F1の改革が始まる前に、「F1グランプリ」の巨大興行ビジネスの歴史を振り返る。

新しいCEOのチェイス・キャリー(左)とバーニー・エクレストン名誉会長(中)(写真:アフロ)

2017年シーズンの「F1世界選手権」が始まろうとしている。大型化してスピードを増した新規定のマシン、フェラーリに躍進の兆し、そしてマクラーレン・ホンダのテストでの不振など様々な話題が踊る中でいよいよオーストラリアGPの開幕戦を迎える。

バルセロナテストで好調が伝えられるフェラーリ 【写真:PIRELLI】
バルセロナテストで好調が伝えられるフェラーリ 【写真:PIRELLI】

その一方で、近頃モータースポーツ専門メディアではF1の将来の方向性について議論が盛んになってきている。その理由は長年に渡りF1の商業面を取り仕切っていたバーニー・エクストンが今年1月に「フォーミュラ・ワン・グループ」のCEOを退任。同グループを買収したアメリカのメディア関連企業「リバティ・メディア」がこれからのF1の方向性を舵取りしていくことになったからだ。新オーナーに託されたF1のニュースを読む前に、改めてF1の興行面の歴史を振り返っておきたい。

そもそもグランプリとは?

「リバティ・メディア」体制初年度となる2017年の「F1世界選手権」はシリーズ全20戦で争われる。各レースイベントには開催国や地域の名前にプラスして「グランプリ」という呼称がつけられているが、F1の歴史を振り返る前にそのルーツを見てみよう。

「グランプリ(Grand Prix)」とはフランス語で「大賞」を意味する言葉として知られ、モータースポーツの世界では最高峰のレースイベントに使われるのが通例となっている。

最初のグランプリ(GP)として自動車レースが開催されたのは第2次世界大戦よりも遥か前、1906年(明治39年)。フランス自動車クラブ(ACF)が主催し、フランスのルマン市の公道を使って行われた自動車レース「ACFグランプリ」が起源となっている。その後、ヨーロッパ各国で国際自動車レースが開催されるようになり、各国のグランプリレースが歴史を積み重ねていった。

戦前1920年代のグランプリマシン
戦前1920年代のグランプリマシン

当時のグランプリは国別の自動車レースという意味合いが強く、定められた国のカラーリング(ナショナルカラー)で出場し、そのタイトルを争った。まちまちの規定(レギュレーション)で開催されていたグランプリレースを統一し、1950年から始まった世界選手権シリーズが「フォーミュラ・ワン(F1)世界選手権」である。

ピュアな自動車の競争とノンタイトルレース

初期の「F1世界選手権」では「アルファロメオ」「フェラーリ」「マセラティ」「メルセデスベンツ」など現代でも名の知れた自動車メーカーのワークスチームのF1マシンが戦っていた。しかしながら、選手権はドライバーの獲得ポイントで争う「ドライバーズ選手権」のみ。車を製造するコンストラクター(製造会社の意味)が争う「コンストラクターズ選手権」が設定されたのは1958年からで、マシン作りに関して今のような細かい規定はなく、自由な発想で作られたF1マシンで争うという純粋な自動車レースだった。また、戦前と同じくナショナルカラーに塗られ、まさに国を代表する車が争うレースとして世界選手権シリーズが展開されていた。

F1世界選手権が始まった頃は国別のカラー。手前はイタリアの赤いボディのフェラーリ
F1世界選手権が始まった頃は国別のカラー。手前はイタリアの赤いボディのフェラーリ

そして、当時からF1では「F1世界選手権」の公式レースとは別に、F1規定のマシンで争う「ノンタイトルレース」がヨーロッパ各地で開催されていた。これらは主に各サーキットや自動車クラブなどの団体が主催する賞金レースで、初年度の1950年を見ると選手権の公式レースが全7戦(1戦はF1ではないインディ500で実質全6戦)だったのに対し、ノンタイトルレースは17戦も開催されていた。ノンタイトルレースにはフランスのポー市街地の「ポー・グランプリ」などF1の世界選手権が発足する以前からの伝統的なイベントが多く、1980年代まで開催されることになる。

広告塔としてのF1、興行としてのF1

ナショナルカラーをまとい、国の代表として戦った時代が変化するのが1960年代の後半である。F1マシンには徐々にスポンサーロゴがつき始め、F1は「走る広告塔」になっていく。1968年に名門チーム「ロータス」がタバコブランドのゴールドリーフのカラーリングを施して走るようになって以来、F1チームはスポンサーからの活動資金を基にレース活動を行うようになった。それと同時に賞金稼ぎも兼ねて参戦していたノンタイトルレースはエントリーするチームの減少により開催数を減らし、逆に「F1世界選手権」のシリーズ戦の数が増加した。ちなみに日本で初めてのF1レースが開催された1976年はシリーズ戦が全16戦、ノンタイトル戦は僅か2戦である。

タバコ「ゴールドリーフ」のスポンサーカラーになったロータスF1
タバコ「ゴールドリーフ」のスポンサーカラーになったロータスF1

スポンサー広告の概念はF1に様々な変化をもたらすことになった。テレビ中継で全世界にレースが放映されるようになり、F1におけるビジネス面での変化は大きくなっていく。ドライバーやチームは興行主や主催者に自らの権利を主張するようになり、最高峰のレースに出場するという名誉だけでなく、それ相応の見返りが求めるようになる。

その流れをまとめたのが当時、「ブラバム」のチームオーナーだったイギリス人、バーニー・エクレストンだ。エクレストンは元F1ドライバーであるが、引退後はマネージャー、ビジネスパーソンとして活躍。その商才が認められ、F1チームで形成された団体FOCA(Formula One Constructers Association、F1製造社協会)の会長に就任。レースを統括するFIA(国際自動車連盟)はFISA(国際自動車スポーツ連盟)を結成し、FOCAと激しく対立する。F1はFISA側の味方をするチーム、FOCA側のチームで一時、分裂の危機を迎えていた。

1970年代~80年代、エクレストンがオーナーを務めた「ブラバム」のマシン
1970年代~80年代、エクレストンがオーナーを務めた「ブラバム」のマシン

1981年に両者の間に「コンコルド協定」と呼ばれる取り決めが締結され、FOCAがF1の興行面、商業面の権利を持つことになる。こうしてバーニー・エクレストンはF1の実質的な権力者となり、F1全体を取りまとめて世界的なメジャースポーツへと成長させていくのである。

エクレストンの改革、F1の成長

日本のF1ブームはバブル期の1980年代後半から90年代半ばにかけて起こっている。当時はヨーロッパ以外の国で開催されるレースはまだ少なく、アメリカ大陸と日本やオーストラリアなどアジア・オセアニア圏で数レースが開催されるのみだった。航空機でF1マシンや機材を輸送し、サーカスとしてF1全体が世界中の国々を周り始めるのは2000年代になってからだ。

マレーシアGPの開催地、セパン・インターナショナルサーキット
マレーシアGPの開催地、セパン・インターナショナルサーキット

バーニー・エクレストンはマレーシア、中国、韓国、インド、シンガポール、中東の国々などF1はおろか自動車レースの文化すらほとんど存在しない国々にサーキット建設、グランプリ開催を持ちかけていく。世界のグローバル化の波に乗り経済成長を狙う国々にとって、世界中に自国をPRできるF1グランプリの開催は大きなメリットがあった。

また、1990年代までのF1は自動車メーカーのフルワークスチームは「フェラーリ」のみだったが、90年代後半から2000年代にかけて「トヨタ」「ルノー」「BMW」などが既存チームを買収してワークス参戦。エンジン供給のみに留まったメーカーも技術協力以上の資金をF1に流入させた。F1新興国での開催、テレビ中継の拡大による成長戦略は2000年代半ばにピークを迎えていく。まさにその勢いはF1におけるバブルそのものだった。

リーマン後、F1バブル崩壊

F1の強烈な急成長にストップをかけたのが2008年のリーマンショック。ホンダ、トヨタをはじめ数多くの自動車メーカーがF1ワークス活動から撤退し、残ったのは「フェラーリ」「メルセデス」「ルノー」のみになってしまう。しかしながら、F1に流入した多額の資金によって高騰したコストはそれほど変わることなく、チームの運営予算は年間数百億円というのが今も当たり前になっている。

第3期ホンダF1活動の撤退後、引き継いだマシンで王者になった「ブラウンGP」
第3期ホンダF1活動の撤退後、引き継いだマシンで王者になった「ブラウンGP」

そして、リーマンショックから10年近く経ち、韓国、インド、トルコ、マレーシアなど新規に生まれたグランプリは次々に姿を消している現実がある。グランプリの開催権料が1開催につき30億円から40億円にまで高騰し、かつての日本のような大F1ブームが訪れなかった国々はとてもグランプリを維持することができない。

さらにテレビの放映権料も成長によって高騰を続け、日本ではフジテレビが無料放送を中止。多くのチームが本拠地を置くイギリスですら国営放送BBCが無料中継から撤退したのは近年、ファンならずともよく知られる通り。時代はインターネットが主流になり、スマートフォンなどのモバイル機器でSNSを介してスポーツを発信する時代が来たにも関わらず、エクレストンは放映権料を守るために映像の配信を厳しく制限し続け、インターネットメディアを排除しようとした。こうしてF1は完全に時代から取り残されてしまったのだ。

新オーナーは変化をもたらすことができるか

バーニー・エクレストンの引退によって、F1の新オーナーとなった米国の「リバティ・メディア」はテレビを通じたプロモーションに精通したグループである。日本でもテレビショッピングのチャンネルとしてお馴染みの「QVC」のオーナーであり、スポーツの世界でも「FOXスポーツ」の立ち上げを行い、米国MLBのアトランタ・ブレーブスのオーナーを務めるなど、巨大スポーツ団体と化したF1の舵取りを行うノウハウは持ち合わせている。それだけにF1の再興を願うチームの新オーナーへの期待は大きい。新CEOは同グループのチェイス・キャリーだ。

一昨年あたりから、F1は徐々にインターネットを通じた映像の配信に力を入れており、以前は禁止されていたチーム側からのSNSを使った映像発信も現在は自由に、リアルタイムで行えるようになり、シーズンオフのテストでは各チームのツイッターアカウントが走行映像を積極的に配信した。少しずつF1を取り巻く環境は変わり始めていると感じる。

動画:F1公式YouTubeにアップされた昨年の開幕戦ハイライト

とはいえ、バーニー・エクレストンは名誉会長のポジションを務めることになっている。F1をまとめあげ、F1の見栄えやステータス向上にこだわり、グローバルなビジネスチャンスを作ってきたエクレストンの功績は非常に大きなものだ。今後もご意見番として影響を持ち続けるだろうが、リバティ・メディア新体制となったF1が時代の流れにあった新しいチャレンジによって改革を行うことを期待したい。日本のファンにとっては、もっと気軽にF1を観れる環境を作ってくれたら嬉しいのだが。