なぜいま、東大が半導体の設計研究センターd.labを創設したのか

慶應義塾大学から東京大学d.labセンター長に抜擢された黒田忠弘教授

 東大が2019年10月に半導体の設計研究センターd.labを創設、11月には世界トップの半導体製造請負ファウンドリ、台湾TSMCと業務提携を交わした。なぜ今、また半導体なのか。センター長を務める黒田忠弘教授(図1)は、国内の電機業界からそのように言われたという。

図1 慶應義塾大学から東京大学に招かれた東大d.labセンター長の黒田忠弘教授 筆者撮影
図1 慶應義塾大学から東京大学に招かれた東大d.labセンター長の黒田忠弘教授 筆者撮影

 GAFAと呼ばれる、グーグル(G)やアマゾン(A)、フェイスブック(F)、アップル(A)とMicrosoftなどのITサービス企業がみんな半導体チップを作り始めている。いやアップルはiPhoneとiPadに向けた半導体開発を2006年ごろから始めていた。なぜ、こういったところが自分の半導体を持つようになったのか。主な理由は三つある。一つは自分の半導体によってクラウドに使うデータセンター向けのコンピュータの消費電力を1桁下げられること。もう一つは半導体設計言語を知らなくてもデザインハウスで設計してもらえるようになったこと、そして、何よりも独自の半導体で競合相手と差別化できることだ。パソコンの父といわれるアラン・ケイ氏の言葉にもある、「ソフトウエアに打ち込む人はハードウエアも作りたくなる」と。

 何よりも自分の半導体を持つために、昔は工場が必要だったが、今は設計だけのファブレスで済むようになった。製造だけのファウンドリというビジネスが確立したため、自分で半導体工場を持たなくても済むようになった。DRAMやNANDフラッシュのようなメモリは昔ながらの大量生産ビジネスだから、メーカーは自分で工場を持つが、システムLSI(SoC: System on Chip)は自分専用の半導体チップで少量生産であるため自社工場を持つ必要がない。ファウンドリに頼めばよい。

 世界の半導体はシステムLSIで成長しているのに、日本だけが成長していない(図2)。DRAMを捨て、システムLSIに路線を変更したのにもかかわらず、相変わらずDRAM同様の大量生産ビジネスを展開していた。少量多品種に合わせて工場を縮小して少量でもコスト的に対応できる工場にしていなかったからだ。日本だけが垂直統合にこだわり続け、製造のプロセスエンジニアは、少量生産は半導体ビジネスに合わないとして低コスト技術を開発しなかった。大量生産できるシステムLSIなどは存在しないのにもかかわらず、垂直統合を捨てようとしなかった。

図2 世界の半導体市場は成長し続けているのに日本市場だけが成長していない 日本の世界シェアは2018年には9%に落ちた 上下の図とも出典:GSA、2019 SIA Factbook
図2 世界の半導体市場は成長し続けているのに日本市場だけが成長していない 日本の世界シェアは2018年には9%に落ちた 上下の図とも出典:GSA、2019 SIA Factbook
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 メモリを作らないのなら、ファブレスを目指すべきで、さもなければ、自社以外の多くの半導体メーカーから注文を取ってくるファウンドリビジネスを行うべきだった。ところが、どちらも中途半端だったために、徐々に没落するという最悪のパターンに陥った。これは自社の半導体部門に対してシステムLSIへ向けよ、と指導した当時の経済産業省と総合電機の経営者が半導体ビジネスについて無知だったためと言わざるを得ない。

 加えて、日本の半導体メーカーは、総合電機会社の一部門あるいは子会社にすぎず、主体的な経営が許されない状況にあった。半導体がITのテクノロジーの源であることを総合電機の経営者たちは理解できなかった。その割に半導体部門を支配し続けた。今でもその姿勢は変わらない。2020年になって東芝は、HOYAが高い価格で、東芝の子会社であるニューフレアを買ってくれると提案したのにもかかわらず、なんの相乗効果も生まないニューフレアをTOBで買い戻すことに躍起になっていた。まるで駄々っ子が欲しくもないお菓子を誰かが取ろうとしたら、それは自分のお菓子だとごねる様子とそっくりだった。半導体業界関係者は今でも、東芝がなぜあれほどまで躍起になってニューフレアを買い戻そうとしたのかわからない、と述べている。

 そのような総合電機の経営者は今でも半導体ビジネスを理解できていない。だから、総合電機の経営者は、なぜ今半導体なのか、全く理解できていないのである。東大の黒田センター長が昨年まで勤務していた慶應義塾大学では、半導体研究には優秀な人材が来るが、卒業生は半導体メーカーに行かなかった、という。日本の従来の半導体メーカーの親会社があまりにも情けなかったからだ。黒田センター長は、慶応大学に招聘された2000年まで東芝にいた優秀な半導体エンジニアであり、世界的な国際会議でも何度か招待講演をしていたほどの半導体の達人である。

 幸いなことに、総合電機とは関係なく、日本でも半導体を求める流れが確実にできつつある。AIフレームワークのChainerを開発してきた、東大発ベンチャーのプリファードネットワークスは学習向けのAIチップを開発(参考資料1)、グラフィックスに強いIPベンダーのDMP(デジタルメディアプロフェッショナル)、最先端の5nmプロセスを用いてAIチップの前段となるIPを開発したTRIPLE-1(参考資料2)、フルHDのカラー赤外線映像を再現できるカラー赤外線センサを開発したナノルクス(参考資料3)など、いずれもファブレス半導体メーカーの仲間入りを果たした。全て将来性のある半導体チップメーカーである。しかも全てファブレス半導体だ。

 黒田センター長が半導体設計の研究センターを作る理由は、ファブレス半導体で勝負できると燃えている、こういった先進のベンチャー企業が登場してきて、そこに日本のファブレスがさらに参入・活躍できる機会がようやく訪れるようになってきたからだ。半導体ビジネスをやる以上、世界のトップメーカーになる気持ちが必要だ。先に述べた新しいファブレス半導体の人たちは全て独自の技術で独自の狙いを掲げている。

 黒田センター長はGAFAが専用半導体を設計している様子を見て、これからはやはり専用半導体チップで差別化を図る時代になってきたと見ている。これまでは、専用半導体は価格が高い、複雑で設計に時間がかかる、数量が出ない、などの理由から、日本では冬の時代を20年続けてきた。しかし、これからの専用半導体SoCで、これまで汎用半導体を搭載していたシステムの消費電力を1/10に減らす、という目標を同氏は掲げている。

 システムの低消費電力化は地球環境のサステナビリティに有効であると同時に競争力も増す。同じシステムで消費電力の低いチップだと、空調が楽になったり不要になったりする。余分な電力を食わない分だけ性能をさらに上げることもできる。低消費電力化は、半導体技術全体の流れとも一致する。

 そして、複雑なLSIを短期間で設計するための高位のシステム設計技術を開発し、設計期間を1/10に減らし、低コスト化につなげる、としている。しかも従来のSoCの設計ではHDL(ハードウエア記述言語)やVerilogなどと呼ばれる特殊なLSI設計言語で書かなければならなかった。これをC/C++やPythonなど、なじみのある言語で設計できるようなコンバータ(あるいはコンパイラ)も開発していく。要は誰でもシステム設計できるような抽象度の高い言語で設計できるようにLSI設計を「民主化」する。そのために半導体設計ツールの国内トップクラスのエンジニアを招へいする予定だ。

 TSMCと提携した理由は、d.labで開発された設計ツールを用いて設計した半導体チップをTSMCで製造依頼できるからだ。今の日本には製造を請け負うファウンドリが1社もない。TSMC並みの製造技術力を持つファウンドリ会社が日本で生まれれば、当然そのような企業にもビジネス機会ができる。

 半導体設計研究センターのd.labのDはDigitalやDataだけのDではない。AIのアルゴリズム研究者やソフトウエア開発者、半導体製造プロセス技術者、ファンド、OEMクルマメーカー、ティア1サプライヤ、ITサービス業者、通信キャリアなど、さまざまな業種や大学関係者などが、企業の壁を越えて自由に夜が更けるまでディスカッションできる場となるDormitoryのDでもある。もちろん専用ICを意味するDomain-specificのD、ゲームチェンジを引き起こすDisruptionのD、DeviceのDでもある。

参考資料

1. プリファードネットワークス、AI学習チップを顔見世

2. 国産ファブレス半導体スタートアップ、5nmのAIチップを開発

3. 真っ暗闇でカラーの赤外線画像・映像を撮る