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「鬼十則」よりも前に電通社員手帳から削除された「責任三ヵ条」が怖い 電通自死問題の本質は何か?

常見陽平千葉商科大学国際教養学部准教授/働き方評論家/社会格闘家
電通の汐留ビル(写真:アフロ)

電通が「鬼十則」の社員手帳Dennoteへの掲載中止を検討しているという。木曜日から複数のメディアが報じている。これは対応として正しいのか。

不祥事が起こった場合、社外から叩かれそうな、組織のカルチャーに関する言葉を取り下げたり、修正するのは企業においてはよくある話ではある。拙著『リクルートという幻想』(中央公論新社)でも紹介したエピソードだが、リクルート事件後、創業者江副浩正氏の言葉であり社訓だった「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」は取り下げられた。バッシングの嵐の中であり、会社として生まれ変わる時期であったが、それだけでなく「何のため?」「誰のため?」が不明確だったということが問題とされたからだ。ワタミも自死事件が起こったあと、理念集から「24時間365日死ぬまで働け」を削除した。

実は同社がDennoteから伝統ある言葉を削除するのは、これが初めてではない。1987年には「責任三ヵ条」という言葉が削除されている。それまでDennoteには経営理念の次に「鬼十則」と「責任三ヵ条」が記載されていた。この「責任三ヵ条」は、「鬼十則」が定められた1951年の2年後、1953年に発表された。これもまた第4代社長であり、中興の祖、広告の鬼と呼ばれた吉田秀雄氏によるものである。

このような内容だ。

1.命令、復命、連絡、報告はその結果を確認し、その効果を把握するまでは、それを為した者の責任である。その限度内における責任は断じて回避できない。

2.一を聞いて十を知り、これを行う叡智と才能がないのならば、一を聞いて一を完全に行う注意力と責任感を持たねばならぬ。

一を聞いて十を誤る如きものは百害あって一利もない。正に組織活動のガンである。削除せらるべきである。

3.われわれにとっては形式的な責任論はもはや一片の価値もない。われわれの仕事は突けば火を噴くのだ。われわれはその日その日に命をかけている。

出典:『ビジネスで活かす電通「鬼十則」』(柴田明彦 朝日新聞出版社)

How Does It Feel?

私は「鬼十則」以上に強烈な言葉だと感じた。責任を明確化した1はともかく、2の「一を聞いて十を誤る如きものは百害あって一利もない。正に組織活動のガンである。削除せらるべきである。」は身震いする言葉だ。3の「われわれの仕事は突けば火を噴くのだ。われわれはその日その日に命をかけている。」もだ。特に人間に対して「削除」という言葉を使っているのは印象的だ。

引用元である元電通マン(しかも伝説の男と呼ばれていたらしい)柴田氏の他の本にも「削除」という言葉が登場する。これは、上の世代の電通マンの共通言語なのだろうか。のちに『漫画・電通鬼十則』(KADOKAWA/メディアファクトリー)として書籍化された、このウェブ上で読める漫画にも登場しているので、ご覧頂きたい。

コミック「電通鬼十則」

第5条:取り組んだら「放すな」、殺されても放すな、目的完遂までは……。

http://hajimeteweb.jp/comics/onijyu/vol5.php

この8ページ目には「NOと言われて引き下がったら、営業マンとしては”削除”です」という強烈なセリフが登場する。

このように、電通には「鬼十則」以前にも社員手帳から「削除」された言葉があったことを確認しておきたい。これに比べると、「鬼十則」は「5. 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。」以外、だいぶマイルドに聞こえる。

この、よく問題とされる5つ目の項目も、表現は過激だが、内容は高い目標達成マインドを説いたものである。「殺されろ」と言っているわけではない。問題はこの言葉の本質を伝える語り部が社内に少なくなっていったことではなかったか。言葉が社内外にひとり歩きしていったことではないか。

前にも別のエントリーで触れたが、この「鬼十則」は各社から真似されている。どの会社のビジョンやミッションのステートメントにも高い目標達成意欲には触れられているもので。「鬼十則」ばかりが叩かれているが、明日は我が身ということで、各社とも自省するべきだろう。

なお、今回の事件が起こった部署は、中途入社、出向者だらけの部署であり、いかにも伝統的な電通の部署ではない。内定者研修時代から鬼十則を知っていたような人たちの部署ではない。鬼十則がこのような人にも浸透していたら、改めてスゴイ言葉だと思うが。その意味で、ラジオ局で起きた1991年の電通事件とは意味が違う。一部の報道やエントリーが触れているが、むしろ問題は、新興の部署であるがゆえに、旧来の電通のやり方が通じない上、組織が不安定だったこと、顧客からの要望も厳しかったことではないか。

他のエントリーでも触れたが、この問題は、大手広告代理店ならではの特殊性もあるが、仕事の範囲が明確ではなく、総合職なら誰もが昇進・昇格を目指して競い合う日本の企業社会の問題だと私は解釈している。新人ならではの、研修から雑務から何から何までやるという問題や、仕事の量が人を成長させるという論理のもと、丸投げされてしまう問題もあるだろう。

顧客に振り回されるという問題もある。これは大手広告代理店に顕著であるが、やはり他の企業にも関連することではある。金曜の夕方や夜に「資料よろしく」と言われる状態。ブラック企業化を促進するのは、顧客だという問題もある。

なお、電通社員によると、現在は22時以降は取引先とのやりとりも禁止の方向だという。その旨を顧客に伝えたところ「電通の強みは失われましたね」と言われたとか。日本の企業社会の闇を感じた。今後、彼女が任されていた仕事の量や中身、取引先などの詳細な情報が明らかになったら、この問題をめぐる見方、論調も一気に変わることだろう。

本題の「鬼十則」社員掲載見送り問題について考えてみよう。このような状況下、批判を逃れるためにも「鬼十則」を社員手帳への掲載を見送るというのは、普通に考えると賢明な判断のように見える。もっとも、1991年の自死事件の後も、その裁判の結審の後もこの言葉は載り続けた。なぜ以前は載せ続けたのか。もし、掲載見送りが確定したら、同社には丁寧な説明が求められるだろう。

同社も、メディアも「鬼十則」への責任転嫁をして、問題の本質から逃げているように見える。いかに労働環境を改善するのか、取引先も含めて創り上げられている過重労働をどうするか。その議論が先だ。22時強制退社というのは、変化のきっかけや、ポーズとしては悪くないが、本質的な対応ではない。

なお、電通を叩いているメディアも明日は我が身だぞという自覚が必要だ。この件で、取材依頼が多数きているが、社交辞令的に「ウチも電通さんのことを言えないですけどね」という言葉をどの会社も発する上、実際、厳しい環境なので笑えない。一部の企業では経営陣から社内に警鐘が鳴らされているようだが。

最後に、社員手帳はとっくに企画や納品の準備が進んでいたと思う。この件で、やり直しになり、取引先の残業が増えないことを心から祈る。

千葉商科大学国際教養学部准教授/働き方評論家/社会格闘家

1974年生まれ。身長175センチ、体重85キロ。札幌市出身。一橋大学商学部卒。同大学大学院社会学研究科修士課程修了。 リクルート、バンダイ、コンサルティング会社、フリーランス活動を経て2015年4月より千葉商科大学国際教養学部専任講師。2020年4月より准教授。長時間の残業、休日出勤、接待、宴会芸、異動、出向、転勤、過労・メンヘルなど真性「社畜」経験の持ち主。「働き方」をテーマに執筆、研究に没頭中。著書に『なぜ、残業はなくならないのか』(祥伝社)『僕たちはガンダムのジムである』(日本経済新聞出版社)『「就活」と日本社会』(NHK出版)『「意識高い系」という病』(ベストセラーズ)など。

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