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タモリと鶴瓶 あこがれられる男とあこがれられない男の人生哲学

てれびのスキマライター。テレビっ子

日本を代表するテレビタレントといえばビートたけし、タモリ、明石家さんまの「BIG3」、所ジョージ、とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンなどが挙げられるだろう。あるいは、今なら中居正広やマツコ・デラックス、有吉弘行などが挙がるかもしれない。

その中に、忘れがちだが、忘れてはいけない人がいる。

笑福亭鶴瓶である。

誰もが知る“国民的芸人”でありながら、正直言ってどこがすごいか分からないと過小評価されている。

後輩からも散々イジられ、内村光良からは「良い人だけどあこがれないなぁ」と言われ、かつてダウンタウンに圧倒されると、後輩の目の前で「もっとおもろなりたい!」と叫ぶ。

だが一方で彼の周りには彼を慕う多くの人が集まり幸福感に満ちている。

タモリの生き方

翻って国民的芸人のひとりであるタモリは樋口毅宏による『タモリ論』や拙著『タモリ学』など数多の「タモリ本」が出版されたように「あこがれられる男」だ。

その自由で知性あふれる生き方は理想的な生き方といえるだろう。

『タモリ学』では、タモリ自身の数多くの発言を通して、その生き方や哲学を紐解いていった。

「意味をずーっと探すから、世界が重苦しくなるんだよ」

「観念によって生きかたが規制されるっていうのが、あんまり良くないですね。正義であるとか、こうしなければならないとかいうために、自分の生きかたを規制されるっていうのは、結局、言葉だけを信じて生きてるみたいなもんですからね」

「友だちなんかいなくたっていいじゃないですか。ゼロだってかまいはしないんですよ」

「愛って素晴らしいよねって言うけれども、愛が達成されなくなったら人を殺すんだよ」

「反省をもとにして、同じ状況に立って、こうすれば良かったと思ったことを再びやったときに、それがその場にそぐうかそぐわないかは、また疑問だからね。そんなことのために反省してもしょうがない」

「目標をもって努力してがんばることが、いいことのようにいうけど、いつも違和感があったんだよね」

「目標をもつと、達成できないとイヤだし、達成するためにやりたいことを我慢するなんてバカみたいでしょう。(略)人間、行き当たりバッタリがいちばんですよ」

「希望というものがあると、全部の不幸がそっから生まれてくるってことでしょう」

「『ありのままの自分』なんてのは1秒もない」

これらは『タモリ学』に引用したものやその後に発言したタモリの言葉だが、すべて根底にひとつの信念があるように思う。それは「執着しないこと」だ。

SMAP解散に際し、寄せたコメントもそうだった。

「人生に勝敗なんてないし、どっちがいいとか悪いとか、そんな判定みたいなことなんてどうでもいいんだ。大切なこと、それは引きずらないことだ。乾杯すればそれで仲良し。やったことはすぐ忘れる。それが大事。人間なんて、そんなものだ」

出典:「スポーツニッポン」

タモリは「人間は不自由になりたがっている」と語る。様々なシガラミなどは人間を不自由にするが、一方でそれは「安心」を与えてくれる。けれど、タモリはそれを拒否する。

意味にも言葉にも過去や未来にも、他人や自分自身にも執着せずに今を自由に生きること。それがタモリの生き方だ。

「あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。」

これは、赤塚不二夫への弔辞の一節で、タモリが赤塚の「これでいいのだ」を批評したものだが、この考え方こそタモリそのものだろう。

タモリの生き方にはとてもあこがれる。

けれど、この考え方はとても参考になるが、生き方として真似はしにくい。これはタモリほどの才能があってからこそ成立するものだ。

もし、安易に真似をすれば、ただ社会性のない人になり、人生が破綻しかねない。

鶴瓶の生き方

鶴瓶はタモリを「テレビの師匠」と呼び、タモリは鶴瓶が『笑っていいとも!』降板を申し出た際、珍しく自ら慰留したほど、お互いに信頼を寄せている。

だが、生き方は真逆だ。

樋口毅宏は『タモリ論』の中で、タモリを「絶望大王」と評したが、タモリに限らず「天才」と呼ばれる人たちは「孤独感」がつきまとう。しかし、鶴瓶にはそれが一切感じられない。あるのは「幸福感」だけだ。

だからといって鶴瓶が「天才」ではないかというとそうではない。実は、入門4日目からラジオの仕事が決まった以降、メディアでの仕事が途切れたことがないほど超エリート芸人なのだ。

笑福亭鶴瓶論』では、「人見知りしない。時間見知りしない。場所見知りしない。そこに対していかに助平であるか」など、数多くの鶴瓶の言葉やエピソードを通して、その生き方の根底にあるものが「スケベ」だと紐解いた。

たとえば、鶴瓶は「嫌いな人はいるか」と問われたら「いない」と即答する。

「かなわんなって思う人はおるけど、あえて何回も側に寄っていくと克服できる。逃げてると、ますます苦手になる」

と言って、嫌なものでもどんどん近づいていく。そうすると距離感が変わるから見える角度が変わってくる。「嫌」だと思っていたことが「可愛く」見えるのだという。

困難なことや不幸なことが起こっても、それをツラいととるか、オモロいととるかで、同じことでもまったく違って見えてくる。

物事はとらえ方によって全然変わる。腹立てるのとおもしろいのと、どっちがええか言うたらおもしろいほうがええ

いまだに初めてサインを書いた相手と付き合いがあるというほど、人と人との関係、つまりはシガラミを大事にする鶴瓶。

運がいいといろんな人と出会える。その人との関わりを大切にすれば縁ができ、その縁を大切にすることでツキまで回ってくる

つまり、「縁は努力」なのだ。

では、「運」とはなにか。鶴瓶流に言えばそれは「ぼたもちが落ちる位置にいること」だ。

出典:『笑福亭鶴瓶論』

出会いの天才」とは鶴瓶を形容したCMのコピーであるが、よく鶴瓶は奇跡的な出会いをすると言われる。

実際、『家族に乾杯』などでもそういった場面がたびたび描かれる。もちろん、類まれな運もあるだろう。だが、それはスケベに、誰よりも多くの人に会い、誰よりも多くの時間をかけ、誰よりも多くの場所に赴いているからに他ならない。

また、ひとたび出会えば、それを面倒なことと捉えることは決してしない。いちファンから電話がかかってきて、その人の歯医者がどこがいいかの相談まで受けてしまうのだ。しかも、それに対し、怒るどころか、一旦電話を切り、自ら調べ答えてあげるのだから驚く。

そうして単純に機会を増やし、視点を常にプラスの方向にしているからこそ、奇跡的な出会いを生み、縁を繋いでいくのだ。

一方で、あのスケベな笑顔の奥にパンクで反骨な精神も持っている。

「笑福亭鶴瓶」というものを揺るがすものに対しては徹底的に戦ってきた。

やりたいものじゃない、やりとうないものがわかっていた」と鶴瓶は言う。例えば駆け出し時代、若手芸人が必ず通るようなちょっとしたゲームをやることも断固拒否した。

「それを続けてきて、ホンマにそうやって『笑福亭鶴瓶』を作ってきた

有名な『独占!男の時間』での股間露出事件も自分が蔑ろにされたことへの憤りが最大の動機だった。

鶴瓶は言ってみれば、タモリとは逆に様々なものに「執着する」人だ。

過去、未来、他人、自分に執着し、その関係性を突き詰め、それらすべてを前向きにオモロいものと捉えていく。

その生き方はスケベで泥臭い。だから、あこがれにくい。

けれど、このような生き方こそ、今の時代に求められているのではないか。タモリの生き方の真似をするのは危険だが、鶴瓶の生き方は、たとえ鶴瓶ほどの才能がなくても、真似をすれば、人生を豊かにしてくれるはずだ。

鶴瓶に「もっとおもろなりたい!」と言わせた張本人である松本人志はのちにこう語っている。

生まれ変わったら、鶴瓶師匠になりたい

出典:『ワイドナショー』2015年1月19日放送

ライター。テレビっ子

現在『水道橋博士のメルマ旬報』『日刊サイゾー』『週刊SPA!』『日刊ゲンダイ』などにテレビに関するコラムを連載中。著書に戸部田誠名義で『タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』(イースト・プレス)、『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか 絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』、『コントに捧げた内村光良の怒り 続・絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』(コア新書)、『1989年のテレビっ子』(双葉社)、『笑福亭鶴瓶論』(新潮社)など。共著で『大人のSMAP論』がある。

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