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それは「女性は産む機械だ」発言と変わらない 「少子化に歯止めを」という言葉も配慮が欠けている

常見陽平千葉商科大学国際教養学部准教授/働き方評論家/社会格闘家
「少子化対策」が叫ばれるが、「女性は産む機械である」と趣旨は一緒じゃないか(写真:ロイター/アフロ)

保育園落ちた日本死ね!!!

この春、こんなエントリーが話題となった。国会でも、全国紙でも取り上げられた。

もちろん、私も読んでいた。この件については、ほぼ一切発言しなかった。私は出産・育児についても、少子化政策についても専門家ではない。何より一市民としてこう思っていた。

「そうか、この人は、とはいえ、授かることができたのだ」と。

少子化の話をしよう。専門家としてではない。一市民としてだ。「少子化に歯止めを」という言葉自体が、実は一部の市民を傷つけている。腐りきった日本社会に、この檄を叩きつける。

週末、NHKの「NEWS深読み」という番組に出演した。

「働き方改革」についてだった。労働問題の専門家として、そして労働者の立場を代弁する者として発言した。「働き方改革」の中でも「少子化に歯止めをかけるため」「人口減少に立ち向かうため」という趣旨の話が出てきた。ただ、「働き方改革」が効かないわけではないが、これ「だけ」で少子化に歯止めをかけることはできない。

少子化は数十年前から政治家も経済学者も論者も警鐘を鳴らしていた。田中康夫が1980年に発表した100万部超えのベストセラー『なんとなく、クリスタル』は都市部で暮らす若者の消費生活、恋愛を伝えた小説でありつつ、少子高齢化を示唆するデータも記されていた。言ってみれば「派手な消費生活」を描いた小説であるとか、若者小説の系譜から言うならば「女子大生は処女じゃない」ことを記したことが新しいという評価すらあったし、ちゃらい小説と揶揄されたり、「クリスタル族(笑)」とか、注の多さが話題となったものではあるが、中身となぜか登場する出生率のデータを比較すると、右肩上がりの状態が続かないのではないかということが示唆されている。実際、そうなった。

少子化は先進国が直面する課題ではるが、なぜこれが止められなかったのかということは検証するべきである。

そもそも「少子化に歯止めをかける」と言っても、人口減少をストップするのと、人口を増やすのは同じようで違う。切羽詰まった局面では、様々なことを試行錯誤するのが大事ではある。ただ、もう手遅れではないか、人口が減る社会を受け入れるしかないのではないか、「日本国内で、日本人の人口を維持するのは困難」という人口減少ありきのプランも考えるべきであり、そんな視点も許容されるべきではないか。

おおたとしまさ氏のこのエントリーを参考までに読んで頂きたい。

『少子化を受け入れるという選択』

http://amba.to/1T5AAyo

かつて

「15-50歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭で頑張ってもらうしかない」

と発言した厚生労働大臣(当時)がいた。

「子どもを沢山つくった女性が、将来国がご苦労様でしたといって、面倒を見るのが本来の福祉です。ところが子どもを一人もつくらない女性が、好き勝手、と言っちゃなんだけど、自由を謳歌して、楽しんで、年とって・・・税金で面倒見なさいというのは、本当におかしいですよ」

と発言した首相(当時)がいた。

これらの発言に対して、当時、私も市民としてカチンときたし、政治家としてはNGな発言だ(一部はやや失言狩りの要素もあったが)。

ただ、ここまで言葉が過ぎなくても、「少子化に歯止めを」という、一聴すると誰も総論では反対しないような発言が、実は同じようなプレッシャーを国民にかけていないだろうか?と考える瞬間がある。過去の首相や厚労大臣の失言とはもちろん違うが、言っていることは変わらないのではないかと思う瞬間がある。

そもそも庶民は、国のために、経済のために子供は産まない。「国家を背負うような人間になって欲しい」「日本経済を背負う人間になって欲しい」という想いや夢を子供に託す者はいるが、「日本経済のために産んだんだぞ」という人と会ったことはない(いたら教えて欲しい)。

私自身、ここ数年、絶賛、妊活中でなかなか授からない身、それを仕事と両立している身からすると言いたいことがいっぱいある。いや、「言いたいこと」であって、それは「言えないこと」だったりもする。このあたりは、社会のために、いつかちゃんとまとめよう。周りにも妊活中の男女は多数いるが「お子様はまだなんですか?」という、少し前ならよく聞かれた社交辞令だって辛いのだ。いちいち「私には子供がいませんが」というエクスキューズをするのも辛いものなのだということをご理解頂きたい。

そもそも、晩婚化、非婚化、中高年の再婚が増えているのは明らかで、LGBTのムーブメントもあり愛のあり方、人は誰と生きるかということは多様化している。子供を産むのは権利であって、義務ではない。

「保育園落ちた日本死ね!!!」風に言うなら、1億総活躍と言うけれど、子供がいないと人間として認められないのかよと思ってしまう。

この「少子化に歯止めを」という発言すら「女性は産む機械だ」発言と実は本質はあまり変わらなくて、配慮が欠けているということを、強く主張したい。

千葉商科大学国際教養学部准教授/働き方評論家/社会格闘家

1974年生まれ。身長175センチ、体重85キロ。札幌市出身。一橋大学商学部卒。同大学大学院社会学研究科修士課程修了。 リクルート、バンダイ、コンサルティング会社、フリーランス活動を経て2015年4月より千葉商科大学国際教養学部専任講師。2020年4月より准教授。長時間の残業、休日出勤、接待、宴会芸、異動、出向、転勤、過労・メンヘルなど真性「社畜」経験の持ち主。「働き方」をテーマに執筆、研究に没頭中。著書に『なぜ、残業はなくならないのか』(祥伝社)『僕たちはガンダムのジムである』(日本経済新聞出版社)『「就活」と日本社会』(NHK出版)『「意識高い系」という病』(ベストセラーズ)など。

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