伝説の国産F1マシンが東京オートサロンで展示。約40年前、日本人がF1を作っていた!

東京オートサロンで展示された国産F1マシン「コジマKE007」

1月15日(金)、幕張メッセ(千葉県)で始まった世界最大級のカスタムカーの祭典『東京オートサロン2016』。会場内に所狭しと並べられたカスタムカー、コンセプトカーなどの中に異彩を放つレーシングカーが展示されていた。真っ黒なボディの古いフォーミュラカー、コジマKE007である。

国産F1マシン、コジマKE007

最新のスポーツカーや現役のレーシングカーが多い「東京オートサロン」でこのオールドスクールなフォーミュラカーを展示したのは北館にブースを構える「NGK(日本特殊陶業)」だ。スパークプラグのトップメーカーとして知られる同社は今年創立80周年を迎える。その歴史を感じてもらおうとブースには珍しい国産F1マシン「コジマKE007」が展示された。

実はこのF1マシンはめったにお目にかかることができない名車なのだ。時は今から約40年前の1976年、日本で初めてのF1レース「F1世界選手権イン・ジャパン」が富士スピードウェイで開催された。ちょっと前に話題になった映画『ラッシュ/プライドと友情』で描かれたニキ・ラウダとジェイムス・ハントの戦いのあのレースだ。そこに日本人が作ったF1マシンが参戦していたことを知っている人は今や少ないかもしれない。

予選4番手も記録した伝説のF1マシン

76年当時のF1にはレギュラー参戦する日本人F1ドライバーは皆無。そしてホンダも68年をもってF1から撤退していた時期であるため、F1を戦う日本のチームは存在しなかった。

ただ、当時は現代のF1とは違い、単レースへのスポット参戦が許された時代で、全日本F2000選手権を戦っていた4人の日本人ドライバーが日本初開催のF1レースに挑戦した。当時は「フォード・コスワースDFV」という排気量3000cc/V型8気筒のエンジンが市販されており、充分な性能を発揮していた。そのため、エンジンを手に入れ、車体も中古のものを手に入れればF1に出場することが可能だったのだ。

4人の日本人ドライバーのうち高原敬武(たかはら・のりたけ)は「サーティース」、桑島正美(くわしま・まさみ)は「ウィリアムズ」、星野一義(ほしの・かずよし)は「ティレル」の中古車両を買い付けて「フォード・コスワースDFV」エンジンで参戦したが、長谷見昌弘(はせみ・まさひろ)は「コジマKE007」で参戦。このマシンは京都のコジマエンジニアリングが製作した純国産のF1マシンである。

コジマKE007
コジマKE007

初めて来日する選手やチーム関係者がほとんどだった当時のF1で、富士スピードウェイをよく知る長谷見とコジマエンジニアリングはいきなりの速さを見せつけ、F1界の人々を驚かせたという。予選1回目から4番手の好タイムを記録。ポールポジションも期待される中ではあったが、予選2回目で長谷見はクラッシュし、ベストタイムの更新は実現しなかった。

幻のファステストラップ

クラッシュしたマシンの修復に時間を要し、予選3回目に出走できなかった長谷見の「コジマKE007」だが、決勝レースには間に合って10番グリッドから出場。雨の荒れたレーススタートの中、長谷見はレース中の最速タイム(ファステストラップ)を叩き出しつつ(後に計測ミスであることが判明)、満身創痍で挑んだレースを11位で完走している。

ファステストラップは記録上残らなかったが、フォーミュラカーを作り始めて10年ほどの国、日本のF1マシンが本場ヨーロッパのF1マシンを相手に充分に戦えることを証明した。その後、F1へのレギュラー参戦は叶わなかったが、こういった国産F1マシンの戦いぶりは日本のレースの技術力をさらに向上させる契機となったとも言える。

コクピットに座る人形には長谷見昌弘の当時のヘルメットが被されている。
コクピットに座る人形には長谷見昌弘の当時のヘルメットが被されている。

40年前、自分たちの力を証明しようと果敢にF1に挑戦した日本人が居たということだ。「東京オートサロン」の車両群の中ではマニアックな1台かもしれないが、歴史的価値の高い国産F1マシン「コジマKE007」はなかなか目にするチャンスがない1台だけに是非カメラにおさめておきたいところ。当時の伝説を知るシニアファンもぜひ会いたい1台だろう。なお、同じ北館の「富士スピードウェイ」ブースには1960年代の伝説的レーシングカー「プリンスR380」「トヨタ7」も展示されているので併せて楽しんでほしい。

富士スピードウェイブースに展示されている「トヨタ7」(1969年)
富士スピードウェイブースに展示されている「トヨタ7」(1969年)