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【鈴鹿8耐】ヤマハが制圧も、TSRはプライベーター精神で殊勲の2位表彰台!

辻野ヒロシモータースポーツ実況アナウンサー/ジャーナリスト
F.C.C. TSR Hondaのジョシュ・フック

7月26日(日)に鈴鹿サーキット(三重県)で開催された「第38回・鈴鹿8時間耐久ロードレース」は予選から圧倒的な速さを見せたヤマハワークス「#21 YAMAHA FACTORY RACING TEAM」(中須賀克行/ポル・エスパルガロ/ブラッドリー・スミス)が決勝レースを完全制圧し、見事な優勝を飾った。

現役MotoGPライダーの起用、最新鋭のワークスマシン、そしてMotoGPマシン由来の電子制御を駆使し、燃費をセーブして連続周回数を稼ぎながらもハイペースをキープしたヤマハワークス。彼らに牙を向けることができたライバルは少なかった。そんな中、レースの中で終始、ヤマハワークスに真っ向から戦いを挑んでいたのがホンダCBR1000RRを走らせる「#778 F.C.C. TSR Honda」(ジョシュ・フック/ドミニク・エガーター/カイル・スミス)だ。

優勝はヤマハワークス。2位にTSRが入る。【写真:MOBILITYLAND】
優勝はヤマハワークス。2位にTSRが入る。【写真:MOBILITYLAND】

TSR、大健闘の2位

地元、鈴鹿市のチーム「#778 F.C.C. TSR Honda」(以下、TSR)は3度の鈴鹿8耐優勝を誇る名門。若い外国人トリオで挑んだ同チームは序盤からトップグループの一角を形成。堅実なレース運びで、スピードに勝るヤマハワークスにプレッシャーを与えていた。

前半4時間で4回もセーフティーカーが入る波乱の展開の中、13秒の短いピットストップを完璧にこなし続けたTSRはライバルたちの脱落により、実質的な2位を走行。ピットインのタイミングがヤマハと異なることから、時折、トップに立ち、追いかけるヤマハのワークスライダーたちを翻弄。ジョシュ・フックは周回遅れを利用して簡単に彼らを前に出させず、ドミニク・エガーターも1秒以上速いラップタイムで追うヤマハワークスのライダーを粘り強く抑え込んだ。

エガーターの走り 【写真提供:MOBILITYLAND】
エガーターの走り 【写真提供:MOBILITYLAND】

しかし、ひとたびヤマハワークスがTSRの前に出ると、その差は大きくなっていく。あとはレース展開の変化を待って、確実に2位のポジションをキープすることに専念する。そして、残り30分を切った夜間走行の最中にヘアピン手前で大クラッシュが発生し、この日6度目のセーフティカーが導入。チャンス到来か、と期待が高まった。しかし、1周が5.8kmと長い鈴鹿サーキットでは2台のセーフティカーが導入されるのだが、首位のヤマハワークスと2位のTSRは別々のセーフティカーに先導されてしまうことになり、これで勝負あり。TSRは2012年の優勝以来となる3年ぶりの2位表彰台でレースを終えた。

追われる立場から追う立場に

TSRはホンダのワークスマシンを貸与されるホンダ系主力チームとして、近年の鈴鹿8耐では秋吉耕佑、清成龍一、ジョナサン・レイといった当時のホンダ系トップライダーを起用し、圧倒的な速さを誇る存在だった。信頼性の高いホンダCBR1000RRで2011年、2012年の鈴鹿8耐を連覇。しかし、2013年、2014年と2年連続で首位走行中にライダーが単独での転倒を喫してリタイアに終わる。

速さが結果に結びつかない「鈴鹿8耐」ならではの難しさを嫌というほど味わったTSR。今年は同じホンダのワークスマシンを託されて2連覇中の「#634 MuSASHi RT HARC-PRO」がMotoGPワールドチャンピオン、ケーシー・ストーナーを起用することもあり、TSRはホンダ系チームの中では「第2チーム」的存在になってしまっていたといえる。

ジョシュ・フック
ジョシュ・フック

そんな折、TSRの藤井正和監督はこれまでのホンダ契約ライダーと共に戦う手法を転換。同チームが運営を行う「#22 Honda Team Asia」を昨年7位完走へと導いたオーストラリア人、ジョシュ・フックをレギュラーに起用して、全日本ロードレースJSB1000クラスを戦い、彼を軸にして2015年の「鈴鹿8耐」のラインナップを形成することにした。

これは大胆な決断だった。ジョシュ・フックは地元オーストラリアのスーパーバイク選手権などで1000ccのビッグバイクの経験はあるものの、オーストラリア選手権はほとんどノーマルの市販車状態といえるバイクで争うレース。メーカーの息がかかるマシンで戦う日本のレースの方がはるかにレベルが高い。そのため、彼がホンダのワークスマシンに慣れるには時間がかかると予想された。

藤井監督はジョシュ・フックを全日本ロードレースJSB1000クラスに参戦させるだけでなく、可能な限りのコミュニケーションを取るために自宅の部屋を提供。鈴鹿市に住民票を移させて、鈴鹿市に住んで「鈴鹿8耐」に備えさせた。その期待に応えるかのように、ジョシュ・フックは8耐に向けたトレーニングを実行。全日本の前半戦で表彰台獲得までの成績には至らなかったが、菅生で行われたセミ耐久レース形式の第4戦では4位完走を果たすなど、徐々にホンダのワークスマシンでのレースに慣れていった。

ジョシュ・フックと藤井正和監督
ジョシュ・フックと藤井正和監督
ドミニク・エガーター
ドミニク・エガーター

そして、ジョシュ・フックのペアには、昨年「#17 Team KAGAYAMA」で鈴鹿8耐初出場ながら3位を獲得したMoto2ライダー、ドミニク・エガーター(スイス)を起用。これも藤井監督が自ら戦力としてオファーした。ジョシュ・フックにとっては世界選手権Moto2で優勝経験があるエガーターと組むことで、自身よりもワンランク上のライダーから様々なことを学べるチャンスになる。そして、今季、Moto2では好成績が残せていなかったエガーターにとっては将来のMotoGP参戦に向け、鈴鹿8耐での優勝は名前を売るチャンスにもなる。実に藤井監督らしい選択だったといえる。

第3ライダーこそホンダからの推薦でスーパースポーツ世界選手権を戦うカイル・スミス(イギリス)を起用したものの、基本的にはジョシュ・フックとドミニク・エガーターの2人を中心にしたレースを想定。ケーシー・ストーナーやマイケル・ファン・デル・マークなど海外のスター級ライダーを起用する「#634 MuSASHi RT HARC-PRO」とは一線を画す形で、藤井監督は自らの責任で今年の8耐に挑んだ。

ワークスというよりプライベーター

ホンダのワークスマシンを貸与されるトップチームとはいえ、今年のTSRはワークスチームというよりもプライベーターのようにも映った。速さだけでは勝てない「鈴鹿8耐」を痛いほど味わってきたチームクルーはさらにピットワークに磨きをかけ、ミスすることなく確実に任務を遂行。そして、3人のライダー達は1発の速さへの欲求を捨て、コンスタントなレースペースにこだわり、与えられたタスクを見事にやりきった。ライダーがレースウィークに入ってから、一度もマシンを大破させることがなかったことも決勝でトップ争いができた要素の一つだろう。耐久レースを制するために必要な、当たり前のことをチーム一丸となって取り組む姿勢は、まさに鈴鹿8耐伝統のプライベーター精神。それが色濃く出て、チームとして一つになっていた感が一番出ていたのがTSRだったのではないだろうか。

TSRのピットワーク 【写真:MOBILITYLAND】
TSRのピットワーク 【写真:MOBILITYLAND】

プライベーターらしいTSR。それはTSRの歴史を知ることで理解できる。TSRは「テクニカルスポーツレーシング」の略称。近年のファンには鈴鹿市内のバイクショップ、クラッチメーカー「F.C.C.」のスポンサードを受ける8耐強豪チームのイメージが強いが、元々は先代の元ホンダGPライダーである藤井璋美(ふじい・てるよし)が始めた事業で、1960年代の鈴鹿サーキット開設時には2輪レースの「主催者」「事務局」として、2輪レースの普及活動を担っていた。余談だが「鈴鹿8耐」の夜間走行でゴールするレース方式も藤井氏のアイディアである。

藤井正和監督
藤井正和監督

そんなTSRは1980年代から90年代の2輪レース全盛期には、レーサーを目指す若者を受け入れるサンデーレーサーのためのレーシングチームとして活動が中心だった。そして2代目の藤井正和監督が坂田和人、上田昇らを起用し、世界選手権GP125にプライベーターとしてフル参戦。2000年代にはオリジナルバイクでの世界選手権への挑戦も行っている。

そんなTSRが「鈴鹿8耐」に強く関わり始めたのは90年代の後半から。メーカーワークスチームに対抗すべく、自分たちのオリジナルバイクで出場できる改造車クラス「X-Formula / XX-Formula」で参戦。2000年代に入ると伊藤真一を擁してポールポジション争いの常連となり、メーカーワークスを脅かす存在に。そして、2006年の第29回大会で悲願の優勝を成し遂げた。

しかし、その後、改造車クラス「X-Formula / XX-Formula」は鈴鹿8耐から消滅。プライベーターとして力で勝るメーカーワークスに対抗する手段が無くなる。「自分たちの力で勝つ」ことに拘ったTSRの鈴鹿8耐のレース活動。2008年をもってホンダワークスチーム「Team HRC」が撤退したことで、TSRは2009年からワークスマシンをホンダから託されるメーカー側のチームへと変貌。TSRのレース活動は180度方向転換したかに見えた。だが、これは「自分たちの力で勝つ」ことへの唯一の選択肢だった。ワークスマシンを走らせるとはいえ、メーカーの息がかかるとはいえ、チームクルーは変わらない「TSR」としてのメンバー。実際にはプライベーター「TSR」としての姿はその後も変わっていない。

ドミニク・エガーターは2年連続の表彰台を獲得した。
ドミニク・エガーターは2年連続の表彰台を獲得した。

近年、鈴鹿8耐のホンダワークス系強豪として君臨してきた「TSR」。ヤマハがワークスとして参戦してきた今年、「TSR」が展開したレースはまさにプライベーター精神が垣間見えるものだった。速さで勝るヤマハに大健闘したレースだったが、藤井監督やチームクルーは2位という成績に納得などしていないだろう。しかし、久しぶりに「TSRらしい」レースを見ることができた。新時代の到来を告げた2015年の「鈴鹿8耐」だが、こういうレースこそが「鈴鹿8耐」38年の歴史に変わらずに息づく、見逃してはならないものなのだと思う。

モータースポーツ実況アナウンサー/ジャーナリスト

鈴鹿市出身。エキゾーストノートを聞いて育つ。鈴鹿サーキットを中心に実況、ピットリポートを担当するアナウンサー。「J SPORTS」「BS日テレ」などレース中継でも実況を務める。2018年は2輪と4輪両方の「ル・マン24時間レース」に携わった。また、取材を通じ、F1から底辺レース、2輪、カートに至るまで幅広く精通する。またライター、ジャーナリストとしてF1バルセロナテスト、イギリスGP、マレーシアGPなどF1、インディカー、F3マカオGPなど海外取材歴も多数。

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