うつでも、物忘れが起きる。これが認知症と間違われることがある。

 うつがある程度重くなれば、年代を問わず、思考力も停滞して何かを十分に考えるということができなくなってしまう。若年者でも、仕事の能率が悪くなったり、2つ以上のことを正確に覚えていられなくなったりする。高齢者であればなおさら、物忘れや勘違いが増えたり、これまで簡単にできていたことに時間がかかったりして、思考力や認知能力が低下する状態になってもまったく不思議ではない。しかし、この認知機能低下はうつの症状であり、認知症ではない。いわば「ニセ認知症」である。

 世間では、元気がなくなり物覚えも悪くなると、それをつい「認知症になった」と考えてしまう傾向がある。実際には、うつと認知症はまったく別のもので、認知症の多くは元気いっぱいなのがふつうだ。明るく元気に物忘れするのが認知症なのである。うつっぽくて物忘れをしていたら、認知症ではなくうつを疑わないといけない。

 重要なことは、これらの低下はもちろん、うつの改善とともにほぼ完全に回復するということである。つまり、元に戻ることのできる認知機能低下である。一方、認知症は根治療法がなく治らない疾患で、元に戻ることはない、

 いまベストセラーになっている森村誠一著『老いる意味 うつ、勇気、夢』にも、高齢者うつになった森村氏が物忘れや言葉が浮かばないことを認知症と受け取る記述が出てくるが、これは認知症ではなく高齢者うつの症状なのである。

 落とし穴は、認知症かどうかを検査する質問形式の認知評価テストを行うと、どちらの認知機能低下であっても、「認知症」と判定されてしまうことだ。代表的なテストである改訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)には、30点満点で20点以下なら認知症を疑うという基準がある。ところが、認知症ではないうつの高齢者でも、意欲や思考力の低下によって15点や10点という低得点が出ることは珍しくない。そのまま基準に当てはめれば、認知症という間違った判定になってしまうのである。

 高齢者うつのより詳しい説明は、拙著『高齢者うつを治す 「身体性」の病に薬は不可欠』をご覧いただきたい。2つの具体例を紹介する。

<事例1>1年後に誤診がわかった「ニセ認知症」

 娘一家と暮らす70代後半の女性が、それまで間違ったことのないゴミ出しの日を勘違いして用意したり、買い物で同じものを続けて買ってきたりすることが多くなった。心配した家族とともに、かかりつけの内科を受診した。

 医師はHDS-Rを施行、14点(30点満点)だった。頭部CTでも軽度萎縮があったことから、「アルツハイマー型認知症」と診断され、抗認知症薬(認知症の進行を緩やかにする薬)が処方された。

 服薬を継続したが、物忘れに変化はなく、食欲が落ち体重が減り始めた。内科では、「認知症と年齢のせい」と言われた。1年で10キロ体重が減少し、夜も2時間ほどしか眠れなくなった。夜起きてごそごそするのを家族は「徘徊」と感じ、不眠と徘徊の相談に精神科を受診した。

 医師は、認知症の人が睡眠薬を飲むと余計に認知機能を下げる危険があるからと、睡眠薬の代わりに睡眠効果のある抗うつ薬を処方した。その日から眠れるようになり、1週間後には食欲も増した。10日ほどすると、買い物に行くと自ら言い、間違えることなく食材を買ってこられた。活気も上昇し、物忘れも減ってしっかりしたように家族には見えた。

 1カ月後、精神科を再診し、HDS-Rを施行したところ、28点であった。「先生の薬で認知症が治った」と本人と家族は喜んだ。医師は言った。「認知症ではなく、うつだったから薬が効いたのです」

 かかりつけ医はHDS-Rの得点を過信して「ニセ認知症」を認知症だと誤診していた。抗うつ薬でうつ状態が改善したことで、認知機能低下も元に戻ったのである。もちろん夜の行動も徘徊ではなく、抗認知症薬の内服も不要だった。精神科で抗うつ薬が処方されることがなければ、ずっと認知症と信じ込まれていたかもしれない。

<事例2>「認知症になる」と宣告された難治うつ

 夫と小売業を営む80代の女性は、高血圧と高脂血症で服薬していたが、物忘れなどを周囲から言われたことはなかった。ある時、販売品が「希望したものと違った」と客から返品を求められ、もめることなく交換した。その後から、思いつめたように「私が間違えて、取り返しがつかない」と言い出した。客の苦情もなく大丈夫と家族が言っても、「店がつぶれてしまう」と言う。食事量が低下し、店の仕事も家事も手につかなくなった。

 状態が変わらないため、2週間後、総合病院の精神科を受診した。女性は「店も家も破産してなくなった」と深刻な顔で語った。血液検査は異常なく、頭部MRIで萎縮が認められたが軽度であった。医師は重いうつであると説明し入院を勧めたが、女性は「私は病気ではなく、罪をおかした」と答えた。

 入院後、抗うつ薬による治療が開始されたが、3カ月たっても改善が見られなかった。認知機能障害も疑われ、HDS-Rは8点(30点満点)の低得点であった。医師は家族に対し、「十分治療してもうつが改善しない。こういう高齢者のうつは今後認知症になる」と認知症専門病院か施設への入所を勧めた。家族は納得できず、退院後、別の病院の精神科外来を受診した。

 そこでは典型的な高齢者うつとして再び入院となった。前の病院で使われていなかったやや古いタイプの抗うつ薬が投与され増量されると、次第に活気が回復し妄想も消失。2か月後には自宅へ退院となった。退院直前に検査したHDS-Rは30点満点で、聡明な女性であった。

 女性が1か所目の入院で改善しなかったのは、十分な治療がされていなかったからだ。HDS-Rの低得点が「ニセ認知症」だったことは、その後の回復をみれば明らかだ。「高齢者のうつが認知症に進行しやすい」は、研究でわかった一般的傾向であるが、すべての人がそうなのではない。個別に判断されるべきことだ。

元気がない時、疑うのは認知症よりうつ

 元気がなく物忘れもある高齢者に対しては、必ず、認知症より先にうつを疑って治療するのが原則である。それは、高齢者うつが基本的に治る病気であり、認知症は根治療法のない病気だからだ。高齢者うつは、適切な治療によって8割以上が治る。治療の中心は薬をのむことである。とくに治り難い場合には、通電療法(全身麻酔をして頭部に電気を流す)という治療法もある。