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天皇陛下62歳に 愛子さまとの父子20年間の歩みを振り返る

つげのり子放送作家、ノンフィクション作家(テーマ:皇室)
天皇皇后両陛下(写真:ロイター/アフロ)

 2月23日、天皇陛下は62歳のお誕生日を迎えられた。去年の暮れに愛娘の愛子さまが20歳となられ、陛下の父親としての役割も一段落し、月日が経つ早さに思いを新たにされたことだろう。

 令和になって4年、記者会見での表情は天皇としての威厳にあふれ、愛子さまの話題になると優しい父親の顔になって、このように話された。

「いつの間にか二十歳という年齢を迎え、大人の仲間入りをすることになったことを感慨深く思いました。日頃から、多くの人々に助けられ、支えられているということに愛子が感謝の気持ちを持っていることを親としてもうれしく思っています。(中略)様々な経験を積み重ねながら視野を広げ、自らの考えを深めていってほしいと願っています」

 果たしてこの20年、陛下は雅子さまとご一緒に、愛子さまをどのようにお育てになったのだろうか?

■ご家族を心から愛する陛下

 天皇ご一家の絆の深さを知ろうと思えば、雅子さまとのご婚約内定記者会見にさかのぼる。その時の記者会見で雅子さまは、陛下のプロポーズの言葉をこのように答えられた。

「皇室に入られるということには、色々な不安や心配がおありでしょうけれども、雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから」

 そのお言葉の通り、陛下は常に雅子さまの傍に寄り添い、また愛子さまの子育てにおいても、積極的に関わってこられた。

 愛子さまが幼い頃、適応障害で療養中の雅子さまを気遣い、時には愛子さまとお二人で食卓を囲むこともあったというが、陛下は愛子さまを心配させないよう、いろんなお話をされたのだろう。

 愛子さまは、国民のために尽くされようとしている陛下が、同じような思いでご自分に愛情を注いでくれることを、幼い頃から肌で感じていたのではないだろうか。

 陛下や愛子さまのスケートのコーチだった長久保初枝さんは、リンクでこんな光景を目撃したという。

 体調がすぐれず、急きょベンチで休まれていた雅子さまを心配した愛子さまが、傍に駆け寄って付き添ったというのだ。こんなエピソードも、陛下の包み込むような優しさの賜物だ。

 雅子さまも、愛子さまが不登校になられた時は、しばらくの間、登校に付き添って心がほぐれるまでじっと見守っていらっしゃった。

 それはご家族でお互いに支え合おうとする、深い愛情の表れのような気がする。

■愛子さまの知的好奇心は陛下から

 皇室の方々はそれぞれにライフワークを持ち、学術的な研究を深めてこられた。上皇さまはハゼの分類学に詳しく、魚類研究の専門書を執筆されるほど、水生生物への造詣が深い。天皇陛下は水上交通の歴史を長年にわたって研究してこられた。

 陛下にとってご研究のきっかけとなったのは、小学生の時、御所の中を散歩中に偶然、鎌倉時代のものだと思われる、奥州街道の看板を見つけられたことだった。昔そこに街道が通っていたことを知り、「道」に興味をかき立てられたという。

 そうしたご関心から、学習院大学では文学部史学科に進み、日本における中世の海上交通を研究のテーマに選ばれた。

 そんな陛下の影響か、愛子さまも陛下と同じ学習院大学文学部に進学されたが、陛下と違うのは「日本語日本文学科」であった点だ。

 学習院大学のHPによれば、同学科は「古代から現代に至る日本語・日本文学を中心とする日本の文化(日本語日本文学系)、及び日本語教育(日本語教育系)」の研究と教育を行っているという。

 歴史好きの陛下が、愛子さまに語り聞かせていた歴史に関する話題が、愛子さまの知的好奇心をくすぐって、日本語や日本文学の歴史に興味を抱いたとしても不思議ではない。

 それほど陛下と愛子さまは、知的な関心を共有していらっしゃるのだろう。

■両陛下の”なさりよう”が愛子さまの指針に

 陛下は山岳雑誌に寄稿したエッセイに、5歳の時に初めて上皇さまと山登りをされた時の思い出を、学びを得られた体験であったと綴られている。

 登山を始めた頃の陛下は、山頂に早く到達することばかりを考え、図鑑を片手に植物の前で立ち止まる上皇さまのペースを、じれったく思っていたという。しかし、次第に登山の楽しみは、自分をゆっくりと大自然の中に置き、動植物などを観察しながら、登山の行程全体を楽しむことだと気づいたと書かれている。

 それに通じる、天皇ご一家のエピソードがある。両陛下が長野県で開催された「山の日」の記念式典に出席する際、当時14歳だった愛子さまを同伴された。

 式典の後、ご一家は北アルプスのほぼ中央に位置する上高地を散策され、その時の愛子さまのエピソードが伝えられている。

 話してくれたのは、当時、ご一家を案内した自然保護官の藤田和也さん。

「途中、愛子さまは、木の一番上に鳥がいるとお気づきになりました。その場所は周囲が開けた湿原で、目の前に山がそびえ立っており、大抵の人はそちらに目が行くのですが、愛子さまは山道を歩きながら、周囲の風景をよく観察なさっていたのでしょう。両陛下もその場にいた人たちも、よく見つけたものだと感心されていました」

 目的地に向かってただ歩くのではなく、周りの様子や動きにアンテナを張ることの大切さ。それはまさに陛下が上皇さまから教えてもらった、自然の中に身を置くことの教えに通じるものだ。

 皇室の親から子へ受け継がれる“なさりよう”は、公務においても共通するところが大きい。その行事が持つ意味や背景、熱心に携わってきた人たちの苦労を知り、細やかに思いを致すこと。公務として行事に出れば終わりなのではなく、その行程すべてが国民と繋がることであり、皇室としての務めなのだ。

 陛下は上皇さまのお姿を見て学ばれたことを、娘の愛子さまに教えて差し上げたのかもしれない。

放送作家、ノンフィクション作家(テーマ:皇室)

2001年の愛子内親王ご誕生以来、皇室番組に携わり、現在テレビ東京・BSテレ東で放送中の「皇室の窓」で構成を担当。皇室研究をライフワークとしている。日本放送作家協会、日本脚本家連盟、日本メディア学会会員。著書に『天皇家250年の血脈』(KADOKAWA)、『素顔の美智子さま』『素顔の雅子さま』『佳子さまの素顔』(河出書房新社)、『女帝のいた時代』(自由国民社)、構成に『天皇陛下のプロポーズ』(小学館、著者・織田和雄)がある。

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