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ありがとう、シリコンバレーの父、合掌

津田建二国際技術ジャーナリスト・News & Chips編集長
アンドリュー・グローブ氏が著したエンジニア向けの半導体教科書

インテル(Intel)の元社長であり、会長も経験されたアンドリュー・グローブ(Andrew Grove)氏が米国時間3月21日逝去された。79歳であった。死因は明らかではないが、2000年以降、パーキンソン氏病を患っていたと言われている。New York Times紙が伝えている(参考資料1)。

グローブ氏は1996年に「パラノイアだけが生き残る(Only the Paranoid Survive)」と題した本を出版、ベストセラーになった。1995年のWindows 95でパソコンがブレークして以来、IntelとMicrosoftを文字って、両者をWintelと表現した時期もあった。パラノイアだけが生き残るという言葉は、グローブ氏がスローガンとしていた言葉であり、Wintelの黄金時代を築く掛け声にもなった。

グローブ氏はハンガリー生まれのアメリカ人であり、ハンガリー動乱の頃、難民船に乗り、米国に渡ってきたという。子供の頃病気を患い、耳がほとんど聞こえなくて、しかも英語という異国の言葉を学びながら、化学を専攻しトップの成績でニューヨーク市立カレッジを卒業した。大学での講義を受けながら講師の唇を見て読唇術をマスターした。1958年に同じくハンガリー難民のエバさんと結婚、二女を設けたが、プライバシーを守るため娘の名前がメディアに載ることは決してなかった。やがて、カリフォルニアに移住し、グローブ氏はUCB(カリフォルニア大学バークレー校)で化学工学の博士課程に進んだ。

卒業後、1960年代のはじめにフェアチャイルド・セミコンダクターに入社、そこでシリコン半導体に出会った。同じフェアチャイルドにいたゴードン・ムーア氏とロバート・ノイス氏がインテルを創業し、グローブ氏は最初の社員となった。彼はコンピュータ用のメモリ開発チームを率い、熱血マネージャーとしての名声を得ている。「パラノイアだけが生き残る」という言葉は先頭になって働く様子をも表している。ちなみにゴードン・ムーア氏は、IC(集積回路)の集積度は年率2倍で増えていくというムーアの法則を導いた人間であり、ロバート・ノイス氏は、テキサス・インスツルメンツ社のジャック・キルビー氏と別々な方法でICを発明した人間である。キルビー氏はノーベル賞を受賞したが、その時にはノイス氏は生存していなかったためノーベル賞を逃した。

グローブ氏は「パラノイアだけが生き残る」というビジネス本で産業界では有名だったが、彼がUCバークレイで教えていた半導体技術の講義を書き記した本「Physics and Technology of Semiconductor Devices(半導体デバイスの物理と技術)」の著者としてもエンジニアの間では有名であった。これは、シリコン半導体を理解する最高の教科書である。実は、筆者は大学卒業後、入社した半導体メーカーで、この本を見つけ半年で読破し半導体の基礎知識を身に付けた。これは筆者のみならず、半導体エンジニアなら誰でも読破した本でもある。

つまりGrove氏は半導体の先生でもあった。もちろんその後、ベル研究所のSimon Sze氏の「Physics of Semiconductor Devices」も半導体の教科書としてお世話になった。この二つの本があれば、半導体の全てがわかった。Sze氏の本は半導体物理に重点が置かれていたが、Grove氏の本は、実際のプロセス技術に重点が置かれており実務的であった。

彼は残業をいとわず懸命に働き、部下をけん引した。インテルの最初の危機は、1970年代後半から80年代にかけて、日本のDRAMメーカーが安くて高品質なDRAMチップを大量に米国コンピュータメーカーに出荷した時にやってきた。グローブ氏は、レイオフ(首切り)してコストを減らすのではなく、1日2時間分、ただで働くことを要求した。クビを切られるよりはましだから、部下は懸命に働き、32ビットの最先端チップi432を開発した。このチップで初めて、コンピュータとして使いものになるマイクロプロセッサが出来た。インテルの未来を拓くことができたのである。

インテルは1980年代にメモリチップからの撤退を発表し、マイクロプロセッサに集中する道を選んだ。その当時、社長だったロバート・ノイス氏は日本でも記者会見を開き、「DRAMはもはやコモディティ商品になったから、インテルは扱わないことを決めた」、と述べた。インテルのマイクロプロセッサとマイクロソフトのOSであるMS-DOSをIBMが採用することを決め、IBMがパソコンの仕様をオープンに公開したことで、インテルもマイクロソフトも大きく発展することができた。ちなみにインテルのプロセッサがi286、i386、i486とやってきて、次のi586というべきチップがペンティアムである。

シリコンバレーの父とも言われたグローブ氏は、1998年までインテルの社長を務め、2005年まで会長として働いた。インテル・インサイドという名言で、顧客であるパソコンメーカーにインテルチップを使わせたことも記憶に新しい。ロゴをいれることで、本来、部品サプライヤの立場から、肝心かなめの心臓部品であることを消費者にも訴え、ブランディングを高めた。このインテルの戦略に日本企業が見習うことはたいへん多い。

(2016/03/22)

参考資料

1.Andrew S. Grove, Longtime Chief of Intel, Dies at 79

By Jonathan Kandell、New York Times, March 21, 2016

国際技術ジャーナリスト・News & Chips編集長

国内半導体メーカーを経て、日経マグロウヒル(現日経BP)、リードビジネスインフォメーションと技術ジャーナリストを30数年経験。その間、Nikkei Electronics Asia、Microprocessor Reportなど英文誌にも執筆。リードでSemiconductor International日本版、Design News Japanなどを創刊。海外の視点で日本を見る仕事を主体に活動。

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