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「現役最強」と呼ばれた男、フェルナンド・アロンソの鈴鹿ラストラン!F1での走りは見納めだ。

辻野ヒロシモータースポーツ実況アナウンサー/ジャーナリスト
フェルナンド・アロンソ(写真:ロイター/アフロ)

今年で30回目を迎える鈴鹿サーキット(三重県)の「F1日本グランプリ」。ルイス・ハミルトン(メルセデス)とセバスチャン・ベッテル(フェラーリ)の王座争いに加えて、今年のF1日本グランプリには多くの見所がある。特集の第2弾はF1からの引退を発表したフェルナンド・アロンソに注目しよう。アロンソのF1での走りは日本では見納めになる。

ハンガリーGPで8位に入賞したフェルナンド・アロンソの走り【写真:PIRELLI】
ハンガリーGPで8位に入賞したフェルナンド・アロンソの走り【写真:PIRELLI】

またも去るF1のビッグネーム

2005年、2006年のF1ワールドチャンピオン、フェルナンド・アロンソ(スペイン)がF1からの引退を表明したのは2018年8月15日のこと。「このスポーツで素晴らしい17年を過ごし、次に向けて動き出す時が来た」とマクラーレンのホームページにコメントを寄せた。

30代後半を迎え、トップチームから中堅チームへと転落したマクラーレンで4年を費やした。アロンソは次なる目標である「世界三大自動車レース」の優勝(トリプルクラウン)達成に向け、本格的に舵を切る。

F1からは2016年にニコ・ロズベルグが引退し(現在はメルセデスのアンバサダー)、2017年にはジェンソン・バトンが引退(現在はWECとSUPER GTに参戦)。今年もまたワールドチャンピオンの引退である。

ロズベルグの場合はチャンピオン獲得後の引退発表、バトンはレギュラーとして参戦しないままの引退だったため、日本のファンにとっては「F1ラストラン」という感覚でレースを楽しむことができなかった。しかし、アロンソは引退を宣言してからの「F1日本グランプリ」ということで、F1からの引退に「ありがとう」という言葉をかけるチャンスがある。

鈴鹿の「F1日本グランプリ」の翌週には富士スピードウェイ(静岡県)で開催される「WEC(世界耐久選手権)富士6時間レース」にトヨタのドライバーとして参戦することになっており、まだまだ彼の走りを見るチャンスはあるのだが、彼が最も情熱を注いだレース「F1」での走りは目に焼き付けたい事だ。

若きワールドチャンピオンだったアロンソ

フェルナンド・アロンソは「現役最強の」という枕詞を付けて語られることが多い。これは彼がマシンのポテンシャル以上のものを引き出す、卓越した腕を持つドライバーであることから、そう呼ばれるようになった。

その存在感を決定づけたのは2005年のこと。ルノーのドライバーとして3年目を迎えていたアロンソは第2戦マレーシアGPから3連勝を飾り、マクラーレン・メルセデスのキミ・ライコネンと激しくタイトルを争った。それまで黄金時代を誇ったフェラーリのミハエル・シューマッハはレギュレーションの変更により低迷。マルチメイクだったタイヤもミシュランユーザーが圧勝し、ブリヂストンユーザーのフェラーリは苦戦を強いられていた。

2戦を残したブラジルGPで3位表彰台に登ったフェルナンド・アロンソは当時の史上最年少(24歳と59日)でワールドチャンピオンに。翌2006年も引退を表明したミハエル・シューマッハ(フェラーリ)とタイトルを争い、2年連続王者に輝いた。シューマッハの引退と若き王者。まさにF1新時代を牽引するのはアロンソであると誰もが確信した時だった。

しかしながら、翌2007年にマクラーレン・メルセデスに移籍すると、チームメイトのルイス・ハミルトンがデビューの初年度からいきなり優勝するなど活躍。チーム内には険悪な空気が流れ、アロンソは僅か1年でマクラーレンを離脱。再びルノーに戻った。

富士スピードウェイでも優勝

アロンソは2005年、2006年にチャンピオンを獲得したが、ルノーは決してその年最強のマシン、エンジン、チーム体制ではなかった。ライバルとして常にマクラーレン・メルセデスやフェラーリが存在し、ドライバーもミハエル・シューマッハ、キミ・ライコネン、ファン・パブロ・モントーヤなど強敵揃いの中で彼は栄冠を勝ち取った。

そんな中でマクラーレンに浮気をし、1年で戻ってきたが、2008年のルノーにはチャンピオンを獲得した時代のポテンシャルは既に無くなっていた。それでも、アロンソは初開催のナイトレースとなったシンガポールGPで優勝を飾る。このレースではチームメイトのネルソン・ピケJr.のクラッシュの影響でセーフティカーが導入されたことがアロンソの大逆転優勝を引き寄せた。後にこのクラッシュはルノーが意図的にピケJr.をクラッシュさせた「クラッシュゲート事件」としてF1界のビッグスキャンダルとなった、いわくつきのレースだ。

アロンソの強さが見えたのがシンガポールで勝った後のF1日本GP(富士スピードウェイ)だ。このレースではチャンピオンを争うハミルトンとマッサがペナルティを受けて後退し、優勝争いのチャンスがアロンソに巡ってくる。ロバート・クビカ(BMWザウバー)とのマッチレースで逆転し、アロンソは優勝。鈴鹿(2006年)と富士、日本のサーキットで2つの優勝を成し遂げた事は彼の日本国内での人気を決定づけたと言える。

その後、大苦戦の2009年を経て2010年からフェラーリに移籍。開幕戦からいきなり優勝するも、新勢力としてレッドブルに乗るセバスチャン・ベッテルが頭角を表し、最終戦アブダビGPで逆転され、3度目のワールドチャンピオン獲得を逃す。フェラーリ時代はランキング2位が3回。これまた最強の体制ではない中で善戦した。

2015年からはホンダのパワーユニットを搭載したマクラーレンに移籍するが、テストからほとんど走れない状況が続き、まさかのテールエンダーに転落。ただ、そんな中でも2015年のハンガリーGPでは予選15番手から5位入賞、2016年のモナコGPでも予選10番手から5位入賞など、マシンのポテンシャルを考えれば驚くべき結果を持ち帰ったレースもあった。トップドライバーにとっては悪夢のような状況にありながら、這い上がってくるレースこそアロンソの真骨頂である。

動画:F1公式YouTube (外部サイトで視聴可能)

Nine Things F1 Will Miss About Fernando Alonso

(F1が惜しむことになるアロンソにまつわる9つのこと)

1.驚くべきスタート

2.無線のメッセージ

3.不死身の行動

4.大胆なオーバーテイク

5.熾烈なライバル関係

6.ユーモアのセンス

7.記者会見

8.情熱あふれる歓喜の瞬間

9.次の世代に与える影響力

現役最強と言われる走りは健在

こうしてアロンソのF1キャリアを振り返って行くと、彼はシューマッハ、ハミルトン、ベッテルらが手にしていた絶対的なアドバンテージを持って挑んだシーズンがほとんどない。常に自分自身で何かをプラスして、最強の体制でドライブするライバルと戦ってきた。シューマッハには勝ったものの、ハミルトン、ベッテルら年下のドライバーたちがライバルとして現れ、主役の座を奪われた。それでもアロンソには母国スペインのみならず、熱狂的なファンが多い。相手を追いかける姿勢、変えようがない状況を変えてみせる闘争心。レーシングドライバーのヒューマンな部分が見えにくくなった21世紀のF1で、一番人間臭いのはアロンソではないだろうか。

今年、マクラーレンはパワーユニットをルノーにスイッチしたが、最高位は開幕戦・オーストラリアGPの5位止まりで、予選でトップ10に入れたのもスペインGPとモナコGPだけ。シーズン中盤からは苦戦を強いられている状況ではあるが、シンガポールGPまでの15レースで9回もトップ10フィニッシュ(ポイント獲得)を果たしている。ちなみにチームメイトのストフェル・バンドーンは僅か3回のポイント獲得のみだ。

シンガポールGPを走るアロンソ(先頭)。【写真:PIRELLI】
シンガポールGPを走るアロンソ(先頭)。【写真:PIRELLI】

まだまだ現役でF1を戦える力を持ちながら次の道へと進む。最強のパワーユニットを手に入れなければ、現役最強と言われる選手でも勝負ができないF1に見切りを付けた。今季、トヨタのドライバーとしてWEC(世界耐久選手権)にF1と兼任でフル参戦し、「ル・マン24時間レース」で総合優勝。「トリプルクラウン」達成まで残すは「インディ500」の優勝のみとなった。来季はWECと併行して、インディカーへの参戦が噂されている。

F1日本グランプリの鈴鹿サーキットはパワーサーキットであるため、マクラーレン・ルノーは苦戦が予想されるが、日本のファンの心を打つ、アロンソの熱い走りに期待したい。

モータースポーツ実況アナウンサー/ジャーナリスト

鈴鹿市出身。エキゾーストノートを聞いて育つ。鈴鹿サーキットを中心に実況、ピットリポートを担当するアナウンサー。「J SPORTS」「BS日テレ」などレース中継でも実況を務める。2018年は2輪と4輪両方の「ル・マン24時間レース」に携わった。また、取材を通じ、F1から底辺レース、2輪、カートに至るまで幅広く精通する。またライター、ジャーナリストとしてF1バルセロナテスト、イギリスGP、マレーシアGPなどF1、インディカー、F3マカオGPなど海外取材歴も多数。

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