全仏オープン棄権後、大坂なおみ選手をめぐる報道はメディアによって「うつ病」「うつ」「うつ状態」と分かれた。7月6日、大坂選手が「東京五輪に出場します」とのコメントを発表したことで、「うつ病でも戦えるのだろうか」「うつを乗り越えたのでは」など、一般の人たちにさまざまな受け取られ方をされている。その報道では、これまで「うつ病告白」と報じていた朝日新聞が「「うつ」状態」と表現を変更していた。

 どうしてこのような用語の混乱が起きるのか。ツイッターの翻訳が一つの要因だったことは「大坂なおみ選手の“depression”は「うつ病」か」(「論座」)で述べたが、実はうつをめぐる用語は精神科の中でも統一がとれておらず、一般の人たちが混乱するのも無理はないのである。用語の整理をしてみたい。

「うつ状態」は正常うつも含む

 「うつ状態」という表現は、一番広くうつを表す。正常範囲のうつから、もっとも病的な重いうつまでだ。程度の軽いものから、以下の3つに大別できる。

①正常範囲のうつ:悩みや気がかりがあって落ち込んでいるが、何かのきっかけで回復できる。誰もが日常経験することのあるうつである。

②日常的だが病的レベルに近いうつ:日常で起きる悩みと気がかりの影響が強くなり、仕事や生活に集中できず、食事や睡眠の乱れが続く。自力で回復できることもあるが、目立った症状が長く続くなら、精神科など専門治療の対象になる。

③日常とかけ離れた病的レベルのうつ:日常的な悩みと気がかりという範囲を超えて、原因に心当たりのないつらさに襲われ、仕事や生活は手につかず、自分は無用の人間とさえ思うようになる。

 このなかで②と③の2種類が、現代の「うつ病」にあたる。「現代の」とつけたのは、精神科では従来、③のみを「うつ病」と呼び、②を「うつ病」とは考えなかったからだ。ところが、2000年代から精神科で「うつ病」の概念や解釈が広がり、②のうつ状態も(時には①さえも)「うつ病」と呼ばれるようになった。若年~壮年者の「うつ病」には①と②と③があり、高齢者は③が大半である。

日常の生活から派生したうつ(②)

 生活や仕事の環境が自分に合わない、人間関係がぎくしゃくするなどの悩みや、親しい人との別れや経済的苦境の持続などから陥るうつ状態のことである。通常はストレスやプレッシャーにさらされていることが要因になるが、不安を感じやすい本人の性格が強く影響している例もある。

 自分の生活や環境が好ましいものに変われば、症状は改善することが多いが、そう簡単に生活・環境を変えることはできない。そのため、③より軽いが、症状は長く続きやすい。抗うつ薬もたしかな効果は期待できないので、治療の中心は精神療法(治療者との対話)や生活と環境の工夫・調整になる。

 精神科治療がどうしても必要な状態ではなく、もともと患者数は多くなかったが、2000年代から激増。現在の社会では、この②を主に「うつ病」だと呼ぶ傾向がある。ただ、精神科医の多くは「うつ病」と明言せず、「うつ」とか「うつ状態」ということが通例だ。休養と服薬で治せる③の「うつ病」とは質的に異なるからである。

日常とかけ離れて生じるうつ(③)

 ストレスやつらい出来事が原因ではなく、多くは小さな誘因で起き(きっかけはないこともある)、日常生活の感覚とは異質の言いようのない心身のつらさをもたらす。原因不明の身体(脳)の不調で起きると考えられ、幸せな出来事にも心が動かない。

 治療しないと生活も困難になり、衰弱や自殺で命に関わるリスクもあるため、精神科の専門治療が不可欠だ。十分な休養と抗うつ薬内服によって大半は改善するが、難治例では通電療法(麻酔下に頭部に数秒電気を流す)も必要になる。良くなれば、高齢者でもふだんの活動に戻れる人が多い。

 「うつ病の人を頑張れと激励してはいけない」という精神科の格言が当てはまるのも、この「うつ病」だけである。②の「うつ病」なら、叱咤激励こそ最適な対処になることがある。

 このようなうつをめぐる用語の変遷について詳細は、『高齢者うつを治す 「身体性」の病に薬は不可欠』(日本評論社)をご参照いただきたい。

「うつ病」ではなく「うつ状態」

 では、大坂なおみ選手はどれに当たるのか。

 ツイートの言葉を見る限り、日常生活の中で生まれてきたうつ状態であることがわかり、②であると推察できる。これを一般社会では「うつ病」と呼んで違和感がないのかもしれない。しかし、少なくともたいていの精神科医はそう呼ばない。大坂選手がおそらく自力で「五輪出場」宣言ができるまで回復した様子を見ると、それはますます妥当な見方のように思われる。

 朝日新聞が初めに「うつ病」としたのは、この20年の解釈の変遷が影響したに違いない。「うつ病」の意味をこれ以上混乱させないためにも、「うつ状態」と変更したうえ今後もそう表記することは、適切な対処だったのである。