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『放送禁止』長江俊和が伝説のフェイクドキュメント「香取慎吾 2000年1月31日」を撮るまで

てれびのスキマライター。テレビっ子
長江俊和の新作ドラマ『東京二十三区女』(WOWOW)より

長江俊和インタビュー(中編)

フジテレビの深夜に突如放送された『放送禁止』(2003年~)で視聴者に衝撃を与え、4月12日からは新作ドラマ『東京二十三区女』(WOWOW)の放送がスタートする長江俊和氏へのロングインタビュー。中編は、どのようにしてフェイクドキュメンタリーに辿り着いたのか、その経緯を伺った。(取材協力:クイズ夜会)

※前編はこちら

「この番組は現時点ではフィクションです」

『NONFIX』で「古代帝国軍」というカルト的思想団体を扱ったドキュメンタリーをつくり、そのドキュメント的手法の面白さを知った長江俊和は、当時まったく一般的ではなかったフェイクドキュメンタリーのドラマ『FIX』の企画を思いつく。

フェイクドキュメンタリーはいまでこそ、よく知られるようになった手法だが、当時はあまり例がなかった。

長江:やっぱりドキュメンタリーで思ってもいないような映像が撮れちゃったりした感覚が忘れられなくて、これをドラマに応用できないかと思ってたんです。そんなときに、『ありふれた事件』というベルギーの映画を見たんですよ。それを見たときに、このやり方は日本でもできるんじゃないかなと思って、すぐに『FIX』の企画を書いて提出したんですよね。

『ありふれた事件』は、1992年に公開されたベルギー映画。殺人と強盗を生業にする男の密着ドキュメンタリーを制作する撮影クルーたちを描いた映画だ。長江はこれを見て自分流のフェイクドキュメンタリーの着想を得た。

しかし、長江は当時まだドラマのディレクターのほとんど経験がなかった。そんな実績のない男の企画は普通通るものではない。

長江:フジの編成にいた和田行さんのところに企画を持っていったんです。「家庭用カメラとかで撮れちゃいますから、制作費50万でできます」とか適当なこと言って。そしたら編成会議にかけてくれたんです。そのときに別の編成の方もこれ面白いじゃんって、すごい乗ってくれて、それでじゃあやろうってことになったんです。

『FIX』は1992年にフジテレビの深夜2時台に放送された。第1部は「密着!現代版必殺仕事人」、第2部は「あの超能力少年少女は今」と題した90分のオムニバスドラマだった。

長江:当時フェイクドキュメンタリーっていうのも、あまりなかったんで、ドキュメンタリーっぽいんだけど全部シナリオがあって、女優とか男優が演技しててっていう、誰も見たことがないような世界が撮れるから、面白かったですね。視聴率も良かったんですよ。深夜2時くらいからの放送なのに、5.4%くらいいって。いまだったらゴールデンでもそれくらいの番組ありますからね。当時だって深夜だとせいぜい2~3%でスゴいっていう時代でしたから。それで、視聴率が良かったんで連続にしようってことになって『Dの遺伝子』が始まったんです。

『Dの遺伝子』は1997年4月7日から9月29日にフジテレビで放送された連続ドラマ。ドキュメンタリーを模してはいたが、菅野美穂、袴田吉彦、高橋一生、遠山景織子、松尾貴史ら決して無名ではなかった役者を起用していた。「この番組は現時点ではフィクションです」と番組の最後にテロップで表示されていたように、近未来を舞台にしたフェイクドキュメンタリーだ。

長江:僕は『FIX』でやったようなリアルなフェイクドキュメンタリーをやりたかったんです。けど、プロデューサーから普通のフェイクドキュメンタリーでいいのかっていう意見が出て。通常のドキュメンタリーだと1カ月とか、1年とか粘って、やっと撮れるようなものを、フェイクドキュメンタリーは、当然シナリオがあってみんな演技するから、3日ぐらいで撮れちゃうわけですよ。ある意味で、作り手が汗をかいてる感じが出ない。それだと普通のドキュメンタリーに負けちゃうんじゃないか、と。フェイクドキュメンタリーでしかできない、フェイクドキュメンタリーをやる意味を考えようってなったんです。それで考えていくうちに、未来のドキュメンタリーだったら、フェイクドキュメントにしかできないんじゃないかって。例えば寿命遺伝子が発見された、あなたはもうあと5年で死にますよって言われたとき、その人間はどういう反応を起こすかとか、みたいな。

『Dの遺伝子』はいわゆる「JOCX-TV2」の枠で放送された。「JOCX-TV2」は“第2のフジテレビ”を意味するフジテレビの深夜枠の名称で、「アンチフジテレビ」を標榜し「フジテレビらしくないことをやろう」と若手社員に編集権を全権委任しつくられた枠。そこから『カノッサの屈辱』、『カルトQ』、『夢で逢えたら』など数多くの実験的な番組を生み出し、新たな人材を発掘していった。『Dの遺伝子』も例外ではなく、その作風も実験的だが、つくり手に抜擢された面々も独特だった。

長江:企画者である僕が撮ったのは、24本中4本だけ。それには理由があって、ドラマ枠なんですけど、ドキュメンタリーとかニュース性の要素があるから、フジの和田行さんが、いろんな部署から人材を集めてきたんですよ。例えば情報の人間にもドラマを撮らせようとか、ドラマでADやってるような人間も撮らしたいし、ニュースやってる人間とかバラエティーやってる人間とか、いろんな各部署から。だからいまだに、『Dの遺伝子』で撮った人とちょっと付き合いがあって、今度、僕がWOWOWでやる『東京二十三区女』のプロデューサーの羽鳥健一さんも実は『Dの遺伝子』で、1本撮ってるんですよ。当時フジテレビは深夜で面白い挑戦をやってましたよね。

トークイベント「全部聞け。」での長江俊和氏
トークイベント「全部聞け。」での長江俊和氏

伝説のフェイクドキュメント「香取慎吾 2000年1月31日」

そして99年、長江はいまや伝説となる番組を手がけている。それが『SMAP×SMAP』特別編として放送された「香取慎吾 2000年1月31日」(1999年12月13日放送)だ。

これはSMAPの香取慎吾が、女子高生を人質に山荘に立て籠もったという“事件”を「緊急報道番組」という形で放送したフェイクドキュメンタリーである。(参考:「知っていることがすべて真実とは限らない」香取慎吾の報道されなかった“真実”

長江:僕は『Dの遺伝子』のあと、イーストが制作している『奇跡体験!アンビリバボー』(97年~)の立ち上げから参加したんです。そのイーストの方にフジテレビから打診があったんですよ。『アンビリバボー』チームで香取慎吾くんの『スマスマ』特別編ができないかって。SMAPは当時もう絶頂期でしたから、いろんなイキのいい演出家とか、話題性のあるPVの監督とかと組んで、特別編で試すみたいなことをやっていて、『アンビリ』も好調だったので、そういう話が来たみたいなんです。香取さん側から、尖ったことをやりたいと。深夜に一度放送された『処刑ショー』という番組があったんですけど、そういうものをやれないかと。

『処刑ショー』は、94年10月9日深夜に放送された。処刑をショーにするバラエティ番組という設定で、司会者がひとりの女子高生を紹介する。ある女子高生が自殺したのは、この女子高生の裏切りによるものだったというスタジオの振りがあり、再現ドラマ風のVTRで彼女の悪行が流される。その後、スタジオで死刑にすべきかという議論をし、視聴者のテレゴングで決める「インタラクティブドラマ」と冠された、いまでは絶対に放送できないであろう番組だ。

長江:それでイーストやフジのプロデューサーと話していくうちにあさま山荘事件のように香取慎吾くんが立て籠もるっていうのはどう?ってなったんです。だから、僕が『FIX』や『Dの遺伝子』のようなフェイクドキュメンタリーをやっていたからっていうのが先ではなくて、たまたまそういう方向になっていったって感じですね。

山荘の部分は事前に収録したもので、それをスタジオと生中継風に掛け合いをしてもらうんです。だから、スタジオの出演者の人たちには「くれぐれもアドリブを言わないでください」ってお願いして(笑)。スタジオのコメンテーター役で出てもらったテリー伊藤さんに「あれ、VTRだったんだ。生だと思ってたよ、スゴイね!」って言われたときは嬉しかったですね。大先輩のディレクターですから。

反響はスゴかったです。途中テレゴングで、香取慎吾を「突入して射殺すべき」「見守るべき」を視聴者に選んでもらうんですけど、想像以上の票が来ました。VTRもどちらが選ばれてもいいように2つ用意してました。

やっぱり局にはクレームもたくさん来たみたいですね。「香取くんがあんなことするわけない!」とか「香取くんが死ぬなら私も死ぬ!」とか。ゴールデンだから『放送禁止』とかと違って、何回も「これはフィクションです」ってテロップを出してるんですけどね。視聴率もすごく良かったんです。特別編って回によっては悪いときもあるみたいなんですけど、18%くらい取りました。実験としてはすごく面白かったと思うんですけど、それ以来、SMAPから仕事来なかったですね。ちょっとやりすぎたかな(笑)。

役者としての香取慎吾は、長江の目にはどのように映ったのだろうか。

長江:香取さんは、すごく楽しんでやってくれていたと思いますね。撮影日も限られていて、最後、銃殺されるシーンは朝までかかったんですけど、嫌な顔せずやってくれました。

撮ってて、めちゃくちゃいい役者だと思いました。なにかオーラが違います。いつも笑顔でみんな笑かしたりとかするんだけど、ちょっと目の奥に哀しみがあるような感じがするんですよね。寂しそうな、孤独っていうのかな。それがこの作品にもぴったりで。最後のシーン、機動隊にバババッて撃たれるんですけど、弾着して血とか吹き出すカットは、スローをかけて撮ったんです。その死ぬときの表情は、僕はやっぱり、松田優作世代なんで、ちょっと優作さんを想起しました。香取慎吾さんで『野獣死すべし』みたいなハードボイルド路線の作品を撮ってみたいなって、そのとき思いましたね。

後編につづく)

画像

WOWOWオリジナルドラマ『東京二十三区女

4月12日(金)深夜0時放送スタート

毎週金曜深夜0時(全6話)

ライター。テレビっ子

現在『水道橋博士のメルマ旬報』『日刊サイゾー』『週刊SPA!』『日刊ゲンダイ』などにテレビに関するコラムを連載中。著書に戸部田誠名義で『タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』(イースト・プレス)、『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか 絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』、『コントに捧げた内村光良の怒り 続・絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』(コア新書)、『1989年のテレビっ子』(双葉社)、『笑福亭鶴瓶論』(新潮社)など。共著で『大人のSMAP論』がある。

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