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応援ができなかった春を乗り越え、応援ができる秋へ―。東京大学運動会応援部

上原伸一ノンフィクションライター
コロナ禍の中、応援ができない現実と向き合った(写真提供 東京大学運動会応援部)

 

バックネット裏で感じた野球部員のすごさ

 

 東京六大学の春のリーグ戦。東京大学運動会応援部の主将・菅沼修祐(4年)の姿はいつもの応援席ではなく、バックネット裏にあった。菅沼はリーダー、チアリーダーズ、吹奏楽団の3部門から成る応援部を束ねる長である。居ても立っても居られない。そんな心境だったのだろう。「応援することはできなくても、勝利を祈ることはできる」。一般の観客として全5試合で“念”を送った。

 春のシーズンでは全国26連盟の中で唯一行われた東京六大学のリーグ戦は、感染対策を徹底し、3000人を上限に有観客で実施された。例えば「早慶戦」には上限いっぱいの観客が詰めかけたが、応援団の入場は見送りに。感染対策上、やむを得ないことだった。応援をけん引する勇壮なリーダーの姿もなければ、華麗な踊りで彩りを添えるチアリーダーもおらず、選手を勇気づけ、スタンドを盛り上げる吹奏楽の演奏も聞こえない。当たり前だった光景がない現実があった。

 入学後ずっと、学ラン姿で声援を届けてきた菅沼にとっても、応援ができないリーグ戦は初めてのことだった。それは「目の前に頑張っている人がいるから、全力で応援する。それを集団でやるのが応援部」と言う菅沼にとって、受け入れ難いものだったに違いない。「仕方がないとは思いつつも、目の前に選手たちがいるのに応援できないのは辛かったですね」。

 いつもなら夢中で応援している間に終わってしまう試合。これまで落ち着いて試合展開を追う余裕はなかった。初めてネット裏から俯瞰(ふかん)で見て、感じたこともあったという。それは東大が、ドラフト候補や甲子園のスターが何人もいる他大学と比べても、決して引けを取っていないということだった。

 高校ではレギュラー中堅手としてプレーしていた菅沼は、東大野球部のレベルについていけないと感じ、応援する側に回った。それもあって、東大でも文武両道を貫き、神宮に立っている選手をリスペクトしていたが、その思いも強くなった。「主将の笠原健吾(4年)をはじめ、野球部員とはふだんから仲がいいのですが、彼らはあらためてすごいなと」

調整遅れを余儀なくされるも言い訳にしない

 東大は開幕戦の慶應義塾大学との試合で、昨秋大学日本一になったチーム相手に5対4と善戦。今春の優勝校である法政大学に対しても、6対3で敗れはするも、同数のヒットで応戦した。結果的に白星は拝めず、2017年秋からの連敗は「47」になったが、菅沼は健闘してくれたと思っている。新型コロナウィルスの影響で、どの大学もチームとしての活動が休止となったが、東京六大学の他大学がおおむね6月上旬に再開となった中、東大が学校から活動を許可されたのは7月20日。実にリーグ戦開幕まであと20日という時だったからだ。約4カ月に及んだ活動休止期間中は、生きたボールを打つこともできなかった。

 ただし笠原は調整遅れを決して言い訳にはしなかった。どんな時にも言い訳をしないのは東大野球部の矜持(きょうじ)でもある。たとえ戦力的には他の5大学と開きがあっても、それを勝てない理由にはしない。勉強を野球の、野球を勉強の逃げ道にすることなく「最高学府」の門をくぐり、東大野球部に入ってきた彼らには、それが染みついているのだろう。

コロナ禍だからできる応援のやり方もある

 8月上旬、それまでオンラインで活動していた東大の応援部は、ようやく学校から対面での活動が許可された。声を出す時は人と人との距離を大きく取るなど、感染対策をしながらではあるが、ようやく通常の練習ができるようになった。オンラインでも練習はできるが、リーダーに不可欠な「気合い」や「熱量」を伝えるには不十分だっただけに、菅沼もホッとしている。とはいえ、応援活動そのものは許可されておらず、現在はOBに向けたデモンストレーションを学内のステージで行い、その動画を配信している。

 振り返れば今年、応援団としての見せ場が作れたのは、「国立九大学スキー選手権大会」と「箱根駅伝」、そして2月の自転車部競技班が出場した大会だけ。東京六大学応援団連盟の伝統的なイベントである「六旗の下に」も中止になった。モチベーションを保つのが難しい状況だが、従来の形にとらわれない応援のスタイルを模索する機会になったという。

 「コロナ禍で試合や大会がなくなっても、前を向いて練習に取り組んでいる学生はたくさんいます。現状では近くで応援することはできませんが、別の方法はあります。メッセージ動画で応援することもできますし、色紙を贈るのも1つの応援です。他にもコロナ禍だからこそできる応援はいろいろあると思います」

 応援ができなかった春のリーグ戦でも、野球部のTシャツに4年生部員全員(21名)がメッセージを書き、それをベンチに飾ってもらった。

入場が許された秋は応援を心から楽しむ

 9月8日、東京六大学野球連盟より、19日から始まる秋のリーグ戦では、応援団や応援部の入場も認めると発表があった。場所は従来の一、三塁の内野席ではなく、外野席の左中間、右中間席を使用し、人数も100人以内の入場に制限と、本来の形ではないが、大きな前進である。菅沼は「神宮で応援させてもらえることで、東大応援部の『魂』と『伝統』を後輩に引き継ぐことができる」と話す。

 東大に応援部が設立されたのは1947年(昭和22年)。東京六大学の中では最後に誕生した。きっかけは戦後初のリーグ戦となった前年春の大躍進。このシーズン、東大は現在もチーム史上最高順位である2位となった。これに感動したOBが団旗の旗布を野球部に寄付。同年秋の開会式では初めて東大の旗が掲げられ、開幕試合後には初のエールの交換も。東大にも応援部をという機運が盛り上がり、翌年の誕生につながっていく。

 今春のリーグ戦は、1946年春以来となる1試合総当たりで行われた。74年前は戦後間もなくで、今春はコロナと、ともに有事の影響でそうなった。そしていずれも東大の応援席には応援部がいなかった。状況は似通っており、74年前の秋が東大の応援部が(まだ正式ではないが)スタートしたシーズンなら、迎える秋のリーグ戦は、リスタートするシーズンとなる。

「応援ができる場を与えてもらったことに感謝して、心から応援を楽しみたい」―。

 神宮に名物の応援が戻ってくる。

ノンフィクションライター

Shinichi Uehara/1962年東京生まれ。外資系スポーツメーカーに8年間在籍後、PR代理店を経て、2001年からフリーランスのライターになる。これまで活動のメインとする野球では、アマチュア野球のカテゴリーを幅広く取材。現在はベースボール・マガジン社の「週刊ベースボール」、「大学野球」、「高校野球マガジン」などの専門誌の他、Webメディアでは朝日新聞「4years.」、「NumberWeb」、「スポーツナビ」、「現代ビジネス」などに寄稿している。

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