『放送禁止』『東京二十三区女』長江俊和のルーツ 運命を変えた“危険”な仕事

高円寺・文禄堂書店トークイベント「全部聞け。」での長江俊和氏(撮影:クイズ夜会)

長江俊和インタビュー(前編)

フジテレビの深夜に突如放送された『放送禁止』(2003年~)で視聴者に衝撃を与えた長江俊和。シリーズは現時点で7作がつくられ、劇場版も3作が公開。いまだに根強いファンに熱烈に支持されている作品である。長江はルポルタージュ風の小説『出版禁止』も上梓し、ベストセラーに。その第2弾『出版禁止 死刑囚の歌』(ともに新潮社)も好評だ。

4月12日からは、新作ドラマ『東京二十三区女』がWOWOWで放送される。これは自身の同名小説を倉科カナ、安達祐実、桜庭ななみ、壇蜜、中山美穂、島崎遥香といった豪華女優陣でドラマ化したもの。そんな長江俊和の創作のルーツとは何か、話を伺った。(取材協力:「クイズ夜会」)

自由研究は『本陣殺人事件』のトリック再現

『放送禁止』にしても『東京二十三区女』にしても「オカルト」がモチーフにされている。長江は1966年生まれ。70年代オカルトブームの真っ只中で育ったことになる。その影響が強いのだろう。そう思って聞いてみると意外な答えが返ってきた。

長江:基本的に怖がりなんで、オカルトとかホラー映画は苦手だったんです。テレビで『エクソシスト』をやったときも、手で目を塞ぎながら見ていました。今でも『呪怨』とか見ると、怖くて飛び上がってしまうんです。それよりもSFモノが好きで、SF小説から、ホラーに入っていった感じですね。

あとは、やっぱり『犬神家の一族』が一番影響が残ってます。オカルト的要素もありつつ、真実は不条理ではなく条理である、というミステリー。その頃、横溝正史とか金田一耕助ブームだったので、僕もハマりましたね。部屋に『犬神家の一族』とか『悪魔の手毬唄』のポスターを貼って、親や親戚に気味悪がられて(笑)。

古谷一行のテレビシリーズとかも好きで、そこから小説も読むようになって、ああ、原作とこんなに違うんだと思ったり。だから、小学5年くらいからは、横溝一色。

夏休みの自由研究で水車小屋のプラモデルを買ってきて、カッターナイフとひもをつけて、『本陣殺人事件』のトリックをつくったんです。先生も引いてましたね(笑)。

そんな長江は幼い頃、特撮ドラマが好きだった。「昭和第2期ウルトラシリーズ」のリアルタイム世代。『仮面ライダー』も登場し、ブームを巻き起こしていた特撮真っ盛りの時代だったのだ。

長江:当然自分も成長するから、小3くらいで一切見なくなるんですよ。子供じみてる特撮なんて、みたいに(笑)。『仮面ライダーストロンガー』で終わった感じでしたね。そこからちゃんと正常に成長してればよかったんですけど、5年か6年生のときに本屋で見つけちゃったんですよ。『ファンタスティックコレクション』No.2「空想特撮映像のすばらしき世界」っていうのを。

『ファンタスティックコレクション』は朝日ソノラマが刊行していたアニメや特撮を大人向けに解説したムック本。78年に発売されたその第2弾は、「空想特撮映像のすばらしき世界」と題し『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』、『ウルトラQ』といった初期ウルトラシリーズを特集していた。

長江:それを見たときに子供の頃の記憶が甦ったんですよ。ウルトラマンが変身してきて、赤い背景にパースをつけて、腕を突き出して拡大する映像を見た瞬間に、またのめり込んじゃったんですよね。ウルトラシリーズってこんなにすごい人がこんなに考えて作ったんだとか。そこで実相寺昭雄監督っていう存在を初めて知って、意識して見るようになりました。それでやっぱりあのシリーズはSFなんだって思ったんです。そこからなんです、SFを意識するようになったのは。NHKの少年ドラマシリーズの『タイムトラベラー』とか、筒井康隆、星新一とかを読むようになって。

実相寺監督にもものすごく傾倒している時期もあって、そこから『祭りの準備』とかATG映画も見るようになりました。寺山修司さんの『田園に死す』とか、ああいうアングラ映像に感化されたりしてましたね。

そうしたカルチャーにどっぷりハマった長江が自身でも映像を撮るようになるのは自然なことだった。

長江:中学の頃から8ミリを回すようになって、高校・大学時代は映画研究会に入って撮ってました。また大林宣彦監督に感化されて、尾道3部作がちょうどブームで、その3本をミックスした脚本を書いて、尾道でパロディー映画を撮りました。『いつか見た尾道』という。それを東京の文芸座の自主映画コンクールに出して、審査員特別賞いただいて賞金1万円もらいましたね。

運命を変えたドキュメンタリー

当然、映画監督を志す長江だったが、彼が就職先に選んだのは、映画会社ではなくテレビの制作会社だった。

長江:僕、性格的にあまのじゃくなんですよ。だから素直に映画会社入ればいいのに、ドラマの制作会社に行っちゃうんですよね。最初の現場は中山美穂さん主演の『ママはアイドル』(TBS)でした。その後は、TBSの昼の帯ドラマのADをしばらくやってました。ADで怒られながらも、映像の世界に入ったからには自分でもつくりたいと思ってたから、トイレの中でシナリオを書いたりとかしてましたね。でも、当時は制作会社のADがテレビドラマの監督になれるルートがある時代じゃなかったんですよ。その中でフジテレビは、面白い企画はどんどん吸い上げて、外部の人間も監督に抜擢してるって聞いて、フジテレビでやりたいと思うようになりました。

そうしてフジテレビドラマのADとして働き始めた長江に大きなチャンスがもたらされる。それは、ゴールデンタイムのドラマのチーフADの仕事だ。それをうまくこなし気に入られれば、監督になれるかもしれない。しかし、運命は皮肉なもの。同時期にもうひとつ、別のプロデューサーから長江のもとに話が持ち込まれた。それは、現在も続くドキュメンタリー番組『NONFIX』のディレクターをやってみないかというものだった。念願のディレクター。だが、ドラマではなくドキュメンタリーだ。しかも、題材はカルト的新興宗教という色々な意味で“危険”なものだった。

長江:「古代帝国軍」っていう団体が「1994年6月24日、東京にマグニチュード9の巨大地震が起きる」っていうビラを配っている。彼らを追ったドキュメンタリーをやらないかって言われて、ゴールデンのドラマのADとどっちをやろうかってときに、僕のあまのじゃくな性格がまた出ちゃったんですよね(笑)。ドキュメンタリーの「ド」の字も知らないような人間が『NONFIX』のほうを取っちゃった。

古代帝国軍(のちのザイン)は総統の小島露観が率いる思想団体。彼らは大地震が起きるという小島の予言を信じ、富士山の裾野に移住を始めているという。そんな団体に潜入するのはどう考えても危険だ。

長江:最初はやっぱりビビリましたね。でも、やっぱり総統はどこかおちゃめで話しやすいんです。周りの軍団員たちも濃い人が多かったから、割と取材してて楽しかった。でも、僕はドラマ畑の人間だから取材経験がない。どうやっていいかわからないんですよ。ドキュメンタリーなのに構成台本作ってカット割りとか入れたりとかして、引きとか寄りとかやろうとしたんだけど、当然そのとおりになんないですよね。でも逆にそれが面白かった。ちゃんと映画みたいにカット割りして撮っていくのとはまた違う映像の素晴らしさみたいなものを感じて。予期せぬカオスな映像が撮れる。

総統は大地震で東京が滅びるって予言をしているけど、当時は阪神大震災もまだ起こってなかったから、もちろん大地震なんか起こるわけないと思ってました。だから、地震が起こらなかったとき、全てを捨てて総統の下に行った軍団員たちは、どんなリアクションを見せるのかっていうのが企画の趣旨だったんですよ。起こらなかった後の人間模様を描きたかったんです。ちょうど韓国で世界が破滅するみたいなことを言っていた教祖が吊し上げにあっていたから、そうなる可能性も考えてたし、集団自殺という可能性もあった。でも、若かったから、何が起こってもいいって思ってたんです。

当然予言した日に地震は起こらなかったんです。けど、総統は、その日にたまたま自民党政権が終わって社会党の村山内閣になったことを指して、地震のパワーがそっちに行ったんだとか、僕らのカメラを指さして、取材が来たからだみたいな、僕らのせいにされたりとかしたんですけど(苦笑)。

なんとか無事に番組は完成し放送された。その翌年の95年、阪神大震災が起こる。予言とは場所も時間もズレていたが、長江は小島のことを思い出さずにはいられなかった。

長江:僕らの取材の後、彼らはメディアからの取材は一切拒否になっていたんですけど、総統のコメント聞きたいなと思って、電話をしたら出てくれて総統が言うんです。「阪神大震災は今年の一番のニュースになると思ってるだろうが、それは間違いだ」って。「じゃあ、もっとすごいこと起こるんですか」って聞いたら、「いや、それは言えない」って。そのあと、オウムの事件が起こったから、ゾっとしちゃって、そこで初めて怖くなりましたね。新興宗教の怖さというか。よくああいうところに入り込んで取材できたなって。今だともうできないですね。若かったからできたんだろうなっていうのは思いますね。

この経験でドキュメンタリーの魅力を知った長江のディレクターとしての運命は大きく変わっていった。この体験を昇華し、ドラマと融合させ『放送禁止』をつくっていくことになるのだ。 (中編につづく)

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WOWOWオリジナルドラマ『東京二十三区女

4月12日(金)深夜0時放送スタート

毎週金曜深夜0時(全6話)