Yahoo!ニュース

<朝ドラ「エール」と史実>現実でも「難曲で売れない」と放置された「イヨマンテの夜」…ヒットの理由は?

辻田真佐憲評論家・近現代史研究者
(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

いよいよ最終回が来週に迫った朝ドラ「エール」。出てくる古関メロディーも、いささか急ぎ気味です。今回登場したのは、「イヨマンテの夜」。1950年1月20日にリリースされた曲でした。

同年から翌年にかけて、NHKの「のど自慢素人音楽会」の男性出場者は、決まってこの「イヨマンテの夜」を歌ったといいます。それくらい人気だったわけですが、リリースされた当時はドラマに描かれたように、会社から「売れない」と判断され、ろくに宣伝もしてもらえなかった不遇の曲だったのです。

■「アイヌの歌は? 今まで歌謡曲でアイヌに取材した歌は一曲もないから面白いと思うが」

そもそも「イヨマンテの夜」は、ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」から生まれました。1949年ごろの放送回で、奥多摩の山奥で、杣人(そまびと)が歌を歌いながら少年の家のそばを通る場面がありました。古関裕而はその歌を作曲し、盟友の伊藤久男に歌ってもらいました。

このときは歌詞のない歌で、ただ「アア……」というだけでしたが、伊藤が情熱的に歌ったため、杣人のムードがよく出たものになりました。古関はこのメロディーを気に入り、ぜひレコードに残したいと思い、菊田一夫に作詞の相談をしました。

「アイヌの歌は? 今まで歌謡曲でアイヌに取材した歌は一曲もないから面白いと思うが」。古関がそう提案すると、菊田も「それはいいね」と賛同。こうしてできたのが、「イヨマンテの夜」だったのです。つまり、アイヌというテーマは後付だったわけですね。なおイヨマンテとは、生け捕りにした子熊を一定期間飼育したのち、殺害して神々の世界に送り帰すというアイヌの儀礼です。

歌詞では、さらに雰囲気を出すために、合唱部分に「カムイホプニナアーホイヨ」とアイヌのことばが取り入れられました。これは、NHK資料室長の小川昂に調べてもらったものでした。これにあわせて、冒頭部分の「アア……」も「アーホイヨー」と改められました。

■「派手で劇的な効果に男性的な豪放さがあり、男性なら一度は歌ってみたくなる曲である」

伊藤久男によってみごとにレコーディングされた「イヨマンテの夜」ですが、コロムビア文芸部長の伊藤正憲は首をひねりました。「こんな難しい歌は売れっこありませんよ」。そして、せっかく作ったレコードなのに、ろくに宣伝もしてくれなかったのです。

ところが、伊藤久男はこれにめげず、あちこちのステージや放送で、盛んにこの歌を歌って、宣伝に努めました。そしてそこから徐々に人気に火がついていきました。たしかに難しい曲だったのですが、そのぶん、攻略のしがいもありました。つまり、「のど自慢」には最適の曲だったのです。

古関も音楽のことだけに、その狙いを雄弁に語っています。

派手で劇的な効果に男性的な豪放さがあり、男性なら一度は歌ってみたくなる曲である。が、難しいことも第一級で、リズムが十六分音符と八分音符の二拍子系なのに、メロディーには三連音符が多く現れる二対三の変則的なリズムをいかに歌いこなすかが問題で、作曲にその面白みもねらってある。それでも素人の喜びそうなメロディーである。

出典:古関裕而『鐘よ鳴り響け』

古関の狙いどおり、「イヨマンテの夜」はのど自慢の課題曲のようになったのです。これには先述の伊藤正憲も、負けを認めざるをえませんでした。

すると、[「イヨマンテの夜」は]しばらくしたらどんどん売れはじめた。

そして、のど自慢などではまるで課題曲みたいに歌われるようになった。

私の勘は大抵はずれることがないのだが、あればかりはわからなかった。完全にシャッポを脱いだ。

出典:伊藤正憲『レコードと共に四十五年』

こうして「イヨマンテの夜」は、古関の代表曲であると同時に、伊藤久男の持ち歌にもなったのです。

評論家・近現代史研究者

1984年、大阪府生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。著書に『「戦前」の正体』(講談社現代新書)、『古関裕而の昭和史』(文春新書)、『大本営発表』『日本の軍歌』(幻冬舎新書)、『空気の検閲』(光文社新書)などがある。

辻田真佐憲の最近の記事