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日本のレースとF1「スーパーライセンス」。その乖離(かいり)がモータースポーツの人気復活を妨げる。

辻野ヒロシモータースポーツ実況アナウンサー/ジャーナリスト
スーパーライセンスを持つF1ドライバーたち(写真:ロイター/アフロ)

先日、鈴鹿サーキットで開催された「全日本スーパーフォーミュラ選手権」の最終戦で石浦宏明(いしうら・ひろあき)が2度目の全日本最高峰フォーミュラカーレースの王者に輝いた。決勝日が台風21号の影響でレースが中止となったため、2位のピエール・ガスリーを0.5点リードしていた石浦がそのまま王座に就くという不完全燃焼な幕切れではあったが、2度目のチャンピオンに輝いた石浦は最高峰の「F1世界選手権」に参戦するための資格「スーパーライセンス」の発給条件をクリアした。

2度目のスーパーフォーミュラ王者に輝いた石浦宏明【写真:MOBILITYLAND】
2度目のスーパーフォーミュラ王者に輝いた石浦宏明【写真:MOBILITYLAND】

誰も興味を示さないスーパーライセンス

国内最高峰レースに位置する「スーパーフォーミュラ」の王者がF1に昇格可能な立場になったにも関わらず、どのメディアもその事実を報じることはなかった。今の日本のレース界ではトンチンカンな視点なのだろう。日本人チャンピオンにF1に乗るチャンスがあるかもしれないと誰も考えなくなってしまった。

F1に日本人選手が不在となってから3シーズン目が終わろうとしている。「F1 日本グランプリ」(鈴鹿サーキット)の観客動員数が減少している中で、人気復活のために必要なのは日本人F1ドライバーの誕生であろう。にも関わらず、その誕生を後押しするような気運が国内でほとんど見られないのは非常に残念である。今のモータースポーツを見る人はとても現実的だ。

石浦の乗ったスーパーフォーミュラ
石浦の乗ったスーパーフォーミュラ

石浦宏明は現在36歳のベテランドライバーであり、すでに「SUPER GT」「スーパーフォーミュラ」という国内レースで確固たる地位を築いている選手である。それに加えて、石浦は現在F1に参戦していないトヨタから参戦するドライバーであることも、F1への参戦を現実的にイメージしにくい理由となっている。また、F1への昇格には20億円以上とも言われる持参金(または持ち込みスポンサー)が必要とされ、実力だけではF1ドライバーの座を勝ち取ることができない現実を多くの人が知っているからだ。

今と昔では事情が違うとは言え、1987年に中嶋悟(なかじま・さとる)が日本人初のレギュラーF1ドライバーとして参戦した時代には当時の「全日本F2選手権」(現在のスーパーフォーミュラ)で中嶋と星野一義(ほしの・かずよし)が日本で最初のF1レギュラーの座を目指して、激しく争っていた。1986年のF2参戦当時、中嶋の年齢は33歳、星野は39歳。それでも2人のベテランがF1を目指す夢をファンが心から応援し、レースを楽しんでいた。今とは全く違う、そんな時代もあったのだ。

1980年代、誰が日本からF1へと旅立つのかをワクワクしながら見ていた時代のF2マシン。中嶋悟は全日本F2選手権で5回チャンピオンをとってF1へとステップアップした。
1980年代、誰が日本からF1へと旅立つのかをワクワクしながら見ていた時代のF2マシン。中嶋悟は全日本F2選手権で5回チャンピオンをとってF1へとステップアップした。

そもそもスーパーライセンスとは

「F1世界選手権」にF1ドライバーとして参戦するためにはFIA(国際自動車連盟)が発給する「スーパーライセンス」の取得が必要となる。スーパーライセンスは国際格式のレースに出場するための「国際A級ライセンス」のさらに上に位置する特別な「F1への出場資格」である。

かつて1970年代のF1は1戦限りのスポット参戦が可能であり、1976年と77年の富士スピードウェイでのF1には日本のチーム、日本のF1マシン、そして星野一義らの日本人ドライバーが数多く参戦した歴史があるが、この時代にはスーパーライセンスは存在しなかった。F1の安全性向上への取り組みの一環としてFIAは1984年からドライバーにスーパーライセンスの取得を義務付けた。新人ドライバーが取得するにはF2、F3000、F3などの下位カテゴリーで一定の成績を収めることを条件にしたのだ。

ただ、スーパーライセンスはF3000やF3のチャンピオンはすんなり発給されるものの、厳密な発給条件がベールに包まれており曖昧な部分も多かった。有名な例では、1992年にブラバム(当時は日本人オーナーのチーム)から出場を予定していた中谷明彦(1991年に全日本F3000でシリーズランキング6位)にFIAからスーパーライセンスが発給されず、F1出場を断念したという事例がある。

一方でシリーズチャンピオンになれなくても、F1マシンでのテスト走行実績などがスーパーライセンス発給の条件をクリアする要素となることも多々あった。最も規定外な例は2001年にザウバーからF1デビューしたキミ・ライコネン(現フェラーリ)。この時は入門レースのフォーミュラルノーからいきなり3階級特進という異例のステップアップを果たしている。ライコネンには4戦限定のスーパーライセンスが発給されてF1デビューしたのだ。要するに、最終的に発給するかしないかはFIAの判断次第という曖昧なものでもあったのだ。

現マクラーレン・ホンダのストフェル・バンドーン。GP2王者に輝き、既にスーパーライセンスを取得できる状態で2016年、日本のスーパーフォーミュラに参戦した。
現マクラーレン・ホンダのストフェル・バンドーン。GP2王者に輝き、既にスーパーライセンスを取得できる状態で2016年、日本のスーパーフォーミュラに参戦した。

2015年にポイント制度に改変

謎に包まれた「スーパーライセンス」の発給条件が変わったのは2015年のこと。当時17歳のマックス・フェルスタッペンが「トロロッソ」からデビューしたことで、ドライバーの低年齢化に対する懸念が広がった。その後の改訂により、スーパーライセンスの発給には18歳以上、自動車運転免許取得、下位フォーミュラカーレースで最低2年以上の経験が条件として追加された。

さらに、リーマンショック以降、メーカーワークスチームの撤退でF1チームの台所事情が厳しくなり、多額の資金を持ち込む富裕層ドライバーたちがF1チームと契約をするようになる。これによって、F1直下の「GP2」のチャンピオンがF1にステップアップできず、チャンピオンではないドライバーがシートを獲得していく事態が多発した。その懸念からFIAはスーパーライセンスの発給にポイント制度を導入。出場した該当レースのランキングに応じてポイントが加算され、新人ドライバーは過去3年間で40点以上を獲得しなければスーパーライセンスが発給されない厳しい制度が作られたのである。

2015年〜17年のスーパーライセンスポイント表(抜粋)。黄色の部分は日本と関連の深いレース。
2015年〜17年のスーパーライセンスポイント表(抜粋)。黄色の部分は日本と関連の深いレース。

スーパーライセンス取得のためのポイントは「F2」「GP2」「ユーロF3」「GP3」「フォーミュラE」などFIA傘下またはF1傘下にあるレースのポイント比率が高い。制度化当初「F2」は休止されていたが、「GP2」が今季から「F2」に改称。「F2」ではランキング3位までのドライバーが40点の1発合格でスーパーライセンス発給条件を満たすことができ、FIA管轄でF1直下の「F2」に有利な条件になっている。

日本人の有資格者は少ない

今季「F2」にはホンダの育成ドライバーである松下信治(まつした・のぶはる)がヨーロッパ3年目の挑戦を行っている。現時点でランキング6位につけているが、ポイント差が大きく、ランキング3位以内(40点獲得)に入ることはできなくなった。2015年の「GP2」ランキング9位(3点)、2016年の「GP2」ランキング11位(0点)で松下の今季中の条件クリアは不可能である。

FIA F2で優勝も果たした松下信治(中央)だが、スーパーライセンス発給条件には届かなかった。【写真:FIA F2】
FIA F2で優勝も果たした松下信治(中央)だが、スーパーライセンス発給条件には届かなかった。【写真:FIA F2】

また「GP3」に参戦するホンダ育成ドライバーの福住仁嶺(ふくずみ・にれい)は2015年(全日本F3)、2016年(GP3)の獲得ポイントは6点。「GP3」で今季2勝を飾るなど好調だが「GP3」はチャンピオンでも30点のため、今季中の条件クリアは元々不可能。来季中の条件達成を狙う。

来季「トロロッソ」と組むホンダは日本人F1ドライバーの将来的な参戦を望んで若手をヨーロッパに送り込んでいるが、2人ともスーパーライセンス発給条件を満たしていないため、来年彼らがF1にデビューするチャンスはない。

中嶋一貴
中嶋一貴

では、誰が日本人でスーパーライセンスの条件を満たしているのかというと、現時点で条件を満たしているのは中嶋一貴(なかじま・かずき)。彼は元F1ドライバーだが、3年以上F1から離れているため、新人と同様に下位カテゴリーでポイントを累積しなくてはいけない。「FIA WEC(LMP1)」と「スーパーフォーミュラ」に参戦してきた彼は昨年までの3年間で40点をクリアしている。中嶋が唯一の有資格者なのだ。

来年以降のポイントが改訂。SUPER GTも対象に

実は2018年以降はスーパーライセンス発給条件のポイント表が改訂されることになっている。日本の「スーパーフォーミュラ」のポイントはチャンピオン25点から20点に減少しステータスが下げられる格好となるが、石浦宏明は新制度でも「スーパーフォーミュラ」の王座2回(40点)だけで条件クリアとなる。

2018年以降のポイント表。ピンク枠が日本に関連の高いレース
2018年以降のポイント表。ピンク枠が日本に関連の高いレース

チャンピオン獲得で1発クリアだった「ユーロF3」「FIA WEC(LMP1)」「フォーミュラE」がチャンピオン30点に格下げされる一方、「F2」はランキング3位までが40点という好条件を維持。F1昇格を狙うドライバーを「F2」に集約させたいFIAの意図が垣間見える。F1を目指すならヨーロッパを拠点にレースをし、「F2」でランキング上位につけるのがベストな道であることに変わりはない。

しかし、日本を拠点にするドライバーに朗報と言えるのが「SUPER GT」が新たにポイント対象に加えられたことだ。「SUPER GT」はチャンピオン15点と点数が低いが、「スーパーフォーミュラ」と兼業すれば3年間の累積で40点をクリアしやすくなった。今後は日本ベースのドライバーもスーパーライセンスにアプライできるチャンスが増えるということだ。

2018年以降のスーパーライセンス申請にはSUPER GTが加わり、過去3年間のランキングに応じた点数を加算できる
2018年以降のスーパーライセンス申請にはSUPER GTが加わり、過去3年間のランキングに応じた点数を加算できる

ただ、正式に「スーパーライセンス」が発給されるにはF1マシンで300km以上のテスト走行経験を求められるため、F1チームのルーキーテストに参加しなければならない。スーパーライセンス申請の前にその条件もクリアしておく必要がある。F1のテスト参加費用は数億円単位とも言われ、ヨーロッパがベースのF1への道のりは資金面でもなかなか険しい。

それでも、明確にポイント制度が設定され、日本に居ながらにして条件をクリアするドライバーが現れているのだからこそ、ご褒美としてF1テスト走行のチャンスが与えられ、スーパーライセンスを取得し、F1デビューするチャンスが現実的にあるべきだと思う。メーカーの枠という「しがらみ」を取り払い、条件を満たしたドライバーがその壁を乗り越えるチャンスをバックアップできるようにして欲しいものだ。

いつからか当然のように語られるようになった「日本のレースからはF1には行けない」という定説。この現状を打破し、現実的な道に変えられるようにモータースポーツ界が協力しあってこそ、日本人ドライバーが再びF1を戦う時が近づき、その道を目指す子供達がまた増えるのだと思う。みんなF1に行けない現実を見たいのではなく、F1に行く夢を見たいのだから。

モータースポーツ実況アナウンサー/ジャーナリスト

鈴鹿市出身。エキゾーストノートを聞いて育つ。鈴鹿サーキットを中心に実況、ピットリポートを担当するアナウンサー。「J SPORTS」「BS日テレ」などレース中継でも実況を務める。2018年は2輪と4輪両方の「ル・マン24時間レース」に携わった。また、取材を通じ、F1から底辺レース、2輪、カートに至るまで幅広く精通する。またライター、ジャーナリストとしてF1バルセロナテスト、イギリスGP、マレーシアGPなどF1、インディカー、F3マカオGPなど海外取材歴も多数。

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