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<朝ドラ「エール」と史実>実話だった「新人歌手オーディション」。佐藤久志のモデル・伊藤久男の結果は?

辻田真佐憲評論家・近現代史研究者
(写真:アフロ)

朝ドラ「エール」は、スピンオフ回。伊藤久男をモデルとした、佐藤久志の新人歌手オーディション応募が描かれていますが、実はこれ、史実を踏まえています。

古関裕而の証言をみてみましょう。

その頃、コロムビアの新人テストが帝国音楽学校で実施された。伊藤君もその中の一人として受け、素晴らしい美声にコロムビアのディレクター達が惚れこんで、間もなく専属となった。

出典:「伊藤久男君の想い出」『伊藤久男生誕100年記念誌』

作詞家の丘灯至夫によれば、「その頃」とは1932年の秋。伊藤はまだ学生でした。ずいぶん早い段階で、オーディションに受かっていたわけですね。

ドラマでは、1936年のできごととされているので、そこが大きく異なる点です。

伊藤は、実家がお金持ちでしたが、勝手に歌手をめざしたために、仕送りを止められていました。そのため、すぐに働かなくてはならなかったのでしょう。

売れたのは戦時下になってから

こうして歌手の道へ進んだ伊藤でしたが、なかなかヒットに恵まれませんでした。

先述の丘は、つぎのように証言します。

はじめてヒットらしい歌をうたったのは、昭和12[1937]年の「露営の歌」だったが、これもソロではなく、中野忠晴、松平晃、霧島昇といった男性歌手と相乗りの歌……。

だから、昭和15[1940]年に「白蘭の歌」や「暁に祈る」そして「高原の旅愁」が大ヒットするまで、実に10年近い下積生活が続いた。

出典:「伊藤久男の素顔」前掲書。漢数字はアラビア数字に直した。

つまり、戦時下にようやく売れたというのです。なかなかの苦労人といえます。

もちろん、戦後には、夏の甲子園のテーマソング「栄冠は君に輝く」や、一時「のど自慢」で引っ張りだこになった「イヨマンテの夜」などの名曲も残しています。

ただ、やはり最初のヒット曲には触れざるをえないでしょう。

ちなみにこれは余談ですが、伊藤も、野村俊夫に負けないくらい酒豪でした。ふたりで夕方の5時から翌日の昼まで飲み、どれくらい飲んだかとカラになったトックリを8畳の部屋に並べると、ちょうど一周したのだとか……。

(関連記事:「最大の改変か? 本当の古関裕而は「下戸の愛煙家」だった」

「福島三羽烏」との関係で、このあたりが描かれるのかどうかも、今後楽しみなところです。

評論家・近現代史研究者

1984年、大阪府生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。著書に『「戦前」の正体』(講談社現代新書)、『古関裕而の昭和史』(文春新書)、『大本営発表』『日本の軍歌』(幻冬舎新書)、『空気の検閲』(光文社新書)などがある。

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