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<朝ドラ「エール」と史実>おでん屋の経営は実話! 作り込まれた「福島三羽烏」エピソードの注目点

辻田真佐憲評論家・近現代史研究者
本宮駅前の伊藤久男像。2019年6月筆者撮影。

先週より、本筋から離れたスピンオフが続いている朝ドラ「エール」。今週は、歌手・伊藤久男をモデルとした佐藤久志に焦点があたるようです。

そこで今回は、彼を含む「福島三羽烏(がらす)」の真相に迫ってみましょう。

この3人については、「え、こんなところまで?」と思うほど、ときに史実がうまく取り入れられています。

たとえば、「乃木大将」こと、村野鉄男(野村俊夫がモデル)がおでん屋を経営する話。これがなんと実話なのです。

よし、歌詞で身を立てようと上京した昭和6[1931]年は、ご存じ不況の失業時代。野村さんに言わせるとドロボウ以外何でもやったそうで、詞作のかたわら浅草の入谷でおでん屋をやった。屋号の太平楽は飲みながら歌をと、太平楽をきめこむつもりだったそうだ(以下略)。

出典:読売新聞のインタビュー。齋藤秀隆『東京だョおっ母さん』より引用。漢数字はアラビア数字に直した。

これはとてもマニアックですね。NHKもよく細かいところまで再現するものだと感心しました。

福島三羽烏は同級生にあらず

そのいっぽうで、創作も少なくありません。

「みんな同級生」はその典型でしょう。古関・野村・伊藤の3人が福島県出身で、仲が良かったのは事実ですけれども、小学校の同級生ではありませんでした。

たしかに、古関と野村は幼なじみです。ただ、野村のほうが5歳年長。小学校も別々のところに通いました。

また伊藤は、福島市ではなく本宮町(現・本宮市)の出身だったので、そもそも幼少期のつながり自体がありません。

古関らとはじめて会ったのは、東京時代。古関の妻・金子と同じ帝国音楽学校に通っていたことが、接点になりました。

なお、伊藤の親戚に早稲田の応援部員がおり、それが「紺碧の空」作曲のきっかけになったのは、ドラマのとおりです(古関が「紺“壁”の空」と書き間違えたのもなんと実話です!)。

なかなか複雑ですね。

3人共同の初ヒット曲は軍歌だった

そんな福島三羽烏は、いずれも東京のレコード業界で頭角をあらわします。

それぞれ作曲家、作詞家、歌手ですから、「3人でヒット曲を送り出そう」との願いが出てくるのも当然です。

ただ、それが実現したのは、日中戦争下のことでした。1940年リリースの「暁に祈る」がそれです。

歌詞の1、2番を引用しておきましょう。

あゝ、あの顔で、あの声で

手柄頼むと 妻や子が

ちぎれる程に 振つた旗

遠い雲間に また浮ぶ

あゝ、堂々の、輸送船

さらば祖国よ 栄えあれ

遥かに拝む 宮城[きゅうじょう。皇居のこと]の

空に誓つた、この決意

野村が作詞し、古関が作曲し、伊藤が歌った「暁に祈る」のレコードは、太平洋戦争下にも売れ続ける、ロングセラーとなりました。

野村はこの軍歌について、こんな話を残しています。担当の軍人がなんども「書き直せ」と要求するので、思わず出た「ああ」という溜息を冒頭に持ってきたのだ――、と。

面白いエピソードですから、朝ドラでも再現されるのではないでしょうか。というより、おでん屋さえ取り入れたのですから、これを避ける理由はありません。

今後も「これは史実? それとも創作?」との関心は尽きることがなさそうです。

評論家・近現代史研究者

1984年、大阪府生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。著書に『「戦前」の正体』(講談社現代新書)、『古関裕而の昭和史』(文春新書)、『大本営発表』『日本の軍歌』(幻冬舎新書)、『空気の検閲』(光文社新書)などがある。

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