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元巨人の鈴木尚広氏を師と仰ぐ。春は24盗塁の東大をけん引する代走のスペシャリスト

上原伸一ノンフィクションライター
東大の隈部敢。春のリーグ戦で代走で3盗塁5得点を記録(写真提供 東京大学野球部)

隈部が代走に出ればホームに還ってくる

間もなく始まる秋のリーグ戦を前に、じっくり話を聞いてみたい選手がいた。東京大学野球部の隈部敢(くまべ・かん、4年・浅野高)だ。

東大は春の東京六大学野球リーグ戦で、最終戦の法政大学との2回戦に勝利し、2017年秋から続いていた連敗(3つの引き分けを挟む)を「64」でストップした。これは各所で大きく報じられたが、東大で注目を集めたのが、アグレッシブとも言っていい、積極的な走塁だった。春のチーム盗塁数はリーグ断トツの24(2位は明大の18)。水越健太(4年・明和高)とアメフト部から転部してきた阿久津怜生(3年・宇都宮高)は、明治大学の丸山和郁(4年・前橋育英高)と並ぶ、リーグ最多の6盗塁をマークした。

「走る東大」を「代走のスペシャリスト」としてけん引したのが隈部である。春の盗塁数は3と、水越や阿久津よりも少ない。だが、ふだんは1塁ランナーコーチを務める隈部が、代走で起用されるのはもっぱら、ここ一番の大事な場面。点差をつけられた展開では出番はない。こうした中、計5回代走に起用され、3度盗塁を企図して全て成功。隈部の姿は東大ナインの走る意欲を高めたに違いない。

特筆すべきは得点の数だ。代5回のうち実に4度もホームを踏んでいる。むろん、得点は隈部1人の力ではない。隈部も「打者が打ってくれるから生還できる」と控えめだ。ただ、東大の春のチーム総得点は22(最多は明大の58)。うち2割近くを占めていることを考えると、隈部が足で攻撃の流れを作ったのがわかる。

隈部が代走に出ればホームに還ってくる―。連敗を止めた法大2回戦でも、貴重な2点目は隈部の得点によるものだった。

春は計5回代走に起用され、4度ホームを踏んでチームに貢献した(写真提供 東京大学野球部)
春は計5回代走に起用され、4度ホームを踏んでチームに貢献した(写真提供 東京大学野球部)

トレーニング施設で身に付けた盗塁の「カタチ」

50メートル6秒1の隈部が、その足を本格的に武器にしようと決意したのは、現役で東大に合格してから。高校時代は三拍子揃った選手を目指していた。副主将だった神奈川・浅野高3年時は中堅手で三番を打っていた。

「入部したばかりの頃はレギュラーになるのが目標でした。でもバッティングが苦手で…高校では金属バットだったので、この体(160センチ64キロ)でも何とか打てたのですが、今もバッティングが一番の課題です(苦笑)。守備固めの道も考えましたが、東大の場合、リードして後半を迎える展開が少ないので。自分に残っているのは走塁しかなく、これしか大学野球で生きていく術はないと思ったんです」

浅野高3年時は三番を打ったが、東大入学後は打撃で苦労している(写真提供 隈部敢)
浅野高3年時は三番を打ったが、東大入学後は打撃で苦労している(写真提供 隈部敢)

高校時代は守備力も高く、三拍子揃った選手を目指していた(写真提供 隈部敢)
高校時代は守備力も高く、三拍子揃った選手を目指していた(写真提供 隈部敢)

走塁を磨くために門を叩いたのが、理学療法士で体軸セラピストの岩館正了(いわだて・まさる)氏が代表を務めるトレーニング施設だった。実は隈部は子供の頃から、NPB通算228盗塁の鈴木尚広氏(元巨人)の大ファン。その鈴木氏をパーソナルトレーナーとして、ケガが多かった20代の頃から約10年間支えたのが岩館氏だった。

「僕もケガが多かったので、走る時の効率的な体の使い方、動作指導を受けようと。1年の秋から今も週に1回、片道1時間かけて通っています」

強豪社会人チームとの試合で自信をつかむ

だが、足の肉離れや手首の骨折など、相次ぐケガに悩まされ、リーグ戦出場の機会はなかなか訪れなかった。「最上級生になるまでの間、トータルすると1年半くらいまともに野球ができませんでした」

それでもトレーニング施設には通い続けた。身に付けた盗塁の「カタチ」をようやく披露できたのが、今春のオープン戦だった。隈部は9試合に代走出場し、そのうち7回盗塁を企図して全てに成功。リーグ戦開幕直前の社会人対抗戦(対東芝)でも盗塁を決めた。

「社会人の強豪との試合で盗塁ができたのは自信になりました。自分の『カタチ』でスタートが切れればいけると」

ところで、隈部が言う自分の「カタチ」とはどういうものなのか?

「いくつかポイントはあるんですが、1つは頭の重さを使っている、ということです。2塁方向に倒し、頭の重さで転がるようなイメージでスタートを切ってます。春はそうでしたが、秋に向けて修正をしているところです」

高校時代も快足を活かしてたびたび盗塁を成功させていた(写真提供 隈部敢)
高校時代も快足を活かしてたびたび盗塁を成功させていた(写真提供 隈部敢)

大切にしている「攻めの姿勢」と「準備」

念願のリーグ戦デビューを果たしたのは、春の早稲田大学との開幕戦。終盤の8回1死、代走に起用された隈部は、1塁コーチスボックスから初めてダイヤモンドの中へ。1塁ベースに立つと、2球目に二盗を決め、リーグ戦初盗塁。1点差に迫る5点目の生還もし、初得点も記録した。

隈部が春にマークした3盗塁はいずれも、初球か2球目と、若いカウントで敢行したものだ。警戒が厳しい中、代走がすぐに走るのはなかなか難しいことだが、当たり前のように2塁へ走る。

「試合では“攻めの姿勢”を貫くようにしています。代走は弱気になってはいけない立場ですし、ホームに還ってきてこその代走だと思ってます」

若いカウントから走るための「準備」も怠りない。ベースコーチをしている時に、走塁用の手袋をはめているのもその1つ。ちなみに走塁用手袋はチームのものではなく、自費で購入したものを使用している。隈部は「走塁用手袋をつけるのは多少時間がかかります。代走を告げられてから手袋をすると、どうしてもせわしなくなって、しっかり装着できないので」と話す。守備の時はベンチで外し、攻撃になると再び走塁用手袋をはめ、1塁コーチスボックスへと向かう。

ふだんは1塁ランナーコーチを務めている隈部。すぐに代走に出られるように必ず走塁用手袋をはめている(写真提供 東京大学野球部)
ふだんは1塁ランナーコーチを務めている隈部。すぐに代走に出られるように必ず走塁用手袋をはめている(写真提供 東京大学野球部)

守りの時間も隈部にとって大切な「準備」の時間だ。「試合展開を見ながら、出番を想定し、そこに向けて気持ちを作るようにしています。必ず行うルーティンもあります」

準備の大切さを教えてくれたのが、代走での通算盗塁数(132)がNPB記録である鈴木尚広氏だ。現役時代、本拠地の東京ドームでの試合では開始7時間前に球場入りするなど、代走での出番に向けて、周到かつ綿密な準備をしていたことはよく知られている。

子供の頃から憧れていた鈴木氏とは、岩館トレーナーの紹介で知り合ったという。隈部は「代走で出てきた瞬間に球場全体が盛り上がり、相手バッテリーが厳しいマークをする中でサッと盗塁を決めて、(自軍のヒットなどで)ホームに還ってくる。その姿がカッコ良く、今もリスペクトしています」と目を輝かす。

鈴木氏は現在、隈部との縁で、東大野球部の走塁の指導を行っている。さらなる走塁の向上を目指す東大にとって、願ってもない心強い味方が現れた恰好だ。

「直接指導を受けられるなんて夢のようです。鈴木さんからはよく『走塁ではあらゆることを事前に想定、想像することが大切』と言われています」

チームの走塁長として質の高い走塁を要求

隈部は代走のスペシャリストであるとともに、チームの「走塁長」も担う。走塁部門の旗振り役である。東大が走塁を見直したのは、昨秋のリーグ戦が終わり、隈部ら現4年生の代になってから。その経緯はこうだ。

「なかなかヒットが続かない中、送りバントで1つのアウトを与えてしまうと、得点につながりにくいのが東大でした。そこで選手間で盗塁を増やそうと話がまとまり、井手峻監督に提案したところ、了承してもらったのです」

決めたからには、徹底的にやる―。これはもしかすると、厳しい受験に向き合った東大生が持つ1つの特徴かもしれない。グラウンドでは、東京六大学リーグ屈指の強肩捕手である松岡泰希(3年・東京都市大付高)を捕手役に盗塁の練習を繰り返し、学生スタッフでアナリストの齋藤周(桜修館中等教育高)は他校の投手のクセを分析した。

春の24盗塁はこうした成果であるが、隈部は「必ずしも良かったとは思ってません」と口にする。そして走塁長としてこう続けた。

「勢いだけで成功した部分もありましたし、走るカタチも荒削りというか我流で、理にかなっていない選手が目立ちました。このままでは秋は通用しません。数よりも内容を重視して、自重すべきところは自重しないと。夏の練習では、得点の確率を高める走塁をする取り組みをしました」

東大の場合、投打の能力という点では、高校時代から名を馳せた選手を揃える他校にはかなわないところがある。しかし、そうした中でも走塁は「練習」や「意欲」や「研究」などによって能力を高めることができ、大きな武器になると、春の姿が教えてくれた。高校野球で公立校が強豪私学に挑む際の、大きなヒントにもなったことだろう。

卒業後、報道の世界に進む隈部にとって、迎える秋は文字通り、競技者としてはラストシーズンになる。

〇〇に代わりまして、1塁ランナーは隈部。浅野高校、背番号「44」―。

秋もこのアナウンスがたびたび聞かれることだろう。春よりコール回数が多ければ、それだけ東大の勝ち星が増える可能性も高くなる。師と仰ぐ鈴木尚広氏のように、どんなに厳しくマークされようが、チームのためにきっちり二盗を決めるつもりだ。

ノンフィクションライター

Shinichi Uehara/1962年東京生まれ。外資系スポーツメーカーに8年間在籍後、PR代理店を経て、2001年からフリーランスのライターになる。これまで活動のメインとする野球では、アマチュア野球のカテゴリーを幅広く取材。現在はベースボール・マガジン社の「週刊ベースボール」、「大学野球」、「高校野球マガジン」などの専門誌の他、Webメディアでは朝日新聞「4years.」、「NumberWeb」、「スポーツナビ」、「現代ビジネス」などに寄稿している。

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