まさに芸能の世界で僕たちが何度も見せられている構図である。その構図を、ミニマムに表現した今作。セレブのような大スターではないが、「小さな世界のちょっとした有名人」を作り出していく構図。ここまで書けば僕と同じ結論にたどり着くかもしれない。これは、インターネットやSNSの世界のような現代的なスターシステムの比喩が含まれてはいないだろうか。もちろんそんなようなことは本作では触れていないが(舞台は南北戦争時代なので)、本作が2018年にソフィア・コッポラの手によって発表される意図としては、そのような時代背景もあるのではないだろうか。これは十分に深読みではあるのだが、これまでの作品を振り返ると、その深読みもそれほど外れていないようにも見える。

彼女がずっと描いてきた「セレブ(の不条理)」は、マスコミやパパラッチに追われる従来のセレブから、近隣の住人や同居人に追われる「小さな世界の小さなセレブ(の不条理)」に進化した。次は何を描いてくれるのだろうか。次回作が待ち遠しい。