爆笑問題はなぜ“つまらない”ボケを繰り返すのか? 太田光の「テレビ論」

TBSラジオ『爆笑問題カーボーイ』DVD

ここ数週間の『爆笑問題カーボーイ』(TBSラジオ)では、ある爆笑問題への批判記事に対する反論を太田光が繰り返し行っている。

それは聴く人が聴けばみっともない野暮な行為かもしれないが、それ故、芸人あるいはテレビタレントととしてのプライドがにじみ出ていてとてもカッコいい。

また、その反論の中で『サンデー・ジャポン』(TBS)は「全員で時事ネタ漫才をやる」というコンセプトで立ち上げたなどと思わぬ貴重な証言が飛び出したりもした。

中でも、爆笑問題の漫才の構造について語った内容はそのまま「テレビ論」になっており興味深いものだった。

先の批判記事に限らずよく爆笑問題の漫才に対する批判としてあげられるのは「ストーリー性がない」ということだ。基本的に「時事ネタ漫才」のため、短い時事ネタを連ねている。そのつなぎの部分が甘いというものだ。これは実際本人もそのために覚えにくいなどとネタにしたりしている。だが、このネタの構造にもちゃんと理由があったのだ。

太田: 俺たちはなんでこれをやってるかって言うと、テレビで漫才をやるときに、いつそのチャンネルに合わせても変えられないようにっていう、金太郎飴のように、ギャグが次から次へとっていうのを、あまりに意識し過ぎてやってきた。だって、数字が取れないから。でも、俺らはそれで分計(毎分視聴率)を上げてきた

出典:『爆笑問題カーボーイ』16年4月5日

つまり、爆笑問題の漫才は、テレビ視聴者の特性に合わせて、いつチャンネルを合わせても、途中からでも見てもらえる漫才をやってきたのだ。

■バカッター芸人

同様に、爆笑問題を批判する際、よく言われる言説が、太田に対し「つまらない」ボケを繰り返しているという点だ。

相方や共演者に対し、からかうようにしょうもないことをしつこく言ったり、必要以上に騒いで進行の邪魔になったりする。

そういった自らのテレビの芸風を太田は「バカッター芸人」と自嘲する。

太田: よく成人式で暴れてる映像あるじゃないですか。あれ観て、こいつら何なんだよ、と思ったんですけど、ふと、テレビで俺がやってるの、これだなって(笑)。気がついたんです。よく、事件現場でピースしてる奴いるでしょ? ああやってテレビに出てきたんです。それでここまで来たもんですからだから最近のバカッターとかを全然否定出来ないんです。僕はアレの代表みたいなもん(笑)

田中: バカッター芸人!(笑)

出典:『ストライクTV』14年3月24日

太田がこうした芸風になったのは『ボキャブラ天国』シリーズ(フジテレビ)の頃からだった。

それまで爆笑問題といえば尖った芸風。どちらかといえば斜に構え、常に考えぬかれた「面白いこと」しか言わないタイプだった。

だが、この頃から大きく芸風が変わっていく。その変化を敏感に感じ取ったマキタスポーツは当時の心境をこう振り返っている。

マキタ: ボキャブラブームの時に『広告批評』のインタビューで太田さんが「海砂利(水魚=くりぃむしちゅー)やフォークダンス(DE 成子坂)はまだテレビで面白いことを言おうとしている」って(インタビューに答えていた)。その時は面白いことを言うのが芸人でしょ、と思ったんですけど、その後太田さんは頭一つ抜けたメディア人になっていくんですね。かつて僕が幻想を持ってて「常に面白いことを言い続ける人」だったのが、どんどんつまらないことを言い続けるんですよ。全然推敲した言葉でも、切れ味のいいシャープな言葉でもなくて、すっとぼけた、ベタな、つまらないダジャレを言うんでうよ。「やめてよ、俺の好きな太田さん」と思ったんですけど、つまらないことを言えば言うほど、太田さんとか爆笑問題の地位が上がっていくんですね。やがてボキャブラブームが終わって、フォークダンスの桶田さんのシャープな才能が屈していったり、海砂利水魚も「くりぃむ」になる前はあんなシュアな漫才をする人たちもいないし実力は十分に認められてるのに、メディア人としては成功していかない。その時に、太田さんの「まだ面白いことを言おうとしている」が何となく分かった気がしたんですね。

出典:『splash!!』vol.04

マキタスポーツが読んだというインタビューは恐らく98年9月号の『広告批評』だろう。この号は「これが爆笑問題だ!」と題した約50ページに及ぶ爆笑問題の大特集号だった。該当のインタビューの聞き手は橋本治だ。

太田:  玉を打てるだけ打って、どれか当たればいい、鶴瓶さんとかさんまさんを見てると、そういうやり方もアリなんだなって思ったんですね。そういうふうに考えてからは、テレビもだんだんハマるようになって。

橋本: 暗いと嫌われるみたいなところがあるからね、テレビの場合。

太田: とくに『新ボキャブラ天国』みたいなのって、お笑いの若手がいっぱい出てて、その中でいかに目立つかが勝負じゃないですか。そうすると、面白いことしか言えないタイプとつまんないことでもガンガン言って、その中に面白いこともいくつか混じってるタイプにわかれるんです。で、僕らがあれに出るようになったのは、そういうふうに開き直った頃だったんで。

橋本: じゃあ、あそこから積極的にバカな人間を演じようとしたんだ。

太田: そうです。だから、楽屋からテンションを高くしてやっていた。自分の言うことに無責任になってたから、つまんないこと言っても、自分で傷つかないで済んだんです。

橋本: あれって10位以内の「メジャー」と、メジャーに入れないチャレンジャーにわかれるんだけど、ずっとトップを突っ走っていて、途中でメジャーから落っこちたとき、どういうリアクションするのかと思ってたら、ずっとバカのまんまだったから、よかったよね(笑)。あの番組で松本ハウスが出てきたのを、海砂利水魚の有田が「オレはこういう素の笑いはいやだ」っていうすごい冷たい目で見てたりして、そういう葛藤って、出演してる立場としてはあるんだろうね。

太田: 有田もけっこう天才肌なんですよ。有田とフォークダンスDE成子坂の桶田とかは面白いことしか言えないタイプ。

出典:『広告批評』98年9月号

■「野暮」に生きる

こうした心境の変化はどのように生まれたのだろうか。

そのきっかけのひとつが実は雑誌の連載だったと明かしている。

それは、ネット配信もしている中京テレビのローカル番組『太田上田』の中で中京テレビの新入社員から「色々なメディアが台頭し、テレビのおかれている状況は厳しくなってきています。お二人の立場からこれからのテレビマンに必要なことはなんだと思いますか」という質問に対して、太田が考える「テレビ」について答える際に、自らの若手時代を振り返って答えたものだ。

爆笑問題は『ボキャブラ天国』出演の少し前の1994年4月から「爆笑問題の日本原論」という現在も掲載誌を変えながら続いている連載を開始している。

当時はまだテレビでの活躍の場も少なかった若手芸人の一組に舞い込んだ連載の仕事。太田は気合が入った。自分の尖った笑いを詰め込んだ渾身の原稿を提出した。

太田: 絶対おもしろいと思って自信持って編集者に出したの。そしたら突っ返されたの。「これは違う」と。「面白いよ。面白いけど、これを疲れたサラリーマンが会社帰りに電車で読みますか?」って言われたの。「読み終わったら駅のゴミ箱に捨てるくらいの、そういうつもりで書いてください」って言われて。それがずーっと俺の中にあるの。

俺の頭の中には、ひとりのくたびれたサラリーマンを笑わせるっていう、それが俺たちの役割だっていうのがあって。テレビもまさにそうあるべきだと思ってる。会社から帰ってきたくたびれたサラリーマンがさ、テレビつけるだろ? パッとつけたら俺が「うおぉー!」つってやってる。「こいつまたバカなことやってるよ」「バカだなこの太田ってヤツはクソだ」ってチャンネル変える。変えられちゃってもいいの。そういうことが日常の1日疲れて帰ってきた時に、ふとした瞬間、「太田またバカやってる。俺のほうがマシだわ」って。そういう役割で十分だと思ってるの。テレビなんてそもそもそんなもんなんだよ。偉くないの。テレビなんてものは! メディアのなかでふんぞり返ってる時代が長すぎたんだよ!

出典:『太田上田』16年4月7日

もうひとつ太田のスタンスを決定づけたことがある。それはビートたけしの存在だ。

太田はビートたけしに憧れて芸人になった。

そんな太田が、ビートたけしの著書『時効』(文庫版)に「解説」を寄せている。

ビートたけしという“本物”がいるから、自分が“偽物”であるとことをつきつけられてしまう、という太田。だから「偽物が本物に近づくための唯一の手段」である「学習」をするしかないと綴り、こう続けている。

だからこそ私は、“真顔”にならざるを得ない。“真剣になることに対して照れる”のは、その照れた姿が様になるのは、本物である人だけだと私は思う。“ビートたけし”に“照れ”は似合うが、私が“照れ”ても無様なだけだ。言葉を変えればそれは“粋”ということである。“粋に生きる”ことが許されるのは、本物だけだ。私には粋に生きることは許されない不粋に、野暮に生きることだけが私の道だと思っている。そしてそれこそが、“ビートたけし”が絶対にやらないことで、唯一私が“ビートたけし”の亜流であることから解放される可能性を感じられる突破口であると思っている。

出典:『時効』

つまり、太田光が「つまらない」ボケを繰り返すのは、「テレビ」という特性と自分の芸人観を考え抜き、導き出したものなのだ。「野暮に生きる」ことこそ、太田光のテレビ芸人としての生き方なのだ。