伝説の6輪F1マシン「たいれる」が鈴鹿を走る。独創的なティレルP34の姿を目に焼き付けろ!

鈴鹿にやってくるティレルP34 【photo:Minardi Day】

F1やグループCカーなどモータースポーツの歴史を彩った名車珍車が走ることでお馴染みになった「SUZUKA Sound of ENGINE」が今年も11月16日(土)17日(日)に鈴鹿サーキット(三重県)で開催される。

今年の目玉、SPECIAL CARSとして鈴鹿に登場するのが1970年代にF1世界選手権に登場したタイヤ6輪のF1マシン「ティレルP34」だ。鈴鹿サーキットを6輪のレーシングカーが走るのはおそらく初めてのことだ。

F1の中で究極の名車

伝説の6輪F1」として幅広い世代のモータースポーツファンに知られている「ティレルP34」は、1976年のF1世界選手権にデビューし、翌1977年まで僅か2年間だけ活躍した。6輪F1という個性的なデザインが走った期間が短かったのも後に伝説と表現される理由であろう。

しかし、1976年、77年は富士スピードウェイ(静岡県)でF1日本グランプリが開催されており(76年はF1世界選手権インジャパンという名称)、日本で初めてモータースポーツの最高峰F1が開催されたこともあり、当時のレースファン、車好き、子供達の脳裏には今も「ティレルP34」の姿が刻み込まれている。1976年の富士F1開催時には平仮名で「たいれる」(当時の日本での読み方)とチーム名が書かれていたことでも記憶に残っている人も多いだろう。

ドイツのジンスハイム自動車技術博物館に展示されているティレルP34
ドイツのジンスハイム自動車技術博物館に展示されているティレルP34

もちろん、その後のF1ブーム世代にとっても「ティレルP34」はよく知られたマシンだ。F1関連の書物や映像を見ていけば、一度は必ず目にすることになる「なんじゃこりゃ」という6輪のF1。現役当時の日本グランプリを見にいった往年のファンを除くと、同車のことは知っていても走る姿を見たことがある人は決して多くはないだろう。

そんな名車に惹きつけられる若いモータースポーツファンも多い。今年のF1日本グランプリでは「ハースF1チーム」に乗るロマン・グロージャン(フランス/33歳)が来日中に「ティレルP34」のタミヤ製プラモデルを購入。台風の接近で土曜日の予選が中止となり、空いた1日を利用して彼はプラモデルを組み立てた。その進行状況は彼のインスタグラムやツイッターで発信され、世界中のF1ファンの注目の的になった。翌11月に「ティレルP34」が鈴鹿を走ることを知ってか知らずかだが、現役F1ドライバーでも特別な思いを抱く1台なのだ。

ロマン・グロージャンのツイッター

既成概念を覆すF1の象徴

グロージャンのようなリ実車の現役時代をアルタイムで知らない世代をも惹きつける「ティレルP34」。その理由はタイヤが単に6つあるという事実だけではなかろう。

F1ではモータースポーツの最高峰として様々なアイディアを各チームの技術者たちが用いてマシンを製作し、ライバルたちを凌駕してきた歴史がある。技術規則書の抜け穴を見つけ出し、既成概念を覆すデザインと機構を採用し、進化させてきた。F1が始まった当時はエンジンはドライバーより前の位置に搭載されていたし、ダウンフォース(下向きの力)を発生されるウイングなどの空力パーツもなかった。とはいえ、F1でチャンピオンになったり優勝したマシンは当時考えられる最新技術が用いられていたことは間違いない。ライバルの優れたアイディアを躊躇せずに模倣し、速さを競い合ってきたからこそ概念が変化していったと言える。

今では想像もつかない形をしている黎明期のマシン
今では想像もつかない形をしている黎明期のマシン

1970年代当時、F1はもちろん4輪・自動車のモータースポーツにおける最高峰のレースではあったが、規則書には「タイヤは4輪でなければいけない」という記述がなかったのだ。そんなことは当たり前のことで、F1に4輪車以外で出ようなどと誰も考えもしなかった。

その抜け目を突いた6輪F1「ティレルP34」は前輪が小さなサイズのタイヤが4つある6輪のフォルムをもつ。前輪4つというアイディアは構造も複雑になるが、前輪タイヤを小径化して前面投影面積を小さくすることで空気抵抗の低減を狙った。空気抵抗を減らせばトップスピード(最高速)が伸びることになりライバルを凌駕できると考えたのだ。

ティレルP34 【photo:Minardi Day】
ティレルP34 【photo:Minardi Day】

当時のF1は今のように複数の自動車メーカーが全チームにエンジンを供給していた訳ではなく、多くのチームがフォード製のV型8気筒のレーシングエンジンを手に入れ、車体の性能を向上させて競い合っていた。登場前年の1975年はエンジンを独自開発する「フェラーリ」が6勝をあげてチャンピオンを獲得。信頼性がありパワーの大きい門外不出のフェラーリエンジンに対抗するには独創的な車体設計が必要だったのだ。

前面投影面積を小さくしてトップスピードの向上を狙ったものの、後輪は変わらず大きなサイズであったため、ドラッグ(空気抵抗)を減らすという意味では大きなメリットは得られなかった。しかし、1970年代の「ティレル」はF1の強豪チームの一つであり、「ティレルP34」が走った1976年にはマシン開発能力に長けたパトリック・デュパイエ、後のワールドチャンピオンとなるジョディ・シェクター、77年には現在のシャルル・ルクレールのごとく鮮烈な若手だったロニー・ピーターソンがドライブ。優れたドライバーたちの活躍もあり、奇抜なF1マシン「ティレルP34」は優勝1回(76年スウェーデンGP)、通算16回の表彰台を獲得した。このマシンが単なる珍車ではなく伝説の名車と言われる所以はその速さにあると言えよう。

ティレルP34(英国コヴェントリー自動車博物館)
ティレルP34(英国コヴェントリー自動車博物館)

元F1ドライバーのマルティニが所有

F1史に残る6輪F1は「ティレルP34」が戦列から退いた後も研究が続けられたが、1983年にFIA(国際自動車連盟)がF1のタイヤを4輪車に限定したため、それ以降は登場していない。

「ティレルP34」は日本のプラモデルメーカーである「タミヤ」が本社で展示している他、海外のいくつかのミュージアムで静態保存された車体を見ることができるが、動態保存されている車体は非常にレア。そんな貴重な1台を所有するのは元F1ドライバーで実業家のピエルルイジ・マルティニである。マルティニはイタリアのF1チーム「ミナルデイ」で長く活躍したイタリア人ドライバーであり、F1ブームに沸いた1990年の開幕戦・アメリカGPでは予選2位を獲得。弱小チームの「ミナルディ」に乗りながらも度々入賞する好成績を残したことで、当時のF1ブーム世代にはおなじみのドライバーだ。のちに1999年にBMWでル・マン24時間レースでも総合優勝している。

ピエルルイジ・マルティニとティレルP34 【photo:JT & Pierluigi collection, Massimiliano Serra】
ピエルルイジ・マルティニとティレルP34 【photo:JT & Pierluigi collection, Massimiliano Serra】

そんなピエルルイジ・マルティニが鈴鹿サーキットに自身のコレクションである「ティレルP34」と共に来日し、デモンストレーション走行を展開する。1977年に富士スピードウェイのF1 を駆け抜けた「ティレルP34」が40年以上の時を経て鈴鹿を駆け抜けるのだ。また、タミヤ所有の「ティレルP34」(1976年)も鈴鹿サーキット内に展示されることになっており、異なる仕様の6輪F1「ティレルP34」が鈴鹿サーキットに2台やってくる。

当時のF1ファン、プラモデルや雑誌を通じてそのフォルムに魅了されたファン、そして究極の「ものづくり」としてのF1に惹きつけられる自動車ファンなど多くの人にとって魅力的な出会いになることは間違いない。

中嶋悟が乗ったF1、ティレル019も鈴鹿を駆け抜ける【写真:MOBILITYLAND】
中嶋悟が乗ったF1、ティレル019も鈴鹿を駆け抜ける【写真:MOBILITYLAND】

【SUZUKA Sound of ENGINE】

2019年11月16日(土)17日(日)

開催地:鈴鹿サーキット

公式ウェブサイト

主な出走マシン:

ティレルP34(1977年/F1)

ロータス88B(1981年/F1)

ベネトンB189(1989年/F1)

ティレル019(1990年/F1)

日産R91CP(1991年/グループC)

マツダ787B(1991年/グループC)

など

主なゲスト選手:

ピエルルイジ・マルティニ(元F1ドライバー)

ティエリー・ブーツェン(元F1ドライバー)

ウェイン・レイニー(元WGPライダー)

エディ・ローソン(元WGPライダー)

ケニー・ロバーツ(元WGPライダー)

など