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有吉の“壁”を乗り越えた夏目三久の“恐ろしさ”と、“らしい”決断

てれびのスキマライター。テレビっ子
『マツコ&有吉 怒り新党』の番組ロゴ(旧番組公式HPより)

4月23日に放送された『マツコ&有吉 かりそめ天国』(テレビ朝日)では、夏目三久が登場し、一夜限りの『マツコ&有吉 怒り新党』が“復活”した(TVerでは4月30日(金) 18時まで配信)。

もちろんこれは有吉弘行と夏目三久の結婚を祝し行われたもの。“古巣”である番組にこういう形で恩返しするのが、いかにも義理堅い2人らしい。マツコ・デラックスはウエディングドレス姿で登場し、3人は息の合ったトークを繰り広げる。

この座組が生まれたのは、2011年。まだ有吉が毒舌とあだ名芸で「再ブレイク」と騒がれていた頃で、同時期に毒舌キャラで注目されていたマツコとの組み合わせだった。当時はふたりとも「MC」という立場を確立しているとはいえない状況。そんな2人のアシスタント役に抜擢されたのが、週刊誌報道の後、日本テレビを退社しフリーアナウンサーになった夏目だったのだ。

「どうなっちゃうんだろうって思ってたのよ。夏目ともすごい久しぶりだし。意外と普通だったわね。この空間が。すっと戻った。すごいいい関係だったんだよね、3人」とマツコが最後に語ったように本当にこの3人は“奇跡”の座組だった。

もっとも3人らしいトークがされたのは、「なんとかマツコさんも一緒に暮らすことはできないのでしょうか?」という視聴者からの投稿に対してだった。

マツコ: そこよ!

有吉: 「そこよ!」じゃないだろ。一喝してよ、こんなの!

マツコ: 有吉弘行がこれから今まで他人だった人と暮らすわけじゃない? これはものすごい変化。1人も2人も一緒じゃない?

有吉: そういうもんかなあ……? そうだね、マツコさんさえ良ければねえ。

マツコ: 夏目はどうなのよ?

夏目: 私は嫌です(キッパリ)

マツコ: ワッハハ!

こうして、2人が作った流れを微笑みながらキッパリ拒否するのが夏目三久たる所以だ。

本当は“恐ろしい”夏目三久

ここで『怒り新党』開始から1年後の2012年に書いたコラムを再掲したい。

夏目三久が怖い。

『マツコ&有吉の怒り新党』(テレビ朝日系)で有吉弘行に対し、「こわぁ~い」と怯えてみせる夏目が怖いのだ。いまさらその面白さを力説しても仕方ないくらいの安定感と浸透度を持っている『怒り新党』だが、まだまだその進化は止まらない。

もともとは、当代随一の毒舌タレントであるマツコ・デラックスと有吉弘行を組み合わせたら……? という、一見安易な企画から始まったような番組だったが、その思惑を超えて2人の「怒らない」コンビネーションが冴え渡り、深夜から23時台に昇格した。そして、この番組の雰囲気の重要なアクセントになっているのは、間違いなく夏目三久だ。当初は、“マツコと有吉のアシスタントなんだから、スキャンダラスな夏目がピッタリだろう”というような、これまた安易なキャスティングのように思われた。しかし、彼女はそんなタマではなかった。2人の意見に対しても決して流されず折れず、夏目は「違いますね」と笑顔で否定する。

「控室へのあいさつは不要」と2人に拒否されても「私はさせていただきます」と頑なに言ったかと思うと、結局途中から行かなくなり、その理由を問われると「面倒くさくなった」とふて腐れる。そのたびに、マツコと有吉は苦笑しつつ唖然とし、「怒らない」まま許してしまう。なにしろ、「夏目三久なのだから」。そう彼らに思わせてしまう、そんな怖さがあるのだ。

そしてついに、7月4日放送回のオープニングでは有吉が不在のまま始められ、彼の欠席裁判が行われていた。以前も「(イジったりすると)たまにホントにムッとしてるなって顔されますよね。プロなのに!」などと有吉を批評していたように、有吉には「拭えない壁」があるという夏目。「よく人に被害者意識が強すぎるとおっしゃるじゃないですか。あれ、自分ですよね」と本質を突いていく。有吉が戻ってくると、やはり瞬時に怯えた表情に変え、有吉イジりコントへ発展させていく。

彼の過去をイジるというような番組はよく見かけるが、最も鋭利に有吉の本質をイジり始めたのが『怒り新党』であり、アシスタントである夏目三久だったのだ。

そもそもマツコと有吉は、「強固な意志をもとに世の中や人生と戦ってます!」などと誤解されがちだ。しかし、彼らの主張の多くは「斜め」からの視線ではなく、ひどく真っ当な正論だ。たとえば、「何か新しいことをやろうとすると否定から入る日本人の気質が許せない」という視聴者からの“怒りメール”に対し、有吉は「世の中っていうのはそういうもんだからね。そりゃ上の人間は新しい芽を摘もうとするし、若い奴らは反抗していくし、ね」と答える。

マツコも同調し、「自分の理解できないものは恐怖じゃない、みんな。それをうまく理解させてあげられる人が優秀な人なんじゃないの? だから、それができてないってことは、彼の努力も足りないんじゃないの? それをうまく騙すじゃないけど、うまく理解させなきゃいけないわけじゃない、上の人にさ」と続ける。「ジジイころがしがうまい人って見てると、ジジイリスペクトもしてるんだよね。ジジイの面白さだったり、自分たちには持っていない部分だったりちゃんと評価し、尊敬した上でしてるから、ジジイも心開くわけよ。『俺、若い奴は苦手だけど、お前だけは信じられるんだよな』って言わせてる奴いるじゃん」と。

視聴者からのひねくれた“あるある”な社会批判を、「怒らない」代わりにベタな正論で返していくのだ(思えば番組随一の人気コーナー『新・三大○○調査会』も、見落とされがちなベタな王道を再評価する企画だ)。

有吉とマツコはどちらもコンプレックスを抱えながら、それを理論武装する形で自分自身を守っている。それが多くの視聴者にとって自分と重なり共感を呼ぶ。似たもの同士の2人だが、その思考は少しベクトルが違う。僕らはみんなどこかで「自分は他人より物事をわかっている」と思っている。そういう「理知的な自分」の代弁者が、「自分磨き」を「泥団子みたいなもんだよね。どんなにキレイに磨いても中身は泥だよ」と断罪する有吉だ。諦観を含んだ厳しさに僕らの優越感が共鳴する。

一方で、僕らは「自分は他人より劣っている」ことに怯えている。そんな「弱い自分」の言い訳をしてくれるのが「全員、同じくらい自分のこと嫌いだし、自分のこと大好きだよ」と諭したり、「人のせいにできないから、ストレスのせいにしてるのよ!」とムキになるマツコだ。弱さを許容する虚勢に僕らの劣等感が共鳴する。

そして、そんな2人を(それに共感し、快哉を叫ぶ僕らを)夏目三久は微笑みながら否定するのだ。恐ろしい女である。

「日刊サイゾー」2012年7月11日

これ以降も、マネージャーに手作りカレーを差し入れするという話に、「迷惑だ」と2人に批判されると「たぶんですけど、お2人がクズなんだと思います」と言い放ったりもしていた夏目三久。有吉の強固な「拭えない壁」を乗り越えるには、そんな彼女の恐ろしいまでの“強さ”が不可欠だったのだろう。

「離婚の理由って『すれ違い』か『価値観の違い』。価値観のほうは無理だとしても、『すれ違い』だけは潰しておくか」と有吉が説明した理由で、夏目は今秋をもって仕事を辞めることも発表された。

この得難い才気をテレビで見られなくなるのは残念だが、それもまた、いかにも夏目三久らしい決断だ。

ライター。テレビっ子

現在『水道橋博士のメルマ旬報』『日刊サイゾー』『週刊SPA!』『日刊ゲンダイ』などにテレビに関するコラムを連載中。著書に戸部田誠名義で『タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』(イースト・プレス)、『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか 絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』、『コントに捧げた内村光良の怒り 続・絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』(コア新書)、『1989年のテレビっ子』(双葉社)、『笑福亭鶴瓶論』(新潮社)など。共著で『大人のSMAP論』がある。

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