「残業代ゼロ」案、「全体の1割」の「全体」とは何かを答えず。期日に向けて業務が集中する者も対象に?

 産業競争力会議で長谷川閑史主査(経済同友会代表幹事)が提案している「新しい労働時間制度」について、多方面からの議論が続いている(※1)。2014年6月6日の日本経済新聞朝刊「経済教室」欄に掲載された安藤至大・日本大学准教授の記事「労働時間に上限の設定を」(こちら)は、規制改革推進派に向けて次のように再考を促しており、注目される。

規制改革の順序も大事だ。労働分野では労働時間の把握と上限の設定による保護を優先し、労働者が安心して働ける土壌を築くことが望ましい。雇用形態の多様化などの必要な改革は、その上で実施するほうが受け入れられやすく、結局は近道になるはずだ。

出典:安藤至大「労働時間に上限の設定を」日本経済新聞2014年6月6日

 「新しい労働時間制度」の議論について、以下では次の2点に限って、指摘をしておきたい。

(1)「全体の1割」の「全体」とは何か、推進側は問われても答えていない

(2)期日に向けて仕事が集中する者も、いつのまにか対象に含まれているのではないか?

全社員が対象でないことぐらい、反対者も理解している

 「新しい労働時間制度」の問題点の1つは、対象者が一般社員にまで拡大するのではないか、という点だ。多くの論者がこの点について懸念を示している。 

 これに対し、5月28日の「第4回産業競争力会議課題別会合」で、長谷川主査は次のように反論している。「4月22日の前回会合以降のメディアを始めとした世間の理解不足と提案の一部を誇張した報道」によって、提案の趣旨が「十分に理解されていない」として、こう述べているのだ。

あたかも全社員が対象となるような報道も散見されるが、あくまで限定された労働者を想定したものである。

出典:第4回産業競争力会議課題別会合 議事要旨 p.8

 「全社員が対象」ではないことぐらい、大半の者は理解している。果たして、「あたかも全社員が対象となるような報道」はあるのだろうか?対象者が拡大していくことを懸念する報道なら数多く見るのだが。例えば下記の東京新聞5月31日の社説のように。

政府が成長戦略への明記を決めた労働時間の規制緩和は、本当に専門職などに限定されるのか。派遣労働がそうであったように、結局はなし崩し的に働く人の多くに広がる懸念を禁じ得ない。

出典:「残業代ゼロ案 アリの一穴が狙いでは」東京新聞社説2014年5月31日

「メディアを始めとした世間の理解不足」と言いながら、「あたかも全社員が対象となるような報道も散見されるが、あくまで限定された労働者を想定したものである」という反論しかできないところを見ると、やはり対象者が拡大していくことに対する懸念は払しょくできない(※2)。

長谷川主査は「全体の1割」というが、「全体」とは?

 この「新しい労働時間制度」の対象者の範囲について、5月28日の「第4回産業競争力会議課題別会合」で、長谷川主査は次のようにも言及している。

参考までに対象者のイメージを添付した。一部に若手社員やトラック運転手、生産現場の労働者への懸念が報じられているようであるが、現業的業務や定型的業務に従事する者は、基本的には本制度の対象とは想定していない。経験が豊富で実績のある裁量度の高い労働者が対象と想定しており、イメージ的には全体の1割にも満たないのではないかというぐらいの感じを持っている。

出典:第4回産業競争力会議課題別会合 議事要旨 p.8
「第4回 経済財政諮問会議・産業競争力合同会議」における長谷川主査の提出資料より
「第4回 経済財政諮問会議・産業競争力合同会議」における長谷川主査の提出資料より

 ここで問題になるのは、「全体の1割」という時の「全体」とは何か、だ。

 

 筆者は5月30日に

・「残業代ゼロ」案、「全労働者の1割」と「ホワイトカラーの1割」は違うよ?(上西充子)- Y!ニュース(こちら

を公開し、パート・アルバイトを含む雇用者全体の1割であるとすれば、ホワイトカラーの正社員3、4人に1人が対象となりうるのではないか、と指摘した。

「全体の1割」とは何の1割なのか、問われても答えず

 この「全体の1割」の「全体」とは何か、について、実に興味深いやり取りがある。6月4日の衆議院・厚生労働委員会における、民主党の山井和則議員と、赤石浩一・内閣官房日本経済再生総合事務局次長の間のやり取りだ。

「1割には満たない」という長谷川主査の発言について、山井議員が、

母数はなんですか?ホワイトカラーですか?全雇用労働者ですか?ホワイトカラーの正社員ですか?

出典:6月4日衆議院厚生労働委員会 ※3参照

と問うたのに対し、赤石浩一・内閣官房日本経済再生総合事務局次長は、次のように答えているのだ。

長谷川主査はですね、極めて限定されているということを申し上げたかったということと理解しておりまして、従って、雇用者数全体なのか、あるいは従業員なのか、あるいはそのホワイトカラーの中での1割なのか、そこの点については、明確にしていない、と理解してございます。

出典:6月4日衆議院厚生労働委員会 ※3参照

 「全体の1割」だから「極めて限定されている」と強調しつつ、雇用者全体の1割なのか、ホワイトカラーの1割なのかも明確にしない。前述の筆者の記事から再掲する下記のグラフの通り、雇用者全体の1割と、ホワイトカラーの1割は大違いだ。それを、問われてもあえて答えない、ということからも、「世間の理解不足」といった批判は極めて不当なものだと言えるだろう。

 

出所:平成22年国勢調査抽出詳細集計(総務省統計局)より筆者作成
出所:平成22年国勢調査抽出詳細集計(総務省統計局)より筆者作成

なお、この山井和則議員と赤石浩一・内閣官房日本経済再生総合事務局次長とのやりとりの中では、赤石氏は

年収300万以下の方が、果たして対象になるかどうか、そういったことにつきましては、今後、議論されていくことになると、そのように理解しております。

出典:6月4日衆議院厚生労働委員会 ※4参照

とも述べており、年収300万円以下の層も対象となる可能性が排除されていないことも、あわせて言及しておきたい。

「随時の受注に応じて期日までに履行するなど、労働時間を自己の裁量で管理することが困難な業務に従事する者は、対象とすることができない」という制約はどこへ?

 もう1点、指摘しておきたいのは、期日に向けて仕事が集中する者も、いつのまにか対象に含まれているのではないか、ということだ。

 4月22日の「第4回 経済財政諮問会議・産業競争力合同会議」における長谷川提案では、年収要件のないAタイプ(労働時間上限要件型) について、

国が示す対象者の範囲の目安としては、職務経験が浅いなど、労働時間を自己の能力で管理できない者や、随時の受注に応じて期日までに履行するなど、労働時間を自己の裁量で管理することが困難な業務に従事する者は、対象とすることができないものとする。

出典:第4回 経済財政諮問会議・産業競争力合同会議」における長谷川主査の提出資料より

と明記されていた。

 しかしその後の議論を見ると、

新入社員で、入って三月、半年で完全に自分の仕事を自己管理型でできるとは思いません。新入社員は当然外れるわけであります。長谷川さんのイメージでは、「全体の1割にもならないのではないかと思う」というお話がありました。

出典:産業競争力会議課題別会合(第4回)後の 甘利経済再生担当大臣記者会見要旨 p.4

というように、職務経験が浅い者を対象外することについては言及があるものの(といっても、新入社員でも半年までしか言及されていなのが気になる)、「随時の受注に応じて期日までに履行するなど、労働時間を自己の裁量で管理することが困難な業務に従事する者」を対象外にするという話はいつの間にか消えているのではないか?という懸念があるのだ。

 5月28日の「第4回産業競争力会議課題別会合」で、安倍総理は次のように「3点の明確な前提」を示しているが、その中に、「随時の受注に応じて期日までに履行するなど、労働時間を自己の裁量で管理することが困難な業務に従事する者は、対象とすることができない」という前提を読み取ることは困難だ。

新たな選択肢については、「長時間労働を強いられる」あるいは「残業代がなくなって賃金が下がる」といった誤解もあるが、そのようなことは、絶対にあってはならないと考えている。

まずは「働き過ぎ」防止のために法令遵守の取組強化を具体化することが、改革の前提となる。

その上で、新たな選択肢は、

1.希望しない人には、適用しない。

2.職務の範囲が明確で高い職業能力を持つ人材に、対象を絞り込む。

3.働き方の選択によって賃金が減ることの無いように適正な処遇を確保する。

この3点の明確な前提の下に、検討していただきたい。

こうした限られた人以外の、時間で評価することがふさわしい、一般の勤労者の方々には、引き続き、現行の労働時間制度でしっかり頑張ってもらいたい

第4回産業競争力会議課題別会合 議事要旨 p.15(こちら

繁忙期に集中して働き、そうでないときにしっかり休むということは、程度を過ぎれば、「生身の労働者」には無理なのだが・・・

 この点に関連して気になるのは、5月28日の「第4回産業競争力会議課題別会合」における長谷川主査の次の発言だ。

実態は皆さんがおっしゃったように、現実にグローバル化した時代においては、様々な働き方が求められており、例えば、私は今テレビ会議で参加しているが、重要な意思決定をするために海外とのテレビ会議を日本時間の早朝や深夜せざるを得ないということは既にあり、その中には管理職だけではなく、管理職の手前の人たちもその準備や運営に携わったりしている。さらには、季節性が大きく影響をするような、例えばウェディングプランナーであるとか、あるいは観光のデザインをしているような人たちであるとか、また、新製品の開発をしたり、新店舗の開設をしたり、例えば、私どもの企業だと、新製品の承認申請もそうである。承認申請の1カ月程度前からは、かなり多忙となるが、その間は集中して働き、その後しばらくゆっくりできるとか、様々な働き方が考えられる。時間管理だけで縛らない、フレキシブルな働き方をぜひ考えていただきたい。

出典:第4回産業競争力会議課題別会合 議事要旨 p.12

 「季節性が大きく影響するような、例えばウェディングプランナー」という例が挙げられているが、これは「随時の受注に応じて期日までに履行するなど、労働時間を自己の裁量で管理することが困難な業務に従事する者」には相当しないのだろうか?

 秋の結婚式シーズンに式を挙げたいという人は多いだろう。結婚式の日取りは決まっており、ウェディングプランナーが臨機応変に変更することはできない。逆に、新郎・新婦やその父母らから、結婚式の内容をこう変えてほしい、と途中での計画変更を求められることもあるだろう。

 「新製品の承認申請」「新店舗の開設」にしても、「期日」に向けて仕事が集中する業務であるだろう。

 これらの例示の中には、その仕事で働く労働者の健康への配慮は見えてこない。

 

承認申請の1カ月程度前からは、かなり多忙となるが、その間は集中して働き、その後しばらくゆっくりできる

出典:第4回産業競争力会議課題別会合 議事要旨 p.12

と語られているが、「生身の労働者」は日々の睡眠と休息の時間を必要とするのであり、「期日」の後で仮にゆっくりできる時間があるとしても、その「期日」に向けて過密・長時間労働を重ねるのは無理だ。

 そのことへの想像力は、果たしてこの発言の中にあるのだろうか?

 大企業の場合、月に60時間を超える時間外労働には50%の割増賃金の支払いが義務付けられている。「繁忙期には50%もの割増賃金を支払わなければならない、年度全体でならせば月に60時間を超えずに済むのに・・・」といったカネ勘定で語られているとは言えないだろうか?

 確かに「期日」がある仕事でも、それを効率的にこなせる人もいればそうでない人もいるだろう。しかし、「随時の受注に応じて期日までに履行するなど、労働時間を自己の裁量で管理することが困難な業務に従事する者は、対象とすることができない」という4月22日の長谷川提案で示していた前提はどこへ行ってしまったのか?

 この点はあまり話題になっていないように思う。今後の動きを注視していきたい。

 最後に、6月4日の衆議院厚生労働委員会で、対象者の限定について煮え切らない答弁を聞いた山井和則議員の言葉を紹介しておこう。

そんな制度、おかしいじゃないですか。常識的に考えて。何が成長戦略ですか。

出典:6月4日衆議院厚生労働委員会 ※5参照

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※1:4月22日の「第4回 経済財政諮問会議・産業競争力合同会議」から現在に至るまでの主な新聞・雑誌報道や、ネット上のブログ等については、下記にまとめてある。「(続)」は、5月28日の「第4回産業競争力会議課題別会合」前後以降をカバーしている。抜けが多い点については、ご容赦いただきたい。

・産業競争力会議「新たな労働時間制度の創設」をめぐって (こちら

・(続)産業競争力会議「新たな労働時間制度の創設」をめぐって (こちら

※2 余談だが筆者は、「大声で『ブラックじゃない』と叫びたい。社員・アルバイトを合わせ、国内外で約3万人が働く。ちまたで言われているような会社なら誰もいない」というワタミ株式会社の桑原豊社長の発言を連想した(「60店閉鎖、脱「和民」で苦境克服へ ワタミ社長に聞く」日本経済新聞2014年5月18日(こちら))。誠実さを欠いた反論はかえって疑念を招くだろう。

※3 衆議院インターネット審議中継2014年6月4日・厚生労働委員会(こちら)の山井和則議員発言部分の、4分37秒頃から

※4 衆議院インターネット審議中継2014年6月4日・厚生労働委員会(こちら)の山井和則議員発言部分の、11分37秒ごろから

※5 衆議院インターネット審議中継2014年6月4日・厚生労働委員会(こちら)の山井和則議員発言部分の、14分40秒ごろから

■2014年6月9日追記■

下記の通り表記を修正した。

・「全体」とは何かを答えず、」→「「全体」とは何かを答えず。」

・「長谷川委員」→「長谷川主査」

・「ホワイトカラーの3、4人に1人」→「ホワイトカラーの正社員3、4人に1人」

・「生身の労働」→「生身の労働者」

■2014年6月10日追記■

 本日の朝日新聞の報道によれば、6月9日の記者会見で、経団連の榊原定征会長は、労働時間と関係なく成果に賃金を払う制度について、「少なくとも全労働者の10%程度は適用を受けられるような制度にすべきだ」と述べたという(「残業代ゼロ「労働者の10%は対象に」 経団連会長」こちら)。榊原会長も産業競争力会議のメンバーである。

 同報道によれば、榊原会長は、「本人の同意が前提だが、時に夜を徹してもやるべき作業がある研究技術職やマーケティング関係などの専門職は新しい働き方を希望している。キャリアアップを望む女性もそうだ。企業にとっても生産性があがる」と強調し、「厚労省が言うような人は日本に何千人もおらず、まったく意味がない」と語ったという。