Yahoo!ニュース

「こんな音痴なツッコミは見たことがない」と言われた男が「理想的なツッコミ」と粗品に絶賛されるまで 

てれびのスキマライター。テレビっ子
ママタルトの檜原洋平(左)と大鶴肥満(右)

【シリーズ・令和時代を闘う芸人(5)】

個性的で注目の若手芸人を紹介するシリーズ連載。今回は身長182cm、体重160kgの巨漢のボケ・大鶴肥満とツッコミ・檜原洋平からなるサンミュージック所属のコンビ「ママタルト」。大鶴の唯一無二のキャラクターと檜原のツッコミと大喜利力が注目を浴びている。

檜原は、4月28日にぺこぱ、かもめんたる、安藤なつらも出場した「サンミュージック大喜利No.1決定戦」でも優勝した。

音痴なツッコミ

昨年9月26日放送の『アメトーーク!』「このツッコミがスゴい!!」では、中川家礼二や博多大吉、小峠英二などが、サンドウィッチマン伊達、ナイツ土屋、千鳥ノブ、フットボールアワー後藤といった当代きっての名ツッコミを紹介するなか、霜降り明星・粗品は若手芸人を推奨。ママタルト檜原のツッコミを「1個のボケの事実をわかりやすくお客さんに伝わるまで説明して最後ちゃんとウケてる」「理想的」と絶賛した。

檜原:僕は歌がすごい音痴なんです。で、結構ツッコミも音痴。2年前ぐらいにサンドウィッチマンさんの若手芸人の勝ち抜きのラジオに出たんですけど、そのときにゲストのロッチさんとサンドウィッチマンさんが、「ツッコミの彼は何でこんなにツッコミが音痴なのに堂々と……」って(笑)。「こんな音痴なツッコミは見たことがない」と言われて。それなのに「別に私は音痴じゃないですよ」みたいな感じで堂々としているのがめっちゃ面白いって、そんな理由で3回連続で勝ち残ったんです。そこから、うまいツッコミはいっぱいいるんで普通に見たら結構下手なんですけど、別に音痴なまま堂々としようというふうに思いました。

大鶴:確かにすごい下手だなとは思うんですけど(笑)。

檜原:「何でそんなふうに思うねん」とかな(笑)。

大鶴:そう。でも、自分たちの動画をずっと見直したりするんですけど、やっぱり何か聞いていくとだんだん面白く感じるというか。だから、初見には絶対これは良くないけど……。

檜原:癖というか、なじんでくると結構ウケてもらえるようになってきたというか。

―― 音痴というのは、会話の温度に合っていないということですか。

檜原:それもあります。まだ始まって15秒ぐらいなのにそんなに怒っているのか……(笑)。漫才のコントの中で、別にそんなに嫌がらせというか、迷惑を被っていないのに、何でこんなに顔を真っ赤にして怒っているんだとか、そういう漫才のセオリーみたいなものからすごい外れている部分があるんですけど、それもサンドウィッチマンさんが「変だな」みたいな。「何でそんなに怒っているんだ」みたいな。

粗品とは高校時代の「M-1甲子園」で出会った。南大阪の大会で優勝した檜原は「大阪の地下ライブで高校生のライブをしよう」と粗品に声をかけられ、それ以来、仲が良くなった。

今年2月に行われた粗品主催のツッコミ力を競うライブイベント「ツッコミ」でも檜原は優勝。『アメトーーク!』で名前を出す際も、わざわざ粗品から連絡があったという。

檜原:粗品君はやっぱり『M-1』にすごい熱い思いがあるんで、もう自分は優勝したから、次は仲のいい人に勝ってほしいみたいな気持ちがあるんだと思うんです。『アメトーーク』で好きなツッコミを紹介するとなって、粗品君以外の人は売れている人を紹介するという話だったんですけれども、粗品君が打ち合わせで「僕は無名の人でもいいですか」と言ってくれて。で、その前に僕に直接電話がきて、「『アメトーーク』でツッコミがすごいという企画があって、檜原君のことを紹介しようと思うねんけれども。檜原君は『M-1』前に名前だけが挙がるみたいなことは大丈夫? それとも、ダークホースみたいに全く波風の立っていないところから行きたい?」みたいに繊細に気を遣ってくれて。

「ツッコミ集みたいなのがあったらもっとプレゼンしやすいんやけども」って言うので、単独ライブの動画の僕のツッコミをいっぱいカットしてもらって、それをぎゅっとまとめて、全部に字幕を入れた3分ぐらいのプレゼン動画みたいなのを相方が2~3時間で作ってくれたんです。それをその日の打ち合わせに間に合うように送って、で、『アメトーーク』のスタッフの方が「そんなに熱意があるんやったら無名でも『アメトーーク』で紹介してもらっていいですよ」というふうになって紹介してくれたんです。

―― 結構、コンビのファインプレーでもあったんですね。『アメトーーク』で紹介されて何か変わったことはありますか。

檜原:本当に生活しやすくなった(笑)。ネタ見せとかでも「例の人」とか「見たよ」とか「ちょっとだけ紹介されていたね」とか、「名前だけは見たことがあります」とかの人が増えて、ちょっとずつやりやすくなってきました。

大鶴:ウケやすくなりましたしね。やっぱり、それまではずっとツッコミが下手というレッテルだったんですけど、あれを見たことによって「あ、これは味のあるツッコミなんだ」みたいな(笑)。

檜原:そう。普通に僕のツッコミを見たらすごい下手だなと本来は思うはずなんですけれども、粗品君がすごいと言ったことによって、「下手だなと思った私は間違っているんだ」みたいな洗脳が(笑)。

「大鶴肥満」の芸名は大鶴義丹に似ていることに由来するあだ名から。一時、「肥満」はイメージが悪いと考え「ふぐ」に改名するも定着せず「大鶴肥満」に戻した。
「大鶴肥満」の芸名は大鶴義丹に似ていることに由来するあだ名から。一時、「肥満」はイメージが悪いと考え「ふぐ」に改名するも定着せず「大鶴肥満」に戻した。

「大鶴肥満を王にしたい」

檜原は「5upよしもと」のオーディションを受けて、合格し大阪吉本に入り芸人としてのキャリアをスタートさせた。

一方、大鶴は大学生の頃、お笑いサークルに入り、4年生のときにワタナベエンターテインメントの大学生向けの大会で元祖爆笑王から賞を受賞しプロに誘われた。一度はやはりプロは難しいと塾講師などをして生活をしていたが、「普通の生活がハードモードすぎる」と感じ、太田プロの養成所に通い始めた。

大鶴: 3月卒業なんですけど、太田の養成所に入ってその3月卒業のタイミングで相方に出会ったんです。そこで、元々僕は養成所内でコンビを組んでいたんですけれども、「たぶんこのコンビは(事務所に)所属できる」みたいなことは言われていたんです。でも、ネタとかが全然うまくいかなくて、仮にこのまま所属したとしても3年以内に絶対解散するだろうなというのは何となく分かっていたんです。そのタイミングで「組もう」と声を掛けてもらって、この2人でコンビを組んだんです。その結果、養成所に入っていない外部の人と組んじゃったんで太田に所属はできなくなってしまったんです。

―― 檜原さんは何で大鶴さんに声を掛けたんですか。

檜原:僕はちょうど前のコンビを解散したんですけど、ZAZYという金髪の芸人と仲が良くて。彼が大阪に住んでいたんですけど、『ガキの使い』の「山-1グランプリ」で優勝して、焼肉を食べに行ったんです。そのときに「前の相方と解散した」と言ったら、「次は特徴のある人と組んだほうがいい」と。「すごい太っているか、すごい歌がうまい人と組んだほうがいい」と言われて、「あ、そう」と適当に流していたんですけど、ちょうどその話をした次の日に、すごい太った人が目の前にいたんで導きだと思って話し掛けたんです。

―― 誘われたときはどう思われました?

大鶴:すごいうれしかったんです。前の檜原のコンビが「サンストレンジ」というんですけど、大学生の頃のサンストレンジのネタを見たことがあって、めちゃくちゃ面白くて、こんなに面白い人が俺なんかでいいのかという葛藤と、誘われたからと今のコンビを乗り換えるのも義理人情に反するなとすごいストレスがあって(笑)。1週間ぐらいはずっとどうしようと悩みに悩んだ結果、やっぱり自分のチャンスだと思ったんです。檜原は僕と組む時に「俺は大鶴肥満を王にしたいんや」と。「たぶん今組んでいる相方は王にはしてくれないよ。俺は王にするぞ」という、その一言がきっかけで。俺はやっぱり王になりたかったんで(笑)。ストレスよりもそちらの言葉に引かれて、組もうと思いました。

檜原:僕も関西の大学だったんですけど、大学お笑いの大会に夜行バスで通っていたんで、太田プロのストレッチーズとかさすらいラビーとか、大学生お笑いで活躍したグループと割と仲が良くて。で、次に大鶴肥満とコンビを組もうと思っていたら、みんなから猛反対されたんです。「大鶴肥満なんかいいわけない」みたいな(笑)。「大鶴肥満がウケているところは見たことがない」と

大鶴:さすらいラビーとかストレッチーズは大学お笑いの中でやっぱりカーストでいうと一番上にずっといたグループなんですよね。そのグループには僕は全然入れなくて、ずっと『野球のおじさん』みたいな漫才をやっていたんです。で、そういうしょうもないことばかりやっていたんで、それが急に「プロになる」と言ったら、やっぱりずっとプロを目指して頑張っている人からしてみたら、何でこんなやつがプロになるんだ、みたいな。それもあってすごいマイナス評価だったんです。それで面白いやつが「大鶴肥満と組む」と言った日にはそりゃ猛反対を食らうだろうと(笑)。

大鶴は太田プロ養成所を卒業したが所属できず、次にコンビでマセキのオーディションを受けたが不合格。今度はサンミュージックを受けると、担当のマネージャーから大鶴が「こんなに清潔感のあるデブは初めて見た」と言われ、サンミュージック1本に絞った。

檜原:ネタ作りは僕が喫茶店で、箇条書きみたいに適当にノートにわーっと書いて、で、また違う紙に、言う順番にまとめたチャート表みたいなものを作るんです。で、それを渡して、「これを言ってこれを言って、これを言って、これを言って、これを言って、終わり」と一個一個説明しながら渡したらもう大鶴が……。

大鶴:「分かった」と言って、覚えちゃって。

檜原:1回でもうできるんです。

大鶴:記憶力がすごい良いんだと思います。

檜原:そうです。一月前に1回だけやったネタとかも急にできるんです。急に「やろう」と言ったら何となくでできるんです。

大鶴:完全に抜け落ちることもありますけどね(笑)。

檜原:でも僕が説明するときに、「このボケは怒りじゃなくて嘆きだ」とか、「悲しみじゃなくて憂いなんだ」とか言ったらすぐに割と思ったようにやってくるんです。悲しいと思って言っているなと思ったら、「それは悲しいんじゃなくて憂いているんだ」と。

大鶴:「あ、憂いのほうね」と、すぐ憂いに(笑)。

檜原:そう、憂うことができるんです。

大鶴:本当にマシーンなんで、言われたら言われたとおりに。

―― 舞台監督と演劇人みたいなところもあるんでしょうか。

大鶴:そうですね。

檜原:怒っているんじゃなくて嘆いているみたいな、「外に対して怒っているんじゃなくて、自分に対して怒っているふうに言ってくれ」みたいなのも分かってくれるんです。

檜原は中学時代、千原ジュニアの『題と解』で大喜利を知り、『ケータイ大喜利』や様々なラジオ番組に、『キン肉マン』のキャラクターの名を借りた「ゲッパーランド」というラジオネームで投稿を始めた。バッファロー吾郎のA先生からはその大喜利力を「檜原は笑い飯の西田とかダイアンの西澤みたいなフラットな面白さがある」と称賛された。

そんな彼は学生時代、どんなタイプの学生だったのだろうか。

檜原:中学生のときも高校生のときも明るかったですね。僕は高校生のときに、男子が9割で女子が1割の高校に入って、僕は高校生になったら絶対彼女が欲しいと思って、高校1年生の4月の2週目に告白して。

大鶴:すげえ。

檜原:もう全然、どんな性格かも全く知らないんですけれども、「好きです」と告白したら付き合えたんです。でも、8クラスあって、高校から入学するのが2クラスで、6クラスは中学校からの内部進学で、その内部進学の6クラスの子は中高6年間あって、どの子がどの子を好きでとか、恋愛模様が3年間でもう終わってしまっているんです。なんで、高校からの2クラスの女の子を内部生が探していっぱい告白してくるんですけれど、僕は内部生からあまり格好良くないと結構なめられていて。「いや、檜原君やったら別に横取りできるやろ」みたいな感じで、内部生とかが僕の彼女にばんばん告白して(笑)。

大鶴:ひどい(笑)。

檜原:でも、僕はそれでも明るく振る舞っていたんで、なんとか3年間耐えきったんですよ。3年間、彼女と付き合いきって。卒業してから「実はみんな檜原君のことは嫌いやった」みたいに言われて(笑)。

大鶴:僕はずっと太っていたんで、雰囲気もずっと異端児だったんです。高校に入ってめちゃくちゃいじめられたんです。全部がでか過ぎたという(笑)。高校生で120キロとかありましたから。高3のときは130キロでした。

檜原:内気だからとかひ弱だからいじめられたとかじゃなくて、握力測定があったらしくて。

大鶴:あのときで85とか。

檜原:最初の握力測定で握力が85キロあって、それが気持ち悪かった(笑)。

大鶴:強過ぎて(笑)。で、座高も1年の段階で99センチあったんです。で、座高は100センチまでしか測れないんです。

檜原:ぎりぎり(笑)。

大鶴:高3の先輩が測定しているんですけれども、「こいつ終わったな」と1年の段階で(笑)。

―― どういういじめ?

大鶴:でかいから物理的ないじめは一切受けないんです。精神的ないじめがすごいんです。だから、めちゃくちゃ鍛えられました。その日までに提出しなくちゃいけないプリントとかを、書いてきて出そうと思ったら無くなっているんです。「あれ、無い」と思って、怒られて。で、その1週間後にみんなにプリントを返却していくんですけれども、いじめの主犯格が俺のところまで来て、「おまえのプリント全然駄目じゃねえかよ」と。そいつが俺のプリントを盗んで名前だけ書き換えて提出してたらしくて。

みんながペットボトルにお茶を持ってくるじゃないですか。お茶の中にかんだガムが入っているんです。で、飲んでガムが出てくるとブッと吐くじゃないですか。ブッと吐いたら俺がいきなりブッと吐いたやつになるから、「おまえ、最悪だ」みたいになるんです。「いや、ガムが入っていたんだよ」と言っても、でかいんでやっぱり全然聞いてくれなくて(笑)。

檜原:そんなことはないのよ、ガムが入っていたら「ガムが入っていた」と言えばいい(笑)。

大鶴:頭脳派のいじめの主犯格がいて、そいつが今でも憎いですね(笑)。

―― でも、すごく明るいイメージがありますよね。

大鶴:明るくやっていかないと終わるというのもあって。高校2年のときの担任の先生が新人の先生で、毎日「大丈夫? 不安になったら言ってね」と声を掛けられるのがすごい嫌になっちゃって。ブレザーがチョークまみれになることもあったんです。「真っ白やんけ」とか言いながら着たりとかするんですけれども、それはやっぱり担任は「大丈夫?」と。そう言われるとより惨めになるというのがあったんで、明るくしようとは思っていました。

芸人仲間とは「Zenly」というアプリで位置情報を共有し、連絡を取り合っているという。
芸人仲間とは「Zenly」というアプリで位置情報を共有し、連絡を取り合っているという。

「うそ辞めよう」

檜原はサンテレビのbaseよしもとやうめだ花月のライブ中継を見て、バッファロー吾郎やプラン9、りあるキッズらに憧れた。

一方、大鶴は『オンバト』を見て田上よしえらの存在でネタを意識するようになり『笑う犬』シリーズや『リチャードホール』などのコント番組に参加したいと夢見ていた。

だからフジテレビの『ウケメン』に最終段階まで残った末に、27歳だったにもかかわらず「見た目がおじさん過ぎる」という理由で落選したのはショックだった。

それでも芸人をやめようと思ったことは一度もない。

大鶴:けれども一回、「もう辞めよう」みたいなことが急にLINEで来たんです。

檜原:「うそ辞めよう」は一回ありました(笑)。

―― 「うそ辞めよう」?(笑)。

檜原:気合いを入れるために(笑)。

大鶴:一回、ライブ会場が西武線の新井薬師前という遠い所で、ここでライブをやってもな……、みたいなことがあって。

檜原:そのライブと同じ日の夜7時から下北沢のライブに出て、7時半から始まる新宿のライブに出るとかが、ひざとか足とか体が痛いんで「もう嫌だ」みたいな。

大鶴:悲鳴を上げているんで。

檜原:「もうそのライブを断りたい」となって。で、僕も結構面倒くさがりなんで、「じゃあ、風邪をひいたことにしよう」とか言ってライブを断ったりしていたときがあったんですけど、ハっと「良くない」と思って。この新井薬師のライブに出ることは、この生活が一生続くと思っているから面倒くさいと思ってしまうんだ、このライブをはしごする生活ももう今年で終わりと思ったら別にできるはずだと思って、「じゃあ今年で辞めよう」と一回うそをついたんですよ。今年で辞めるんだったら、来年はもうこんなライブをはしごすることなんてないと思ったら大丈夫なはずだと思って、一回それを言っておいたんです。

大鶴:だから、僕も「まあ、そうかな」ぐらいだったんだけれども、「もうライブをやめて不細工労働者になろう」と言われて、「あ、やばい」と。

檜原:そうです。「僕ら2人は不細工な労働者に……」。

大鶴:それは嫌だと思って。

―― 「不細工労働者」?

檜原:ばりばり働いて、プライベートも充実するサラリーマンに転身できるんだったらまだ希望があるんですけど、僕らはもうお笑いを辞めたら、未来のない、不細工に働き続けるだけの2人になると(笑)。

大鶴:で、「それだけは嫌だ」「夢は持ちたい」となって、そこから本気で全部やっていこうというふうになりました。

―― それはいつ頃なんですか。

檜原:今年に入ったぐらいですね。

大鶴:あれは1月か2月……。

―― 今年の話!

檜原はZAZYら同居人5人で「カサグランデTV」というYou Tubeチャンネルを持っている。そこで「173時間テレビ」と題して1週間ぶっ通しで放送を行い、伊集院光が自身のラジオ番組で言及するなど、大きな話題になった。

檜原:ZAZYが、実行力はないんですけれども言いだしっぺにすぐなるんです。吉本の劇場が一斉に中止になったんで、みんながずっと暇になったといって、配信をやろうとなって、最初は24時間の配信をしようとなったんですけれども。4人は「24時間ぐらいがいい」と言って、ZAZYは「いや、24時間なんてそんなん意味ない。もっと頑張ったほうがええやろ」みたいな。で、「72時間やろう」と言って。僕らは72時間もやりたくないと思って、「いや、72時間も24時間も一緒やろ」「誰かがやっているやろ」みたいな。「1週間とかやったらやってもいいけれども」と、みんなが中止を願って打ち出したんですよ。

―― だったらやめると言うと思って(笑)。

檜原:そうです。そしたらZAZYが「1週間いいやん」となって、「173時間やろう」となって。で、もう言いだした手前、173時間みんなでやることになったんです。

―― 反響はどうでしたか。

檜原:でも、本当にお客さんとかも増えて。5人が吉本とサンミュージックとか、結構ライブがかぶっていなかったんですけど、「男性ブランコ」とか「サンシャイン」が好きな吉本のファンも僕らのライブを見に来てくれるようになったりして、すごいお客さんが増えました。

「173時間」は本当に思いつきでやったんで、家のWi-Fiもすごい弱いWi-Fiで、1週間やるはずなのに1日目ぐらいでもうWi-Fiの速度制限がかかって、ぶつぶつの最初の宇宙通信衛星みたいな画質になったんですけど(笑)。そこから同居人が50ギガのテザリングプランみたいなのをその場で契約してテザリングでやったり、自分の通信量が残っている人がどんどん駆けつけてくれて(笑)。

大鶴:一回、男性ブランコの平井さんがもう外出しなくちゃいけないというときに、出ちゃったら誰もテザリングできなくなっちゃうからといって、携帯を置いて出掛けるという、すごい献身的な(笑)。

檜原:またZAZYが最悪なことを言いだして、オリンピックが延期になったじゃないですか。「オリンピックのために休みを取っていたり、オリンピックを楽しみにしていた人がかわいそうだ」と言いだして、オリンピックの開会式が始まる日から閉会式の387時間、また次は夏に配信することになったんです(笑)。夏はメカニック面もすごい悩みが解消されて、字幕を打つとか概要とか固定コメントを打つという知識が増えたのと、あと、登録者数が1,000人を超えてiPhoneから配信できるようになったんです。だから、外にも行けるようになったんで、次の387時間は結構、もっと機械面で良くなる配信になります。

大鶴:本当に決定したんだ。

檜原:そうです。

大鶴:最悪や(笑)。

※カサグランデ173時間TV内で起き抜けに単独をするママタルト(44:00頃から)

檜原:今の目標は、やっぱり単独ライブに人がたくさん来てもらえることですね。サンミュージックは、単独ライブの売上は芸人に入ってくるんで、単独ライブで人が埋まれば、バイトを減らせるっていうのがあるんで、単独ライブを頑張っていきたいと思います。テレビでは、僕らは平場というか、例えば『さんまのお笑い向上委員会』とかで大活躍できるようなタイプじゃないんで、『IPPONグランプリ』とか『すべらない話』とか、完全に自分の番が与えられてそこでしゃべるとか、そういうところで結果を出したいなと思います。

大鶴:僕はロケ番組に常駐したいです。

檜原:あとは、やっぱりドッキリとか。

大鶴:ドッキリとかそういう、ずっと主役じゃなくてもいいんですよ。毎回このコーナーにこいつが出ている、ワンポイントじゃないんですけれども、その位置に入りたいなとは思っています。

檜原:この番組のドッキリ要員といったら大鶴肥満、みたいな。

大鶴:そういう位置になりたいです。

檜原:どーんといっぱいテレビに出ているのもいいんですけれども、「この場面のこのキャラクターといったら僕ら」みたいな。

―― じゃあMCをやってとか、看板を背負って「ママタルトの」という番組を作りたいということではない?

檜原:でも、テレビ埼玉とかではやりたいです(笑)。

大鶴:確かに、キー局じゃなくて地方でいっぱいやっていきたいです。

檜原:テレビ埼玉とかで仲がいい芸人をゲストに招いてロケ番組をするとかはやりたいんです。

大鶴:千葉テレビとかそういう関東ローカルの。

檜原:フジテレビとかではちょっと荷が重いです(笑)。

大鶴:さすがに。

檜原:そこまでの器ではないです。

大鶴:CSテレ朝とかでもいいです(笑)。

さや香の新山に「ママタルトさんは、本当にテレビに出ると思っていないからそんな安そうな衣装で立っているんですよ」と諭され、衣装を買い揃えた。檜原のダブルのスーツは映画『キングスマン』のイメージ。
さや香の新山に「ママタルトさんは、本当にテレビに出ると思っていないからそんな安そうな衣装で立っているんですよ」と諭され、衣装を買い揃えた。檜原のダブルのスーツは映画『キングスマン』のイメージ。

■ママタルト

2016年結成。サンミュージック所属。

http://www.sunmusic.org/profile/mamatarte.html

檜原洋平(@hiwarayohei):主にツッコミ担当。1991年7月生まれ。大阪府出身。

大鶴肥満(@ohtsuruhiman):本名は粕谷明弘。主にボケ担当。1991年7月生まれ。東京都出身。

(取材・文)てれびのスキマ (編集・撮影)大森あキ 

(取材日)2020年3月下旬

<関連記事>

「めっちゃええやん」芸人はどうやって観客を自分の世界に引き込むのか(「キュウ」インタビュー)

月1本のライブ出演で『M-1』『KOC』準々決勝進出! 社会人コンビのライブと賞レースの微妙な関係(「シンクロニシティ」インタビュー)

「愛したものに救われた」泥のような生活や逆風から「ザ・マミィ」という生きる居場所を手に入れるまで(「ザ・マミィ」インタビュー前編)

東京03飯塚の助言で救われたザ・マミィ 「生きていたら変だった」そのキャラクターの活かし方(「ザ・マミィ」インタビュー後編)

ジャニーズ、チャン・グンソク、源頼朝…売れっ子に「感謝に∞」 変なことをしたい――ダジャレ漫才進化論(「じぐざぐ」インタビュー)

ライター。テレビっ子

現在『水道橋博士のメルマ旬報』『日刊サイゾー』『週刊SPA!』『日刊ゲンダイ』などにテレビに関するコラムを連載中。著書に戸部田誠名義で『タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』(イースト・プレス)、『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか 絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』、『コントに捧げた内村光良の怒り 続・絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』(コア新書)、『1989年のテレビっ子』(双葉社)、『笑福亭鶴瓶論』(新潮社)など。共著で『大人のSMAP論』がある。

てれびのスキマの最近の記事