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成人式とメディア 荒れる若者像とドヤ顔お説教社説を超えて

常見陽平千葉商科大学国際教養学部准教授/働き方評論家/社会格闘家

■私が成人式が嫌いなわけ

最初に言っておく。

私は成人式が嫌いだ。

お祝いムードに水をさすようで恐縮だが、この日は入学式、卒業式、内定式と並んで、私にとって年間4大嫌いな行事なのである。

厳密には、この式典自体にケチをつけるつもりはない。これに関連したメディアの報道と、大人たちのソーシャルメディアなどでの意識高い系発言が苦手なのだ。テンプレ化された若者像が描かれ、上の世代がドヤ顔で意識高い系メッセージを発信するからだ。

成人式に関して苦手なのは

  1. 荒れる若者報道
  2. 成人式社説
  3. 意識高い系メッセージ

である。これらが新成人像を歪めているし、彼ら彼女のために何も役立っていないと考えるからである。今回は特に1と2を中心に論じることにする。

■「荒れる若者」は何人いるのか問題

今年も「成人式荒れる若者」報道が盛んに行われている。成人式の朝、毎日新聞のメルマガを開けたら成人式記事コーナーがあり、8本の記事が掲載されていた。被災地の話、選挙の啓発話などが並ぶが、8本中3本は「成人式荒れる若者」関連だ。

▽成人式:福島原発事故後初、楢葉町で73人出席

http://mainichi.jp/m/?qLZNtw

▽成人式:北九州市、派手な衣装の自粛呼び掛け

http://mainichi.jp/m/?EBufJF

▽成人式:東京都は選挙啓発へ

http://mainichi.jp/m/?wuBdjm

▽成人の日:「人の役に立ちたい」笑顔で大人の決意

http://mainichi.jp/m/?mOtdMw

▽成人式:「父の遺影を甲子園に」岩手・大船渡の男性

http://mainichi.jp/m/?TCKZHq

▽成人式:世界ボクシング王者、田中さん出席 岐阜・多治見

http://mainichi.jp/m/?0wfTe5

▽成人式:北九州に爆破予告電話 式典は予定通りに

http://mainichi.jp/m/?usC3am

▽成人式:「けんかで頭から血」男性重体 和歌山

http://mainichi.jp/m/?W3lm3V

出所:毎日新聞ニュースメール 2016年1月11日(月)朝号 より抜粋

ヤフーニュースで成人式関連のニュースを検索すると、各地のニュースが出てくる。

http://news.yahoo.co.jp/theme/0c4f551067b618213072

ヤフートピックスになった記事は例えば次のようなものである。

成人式会場でドリフト走行、2人はねられ重傷

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160110-00050092-yom-soci

「ビンで顔殴り、頭を踏みつけた」…成人式で男性殴られ重体 傷害容疑で新成人の男逮捕 和歌山

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160111-00000505-san-soci

<成人式>いつか古里で再会を(河北新報) - Yahoo!ニュース

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160111-00000008-khks-soci

非道い話と、感動を呼ぶ話などが掲載される。特に、成人式に関連した若者の荒れた様子が報道される。

ただ、この成人式における「荒れる若者」事件、トラブルなどはいったい何件あるのだろうか?結論から言うならば「分からない」というのが確かな答だ。毎年、成人式ネタの記事を書いているが、成人式のトラブル発生件数を公的な機関が調べたデータは今のところ見たことがない(もし、発見できたら教えて頂きたい、勉強不足ですまない)。成人式前後の日の犯罪の件数などを追うなどの方法があるが、それでは成人式のトラブルなのか特定できない。

この「荒れる若者」像は、ゆとり教育、核家族化、地域の共同体の崩壊などと関連して論じられる。それぞれもっともらしい説得力を持つし、若者けしからんという話になるのだが、なんせトラブルの正確な発生件数と、なぜ荒れたのか、誰が暴れたのかということが分からないのだから、推測の域を出ない。言いっ放しでしかない。

「メディア(特に新聞)が成人式をどう報道したのか」「荒れる若者報道はどれくらいあったのか」ということなら、時間をかけると調べることができる。

ただ、この報道というものは、釈迦に説法だが、事件が発生していても取り上げないこともあるし、センセーショナルなものに寄りがちだ。これは私の推測でしかないが、荒れることで有名なエリアを狙い撃ちして報道しているように見えてしまう。

この「荒れる若者」報道も今に始まったわけではない。山口浩先生の2014年のエントリーが秀逸だ。

「荒れる成人式」はいつから?(山口浩)

http://bylines.news.yahoo.co.jp/yamaguchihiroshi/20140114-00031557/

朝日新聞の記事データベースをもとに、成人式報道を辿ったものである。荒れる成人式報道が出始めるのは96年頃のようだ。もっとも成人式での私語の問題が報道されたのは90年前後だし、華美な格好にいたっては60年代から報道されている。

やや余談ではあるが、2015年の成人式の日にTBSラジオ「Session-22」に出演した。テーマは「成人式」だった。東京大学大学院教育学研究科教授の本田由紀先生と共演した。若者論に詳しい後藤和智さんもコメント出演した(彼の成人式研究は秀逸なので、ご一読頂きたい)。いい加減なことを言えないので、私は地元、墨田区の成人式を見に行った。取材許可をとっていないし、当時40歳の私が紛れ込む難易度は高かったので、成人式から出てくる人たちを、昔の紅白歌合戦で得票数を数える日本野鳥の会のようにカウントした。その時のまとめはこの記事である。

成人式には暴れる若者などいない!日本野鳥の会ばりに若者ウォッチングしてきた | しらべぇ

http://sirabee.com/2015/01/14/14616/

ヤンキーっぽいルックスのものは16.8%程度。荒れる若者などいなかった(式典を覗いていないのでわからないのだが)。もちろん、一地域の成人式を、ごく一部見ただけであるが。

この「荒れる成人式」報道は注目を集める記事であるから、毎年取り上げられるのだろう。だから、「荒れる若者」像が何度も作られてしまう。そして、無根拠に社会や家庭、教育の変化と結び付けられて論じられてしまう。それらはすべて推測にすぎない。

やや暴論だし、調査も開示もしづらいデータだとはわかっているが、成人式を「荒れる若者」像から解き放つためにも(あるいは適切な対応をするためにも)、各自治体、警察などは成人式のトラブルを毎年調査してはどうだろうか。そうでなければ、よくある「最近は凶悪な事件がたくさん起こっている。昔はよかった」と同じような、事実と乖離した単なる思い込みになってしまう。

「荒れる成人式」なるものは、メディアと読者の共犯関係で作られる、ごく一部の像にすぎないのではないか。今年は報道を見る限り、成人式の非道い事件の報道を見聞きしたが、実際、この手の報道件数はわかっても、発生件数がわからないのだ。

■「成人式社説」という奇妙な存在

もう一つ、成人式の奇妙な光景が「成人式社説」である。各紙が成人式の前後に、新成人へのメッセージを掲載するのである。

これは誰のための記事なのかという疑問がわく。新聞の社説に載せたところで、若者にメッセージは届くのだろうか。

公益財団法人新聞通信調査会の「第8回 メディアに関する全国世論調査(2015年)」をもとに考えてみよう。

http://www.chosakai.gr.jp/notification/pdf/report9.pdf

新聞(朝刊)読む人は全体では76.9%だったが、18歳〜19歳は39.7%、20台で46.2%である。毎日読む人は全体では55.1%だが、18歳〜19歳は12.8%、20代は14.0%である。1日の閲覧時間は全体では27.2分だが、18歳〜19歳は8.9分、20代は14.1分である。つまり、新聞の社説に若者へのメッセージを載せたところで、他の世代ほどは届かない可能性が高いということである(もっとも、最近は社説もネット転載されているのだが)。

故に、成人式社説は奇妙な文章になる。誰に向けたか分からない文章になっていく。読者のほとんどが若者ではないことは明確だ。気をつけないと「今年も若者に言ってやったぞ」という文体になる。

ここ数年だと、なんせ2012年の朝日新聞「成人の日に―尾崎豊を知っているか」がひどいと評判だった。

私が当時書いた批判記事はこれだ。

「成人式はバカと暇人のもの」 若者に「尾崎豊」を強要するのはやめなさい

http://agora-web.jp/archives/1421206.html

さて、今年だが、総論を言うと、1月11日現在、成人式社説を掲載していない全国紙が存在するというのが特徴だと言える。内容も、2012年の朝日新聞のほどのトンデモ感はなく、マイルドになったという印象だ。阪神・淡路大震災・地下鉄サリン事件の年に生まれた人たちであることなど世代に関する紹介や、18歳選挙権が始まること、それと関連して大人とは何かという問いが目立つ。もっとも、誰のための成人式社説なのかという点については疑問が残る。

全国紙で成人式社説を掲載したのは、読売、産経のみだ。朝日、毎日、日経は掲載していない。地方ブロック紙はどうか。生まれ故郷の東北の河北新報、18歳まで育った北海道の北海道新聞を見たが、掲載されていなかった。中日新聞、西日本新聞は掲載されていた(この他の新聞も地方ブロック紙だとする意見もあるが、狭義ではこの4紙だと認識しているので、いったんこの4紙とする)。コラムで触れている新聞も存在はする。日経、朝日、北海道新聞などはそうだ。

毎年、今年はどんな「暴論」が掲載されているのかについて、不安なような、楽しみなような気分になってしまう成人式社説だが、この「掲載されない」ということ自体も注目に値する現象である。若者がスルーされるようになったのか、今までの成人式社説を懲りたのか、ここでメッセージを発信しても若者には伝わらないと思ったのか。

全国紙、地方ブロック紙の成人式社説はこうだ。リンク先もお時間があれば読んで頂きたい。

成人の日 チャレンジ精神で道を拓こう : 読売新聞

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20160111-OYT1T50000.html

バランスをとろうとしている意図が行間から伝わってくる。約半分は「震災やサリン事件の時代に生まれた」「労働環境が悪化している」など世代論、社会環境に文字数が割かれている。新成人からするならば、そんなことわかっている、余計なお世話だという部分もあるだろう。後半は20代の若者の活躍する様子、そしてノーベル賞受賞者大村さんのコメント紹介だ。18歳選挙権についての言及もある。若者が意欲をもって働ける環境をつくれ、などの提言も含まれている。若者だけではなく、多方面に言及したものといえる。もっとも「チャレンジ精神で道を拓こう」と言われても精神論にしかならないから、前述したようにチャレンジを応援する仕組みづくりが大事なのだけど。

【主張】「成人」121万人の20歳に 磨きのかかった「大人」を目指せ - 産経ニュース

http://www.sankei.com/column/news/160111/clm1601110005-n1.html

タイトルからすると、いかにも産経風だと思うかもしれない。中身は育った環境や、18歳参政権などにもふれつつ、メインは大人とは何かという論だ。大人にも、大人になりきれていない人がいるという指摘は、視点を広げていて、大人への問題提起ともなっている。ただ、論があまりにストレートで単調である。スマホで産経新聞を読んでいる若者に語りかけたのだろうか。

意志ある風になれる人 成人の日に考える:社説:中日新聞(CHUNICHI Web)※東京新聞も同じ

http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2016011102000106.html

東アフリカのエリトリアの独立運動の精神的支柱とされる千葉晴信さん、至学館大学で「主権者教育」をする谷本郁子学長のエピソードを紹介。成人とは、大人とは何かを問いかける。18歳参政権と絡めたものである。社説風ではないつくりになっているのも特徴だといえよう。

成人の日 未知の一歩を踏み出そう(西日本新聞)

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/syasetu/article/217667

「一人前の大人になった」と言われても、居心地が悪いような気がする。働いていようが、学んでいようが、まだ足元は揺らぎ、視界はぼんやりとして見通しが良くない-。およそ新成人の実感とはそんなものではないだろうか。社会人としての権利とともに責任と義務を負ったことが、誇らしくもあり、不安でもあろう。どうかその重みを、自分なりにしっかり受け止めてほしい。それが、私たちの願いである。

出典:西日本新聞

という、若者の心をつかむような書き出しから始まるが、その後は、若者と政治の話である。いや、若者という話を別とした政治、国家の話のようにも聞こえる。丸山眞男『日本の思想』(岩波新書))の中身も引用されつつ、国家の在り方などについて論じられている。

これも成人式社説の一パターンで、若者に語りかけているようで、成人式をテーマにしているようで、大人に問題提起するというものである。もっとも、これは前述したような読者層から考えると実に巧妙だとも言える。

このように、今年は奇妙なトンデモ論は見受けられなかったものの、そもそも成人式社説とは誰のものかという疑問は変わらない。一方で、全国紙、地方ブロック紙でいざこれが論じられなくなるとなると、若者がスルーされているのではないかということすら考えてしまった。

■成人式に、誰が何を考えなければならないのか

成人式荒れる若者報道と、成人式社説についてつれづれなるままに語ってきた。新成人もいろいろ言われて大変だ。ただ、この日にするべきことは新成人を祝うことや、説教することだけではなく、社会の中での新成人の変化、社会の変化を直視すること、そもそも自分たちも大人になったのかどうか、大人とは何かを問いかけることではないだろうか。

若者は丁寧に見なくてはならない。昔の若者像も、あるべき若者像を押し付けてもいけない。

成人式とその報道というのは、みんな大人になりきれていないことを可視化しているのではないだろうか。

千葉商科大学国際教養学部准教授/働き方評論家/社会格闘家

1974年生まれ。身長175センチ、体重85キロ。札幌市出身。一橋大学商学部卒。同大学大学院社会学研究科修士課程修了。 リクルート、バンダイ、コンサルティング会社、フリーランス活動を経て2015年4月より千葉商科大学国際教養学部専任講師。2020年4月より准教授。長時間の残業、休日出勤、接待、宴会芸、異動、出向、転勤、過労・メンヘルなど真性「社畜」経験の持ち主。「働き方」をテーマに執筆、研究に没頭中。著書に『なぜ、残業はなくならないのか』(祥伝社)『僕たちはガンダムのジムである』(日本経済新聞出版社)『「就活」と日本社会』(NHK出版)『「意識高い系」という病』(ベストセラーズ)など。

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