「老人性うつ病の場合は、薬が合えば治りやすいので、異変が感じられたときには早めに病院に行くのがいい」

 作家森村誠一氏は近刊『老いる意味 うつ、勇気、夢』(中公新書ラクレ)のなかで語っている。これは、高齢者うつへの対応として、究極の言葉である。

 高齢でうつになったら、人に話を聴いてもらったり栄養のつくサプリメントを飲んだりするより、とにかくうつに効く精神科の薬を飲むことが大切であること。薬さえ合えば確実に治ること。あれこれ悩まず、気分の調子がおかしいと思ったら早めに専門の精神科の医者にかかること。

 これがもとの元気を取り戻す早道なのである。森村氏が自ら経験した高齢者うつ闘病の教訓をもとに絞り出した言葉に、間違いはない。

 森村氏と言えば、私たちの世代にとっては、70年代の「人間の証明」「野生の証明」といった大ヒット映画の原作者として知らない者はいないベストセラー作家。その後も、テレビドラマ「棟居刑事シリーズ」「牛尾刑事シリーズ」などの原作者としても知られる。88歳になった森村氏が自らのうつ体験をこと細かに詳しく告白されたのを読んで、息をのんだ。

 そこには、言いようのないつらさを味わったことをはじめとして、高齢者うつの大切な経過や特徴がほとんどすべて語られている。

ストレスで起きるわけではない

 高齢者うつの多くは、特別なことが何もなくても起きる。なかには、大変な出来事やつらい別れなどの後に起きるうつもあるが、それはむしろ珍しい。森村氏もそうだった。仕事で多忙な日々を送っていたが、それは日常であり、特別な出来事なくうつが始まっている。きっかけや誘因がみつかることもあるが、「そんな些細なことでどうしてうつに」と思われるようなことが大部分だ。仕事や人間関係などのストレスが原因で起こるうつは若い人に多く、高齢者には少ない。

 実は、うつには3つある。「身体疾患によるうつ」、原因のはっきりしない「身体性うつ」、環境(ストレス)や性格の要因で起こる「心理性うつ」である。症状はとても似ているが、これらは適切な治療法がそれぞれ異なる。見分けが必要なのである。心理性うつは若い人に多く、高齢者に圧倒的に多いのは身体性うつだ。森村氏のうつもまた、典型的な身体性うつであった。

 一日中気分が落ち込んで苦しく、何もする気にならず、不安ばかりが募る。仕事が手につかず、時間はたっぷりあるのにのんびりできず、身の置きどころがない。音楽を聴いても、散歩しても、誰かと話しても、気分は晴れずむしろつらさが増すばかり。ふだんなら楽しいことにも感情が動かない。興味も喜びもなくなってしまうのが、身体性うつの大きな特徴である。

身体のさまざまな症状に苦しむ

 もう一つの特徴は、治りづらい身体的な症状が出てくることである。息苦しさ、胸苦しさ、むかむかする不快さ、頭痛や腰痛などの痛み、手足のしびれ感。さまざまな症状が身体各部にあらわれる。食欲低下もほとんどの人でみられる。内科や整形外科などで診てもらっても、何も異常はみつからず「どこも悪くない」と言われる。身体に原因はなく、うつからくる症状だからである。このうつを「身体性うつ」と呼ぶのは、これが理由の一つだ(もう一つの理由は、ストレスによるのでなく身体内部から起きるうつだから)。

 森村氏も、言葉が出てこなくなったり、水が喉にひっかかったりする身体症状があったことを記している。食欲もなくなり食事がほとんどとれず、体重は30キロ台にまで減少したという。

 身体の苦しい症状は、我慢できないほどになることもまれでない。誰もがなんとか治してほしいと思い、病院に行きたくなる。元気がなく自分の力では行けないので、家族を頼る。最初はとても心配してくれた家族も、病院で「異常はない」と言われれば、再度連れて行く訳にもいかない。夜中に苦しくなり、救急車を呼んでほしいと懇願する人も少なくない。家族はつい「わがまま言わないで」などとたしなめてしまう。わがままなどではない。身体性うつでは、それほど言いようのない苦しさが襲うのである。

(2021年7月3日追記)一つ気になる点がある。物忘れや言葉が浮かばないことを、森村氏は認知症の傾向と感じて「うつと認知症との二重の闘い」と書いているが、少し違う。うつになると思考も停滞して認知機能が下がるが、これは認知症ではない。仮性認知症といって、うつが治れば解消する一過性の症状である。

まず服薬、8~9割が回復できる

 治療の第一は、抗うつ薬と呼ばれるうつを治すための薬をのむことである。森村氏の冒頭の言葉が示す通りだ。抗うつ薬には種類がいくつもあり、その人に合う薬がみつかるまで時間がかかるが、通常は1~3か月で良くなり始める。治りにくい例では何年も改善しないことがあり、入院治療や通電療法(麻酔をして頭部に数秒間電気を流す)が勧められる。適切に治療すれば、高齢者の身体性うつは8~9割の人が回復できる。ただし、再発の予防のため、一定期間は服薬を続けることが必要である。

 森村氏もまた、「元の私に戻れるだろうか」と煩悶しながら、親身な医師を頼りに治療を続け、3年で回復にたどり着いた。療養中、森村氏の支えになったという薬剤師の言葉が書かれている。「84歳や85歳なんて充分若い。うつから立ち直れば、また青春が始まる」

 うつを治して、もとの人生を取り戻す。高齢による弱さやもろさはありつつも、現代の高齢者はそれができる人たちが多いはずだ。森村氏が身をもって示したのは、「人間の証明」ならぬ「回復の証明」であった。

 高齢者うつの病状と治療について、より詳しく知りたい方は拙著「高齢者うつを治す―「身体性」の病に薬は不可欠」(日本評論社)をご参照いただきたい。