【F1のザックリ70年史】金ではなく名誉のために。ビジネス化する前のF1(1950年代~70年代編)

1974年 フェラーリで戦ったニキ・ラウダ(写真:REX/アフロ)

世界最高峰の自動車レース「F1世界選手権」(以下、F1)がその歴史のスタートから70周年の節目を迎えた。本来ならばお祝いのシーズンであるが、新型コロナウィルスの感染拡大で2020年の開幕は7月のオーストリアGPにズレこみ、無観客開催でのスタートとなる。

混迷を極める時代が訪れ、新しいF1が幕を開ける前に、改めて「F1が歩んだ70年」を振り返っていきたい。

今回はF1の黎明期とも言える1950年代~70年代の30年をザックリとご紹介しよう。

1950年代:世界一をかけたドライバーの戦い

「F1世界選手権」がスタートしたのは70年前の1950年のこと。ヨーロッパを中心に各地で開催されていた「Grand Prix(グランプリ)」と呼ばれる国際レースをシリーズ戦として束ねたのが始まりだ。

(映像:F1世界選手権としての最初のレース、1950年イギリスGP)

現在のF1は20戦前後という多くのレースで成り立っているが、スタート時の1950年代は7戦~11戦というレース数で、シリーズ戦には含まれないF1マシンを使ったノンタイトル戦も数多く開催されていた。

当時のレーシングカーはエンジンの搭載位置が前方にあるフロントエンジンが常識(馬車を引く動力=馬は常に前にあるという発想)で、ズングリした形の葉巻型と呼ばれるフォーミュラカーが走っていた。

50年代のF1は葉巻型のシンプルなマシン。写真は1950年代のマセラティ250F【写真:DRAFTING】
50年代のF1は葉巻型のシンプルなマシン。写真は1950年代のマセラティ250F【写真:DRAFTING】

さて、1950年代のエントリーリストにはフェラーリマセラティロータスなどの今でも残る有名ブランドの名前が並んでいるが、実は当時の彼らは市販スポーツカーを生産するメーカーではなく、レーシングカーを作り上げる「専門業者」。彼らが作るマシンを裕福なジェントルマンたちが買い、レースに参加していた。

そんな1950年代に参戦した巨大自動車メーカーがメルセデス(ダイムラーベンツ)。1953年~55年という僅かな活動期間だったが、圧倒的な規模と強さでF1を席巻した。

ファン・マニュエル・ファンジオが駆るメルセデスW196(1955年)【写真:DAIMLER】
ファン・マニュエル・ファンジオが駆るメルセデスW196(1955年)【写真:DAIMLER】

とはいえ、コンストラクターズ選手権(車両製造社の選手権)が設定されたのは1958年からで、50年代は優れたレーシングドライバーが名実ともに主役だったと言える。

この時代のスタードライバーはファン・マニュエル・ファンジオ。南米アルゼンチン出身のファンジオは1953年~57年に4連覇を達成。その優れた才能はアルファロメオマセラティメルセデスにワークスドライバーとして迎えられ、各社が作るマシンの性能を最大限に引き出し勝利を重ねた。52戦中24勝という高い勝率(46%)は当時のマシンの低い信頼性を考えると驚異的な記録である。

【1950年代F1 主なトピックス】

・1950年 イギリスGPが最初のレース

・1953年 ダイムラー・ベンツが参戦

・1957年 ファンジオが4連覇(5回目の王者)

・1958年 コンストラクターズ選手権が開始

・1959年 クーパーがミッドシップエンジン車で初の王者に

1960年代:英国F1全盛の時代にホンダも勝利!

1958年にコンストラクターズ選手権が始まるとヴァンウォールBRMクーパーロータスブラバムなど英国製のマシンが大活躍するようになった。

最初のコンストラクターズ王者は英国のヴァンウォール【写真:DRAFTING】
最初のコンストラクターズ王者は英国のヴァンウォール【写真:DRAFTING】

エンジンをドライバーより後方に配置したミッドシップのマシンでクーパーが59年に王者に輝くと、F1はそれまでの前方エンジンの時代から一変する。

マシンの運動性能が飛躍的に向上し、モナコGPのポールポジションタイムを比較すると、1950年と60年では14秒も速くなった。アナログなF1マシンの時代だが、その分、「走る実験室」のごとく自動車全体の性能向上にF1で様々な技術が試された時代でもある。

中でもコーリン・チャップマン率いるロータスは様々な革新をもたらした。現代のレーシングカーでは当たり前のバスタブ型コクピットを持つモノコック構造のマシン(ロータス25)を投入すると、新進気鋭の若手、ジム・クラークが1963年に王者を獲得。1967年には後にF1のスタンダードエンジンとなったフォード・コスワースDFVを投入し、68年に王者に返り咲いた。

初のスポンサーカラーをまとったロータス49(1968年)【写真:DRAFTING】
初のスポンサーカラーをまとったロータス49(1968年)【写真:DRAFTING】

また、ロータスはスポンサーカラーをF1に導入した先駆者でもある。それまで国別対抗戦という色合いが強かったグランプリレースはマシン製造社やチームの国籍のナショナルカラーを纏うのが常識だったが、1968年にロータスがタバコのゴールドリーフのスポンサーカラーに塗られたマシンで勝利すると、スポンサーカラーは当たり前の概念になっていく。勝利への欲求と名誉のために戦った時代から「走る広告塔」としてビジネス化したF1が始まった。

ホンダのF1処女作となったホンダRA271(1964年)【写真:DRAFTING】
ホンダのF1処女作となったホンダRA271(1964年)【写真:DRAFTING】

そして、ロータスと組んでF1に参入するはずだったのが日本のホンダである。2輪のグランプリレースで大活躍していたホンダは4輪自動車レースの最高峰F1に挑戦を決意。しかし、ホンダはロータスから一方的に提携を破棄され、車体もエンジンも自社製作して1964年にF1に参戦した。

2年目の1965年のメキシコGPでは歴史的な初勝利を記録。今でこそホンダは巨大自動車メーカーだが、当時は4輪自動車のノウハウが無いにも関わらず、いきなり自動車レースの最高峰へと挑戦するというチャレンジャーだった。

現在も動態保存されるホンダRA300(1967年)。世界王者も夢ではなかったが68年で撤退。F1での活動はその後、自動車メーカーとして大きく成長する原動力に【写真:DRAFTING】
現在も動態保存されるホンダRA300(1967年)。世界王者も夢ではなかったが68年で撤退。F1での活動はその後、自動車メーカーとして大きく成長する原動力に【写真:DRAFTING】

この時代、1960年代のF1には自動車を量産する巨大メーカーはほとんど無く、コンストラクターズ選手権の王者は10年中7年が英国の車体製造社によるもの。言ってみれば、ホンダや英国のコンストラクターも量産車メーカーとは一線を画する「ベンチャー企業」だった。英国は今も多くのF1チームが拠点を置くモータースポーツ産業の中心地であるが、その礎はこの時代に作られたと言えるだろう。

【1960年代 F1 主なトピックス】

・1962年 ロータスがモノコックシャシーで台頭

・1965年 ホンダがF1で初優勝

・1967年 名機コスワースDFV 登場

・1968年 ロータスがスポンサーカラー導入

・1968年 F1に空力パーツが付き始める

1970年:スピードアップと多くの犠牲

モノコックシャシー、空力パーツの装着などで進化を遂げていったF1マシンは1970年代になるとさらにスピードが増していく。

革新をもたらしたのは、又しても英国のロータス。フォーミュラカーの定番だった葉巻型からラジエーターをコクピット両横に配置した「ロータス72」を1970年に投入。

ウェッジシェイプ(くさび形)と呼ばれる現代のフォーミュラカーの原型となるデザインの同車がシーズン5勝をマークすると、たちまちF1のスタンダードになっていった。

現代のフォーミュラカーの基礎となる形を作り上げたロータス72【写真:DRAFTING】
現代のフォーミュラカーの基礎となる形を作り上げたロータス72【写真:DRAFTING】

1960年と1970年のオランダGP(ザントフォールト=当時1周4.2km)のポールポジションタイムを比較すると、ヨッヘン・リントが駆るロータス72は10年で15秒もタイムを縮めた。僅か4.2kmのコースで15秒も速くなったということは、それだけドライバーが危険にさらされる度合いが増すということである。

ヨッヘン・リントはロータス72で4連勝を飾るが、イタリアGPで壮絶な事故死を遂げる。リントは死後に1970年のチャンピオンに輝いたが、70年代はリントの他にもフランソワ・セベールマーク・ダナヒューロニー・ピーターソンなど数多くのトップドライバーが事故によって命を落としてしまった。

死亡事故は50年代、60年代にも頻発していたが、特にスピードアップが著しく、マシンやサーキットの安全性が問われるようになったのが1970年代で、スペインのモンジュイックサーキットやドイツのニュルブルクリンク北コースなどの危険なサーキットでも普通にF1グランプリが開催されていた。そんな中、3度のF1世界王者に輝いたジャッキー・スチュワートは安全性向上のために警鐘を鳴らし、1973年に僅か34歳で引退した。

ジェームス・ハントのドライブと共に70年代の人気マシンの一つ、マクラーレンM23【写真:DRAFTING】
ジェームス・ハントのドライブと共に70年代の人気マシンの一つ、マクラーレンM23【写真:DRAFTING】

一方でF1は年間レース数が15戦以上に拡大し、テレビ放送の充実と共に世界的人気を獲得していく。それと共に世界中から優れたドライバーが次々に参戦し、エマーソン・フィッティパルディ(ブラジル)、ニキ・ラウダ(オーストリア)、ジェームス・ハント(イギリス)、マリオ・アンドレッティ(アメリカ)、ジル・ヴィルヌーヴ(カナダ)など多国籍な人気ドライバーで百花繚乱の時代となった。

また、溝がないスリックタイヤの導入、ボディ下面でダウンフォースを得るグラウンドエフェクトカー(ウイングカー)、後方にファン(送風機)を付けたファンカータイヤを6輪にしたマシン、そしてルノーのターボエンジンなど奇想天外なアイディアを用いた個性あふれるマシンが次々に登場したことも、F1の人気を決定づけたといえよう。

常識を覆す6輪のF1、ティレルP34は世界中の子供たちの興味を集めた。【写真:DRAFTING】
常識を覆す6輪のF1、ティレルP34は世界中の子供たちの興味を集めた。【写真:DRAFTING】

テレビなどのメディアを通じて全世界にPRできるようになったF1には多額のスポンサーマネーが流入し、ルノーアルファロメオ、フェラーリを傘下に入れたフィアットなど巨大自動車メーカーの関与が始まったのも1970年代。F1はその後の1980年代以降、巨大ビジネスと化していくのだった。

【1970年代 F1 主なトピックス】

・1970年 グッドイヤーがスリックタイヤを導入

・1972年 フィッティパルディが最年少王者に(当時25歳)

・1976年 富士スピードウェイで国内でのF1初開催

・1977年 グラウンドエフェクトカーの登場

・1979年 ルノーがターボエンジン車で優勝

次回、第2弾は1980年代~90年代編をお届けする。