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パラスポーツが15歳の愛子さまを勇気づけた? 知られざる車いすバスケとの繋がり

つげのり子放送作家、ノンフィクション作家(テーマ:皇室)
雅子さまと愛子さま(写真:ロイター/アフロ)

■天皇ご一家と東京パラリンピック

 昨夜、東京パラリンピックの開会式が行われた。天皇陛下がオリンピックとパラリンピックの両方で名誉総裁を務められるのは、初めてのことである。これまで両陛下はじめ皇室の方々は障がい者スポーツに力を注ぎ、積極的に関わってこられた。

 今から4年前、両陛下が愛子さまとともに観戦された、パラリンピック競技がある。それは、コートの中を縦横に駆け巡り、激しいぶつかり合いが見どころの、車いすバスケットボールだ。当時、15歳だった愛子さまにどんな影響をもたらしたのだろうか?

■天皇ご一家 車いすバスケットボールの試合観戦

 天皇ご一家が足を運ばれたのは、平成29年5月5日に東京体育館で行われた「内閣総理大臣杯争奪第45回記念日本車椅子バスケットボール選手権大会」。この時、ご一家をお迎えしたのが、日本車いすバスケットボール連盟の玉川敏彦会長だった。

「天皇ご一家が試合をご覧になっている時、私は雅子さまの隣で説明しました。迫力いっぱいの場面では、雅子さまがうわぁっと声をあげられ、拍手されていましたね。雅子さまは本当にスポーツがお好きでいらっしゃるんだと嬉しくなりました」

 車いすバスケットボールは、試合を間近で見ていると、素早いターンによってコートとタイヤが摩擦を引き起こし、ゴムの焦げたにおいがする。激突すると会場に衝撃音が響き渡るほどだ。雅子さまは選手たちの果敢なプレーを手に汗を握って観戦し、「このプレーは凄いですね」「転倒しても大丈夫なんですか?」など感想を交えながら、玉川さんにさまざまな質問をされたという。

「雅子さまと同じく、愛子さまもスポーツが大変お好きなようでした」

と、玉川さんは振り返る。愛子さまの傍で解説した方の話によれば、最初のうちは控えめに小さく拍手をされていたが、試合終盤に差し掛かってどちから勝つか分からない状況になると応援も熱を帯び、夢中になって大きく手を叩いていらっしゃったとか。

 また、試合の後、ご一家との懇談の場を設けた時には、愛子さまは陛下の隣で選手たち一人ひとりに声を掛けられた。陛下は、愛子さまが学習院初等科時代にバスケットボール部に所属していたことに触れた後、こんな話をされた。

「(愛子さまは車いすバスケを)初めて見るんですよ」

 このお言葉で愛子さまもリラックスし、選手の皆さんに自分から次のような質問をされた。

「トレーニングはどうしているんですか?」

「何がきっかけで車いすバスケットを始めたのですか?」

 選手たちとの会話の中で、愛子さまは「車いすに乗って体験してみたい」という話もされ、とても関心を持たれたご様子だったという。

■選手たちの躍動する姿が愛子さまにもたらしたものは…

 実はこの前年、愛子さまは急激に痩せられ、以前はふっくらした頬が特徴的だったが、顔も驚くほどほっそりとして、国民の間でご体調を心配する声があがっていた。しかし、この車いすバスケットボール大会を観戦した頃から、徐々に体重も戻り、元気な笑顔を見せるようになられた。

 これは筆者の推測だが、思春期だった愛子さまは、恐れることなくぶつかり合う選手たちの雄姿と懸命で純粋なまなざしから、勇気をもらったのではないだろうか。

 選手たちとの懇談で、陛下はこんなエピソードも紹介された。

「愛子は、(車いすに)ブレーキがあると思っていたようなんです」

と話し、愛子さまは少しはにかんだ笑顔を浮かべられたという。おそらく愛子さまは、ハードなスポーツなのでブレーキは必須だと考えていらっしゃったのだろう。

 実際、バスケットボール用の車いすにはブレーキはついておらず、激しいぶつかり合いの時もスピードを緩めることはない。もしも転倒してしまったら、自力で起き上がらないといけないのだ。

 スポーツは困難を乗り越えて、前に進む力を与えてくれる。東京パラリンピックでも愛子さまは両陛下とご一緒に、アスリートたちの活躍をテレビ観戦しながら、大きな拍手を送られることだろう。

放送作家、ノンフィクション作家(テーマ:皇室)

2001年の愛子内親王ご誕生以来、皇室番組に携わり、現在テレビ東京・BSテレ東で放送中の「皇室の窓」で構成を担当。皇室研究をライフワークとしている。日本放送作家協会、日本脚本家連盟、日本メディア学会会員。著書に『天皇家250年の血脈』(KADOKAWA)、『素顔の美智子さま』『素顔の雅子さま』『佳子さまの素顔』(河出書房新社)、『女帝のいた時代』(自由国民社)、構成に『天皇陛下のプロポーズ』(小学館、著者・織田和雄)がある。

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