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なぜMobileか理解し大潮流をつかむことがニッポン復活への一里塚

津田建二国際技術ジャーナリスト・News & Chips編集長
バルセロナ市内に完成したMWCの新会場

昨年に引き続き、MWC(Mobile World Congress)に参加するためスペインのバルセロナにやってきた。MWCでは、世界の通信業界、エレクトロニクス・IT業界そして半導体業界の様子がよくわかる。あらゆる企業がみんな「Go mobile」である。

バルセロナに完成したMWCの新会場
バルセロナに完成したMWCの新会場

ビジネス業界みんながMobile とはどういうことか。最近でこそ、日本のメディアが新聞、テレビ、インターネットなどで採り上げるようになってきたが、MWCはかつてGSM Congressと呼ばれ、NTTドコモやKDDI、ソフトバンクといった通信オペレータの集まりであった。GSMは欧州のデジタル携帯通信規格の名称である。いわゆる携帯電話がアナログからデジタル方式へ移行した時の最初のデジタル方式の規格といってよい。日本はNTTドコモが独自方式で世界の潮流とは別に走っていき、独自規格のままでやってきた。iモードで携帯インターネット時代を牽引してきたことは事実である。しかし「ガラパゴス」と揶揄され世界から孤立してきた。

世界の技術の潮流は、みんなでコラボレーションすることによって、低コストでモノづくり、サービスをしようと努めてきた。これに対して日本は技術さえ優れていれば、独自方式でも世界がついてくると変におごり高ぶっていた。このことは携帯電話に限らず多くの技術分野で見られる。例えばVTRやビデオカメラ、テレビなどかつてリードしてきた民生エレクトロニクスいわゆる家電で日本の産業が今沈んだことは誰しもよく知られている。

VTRやビデオカメラにはテープの読み出し書き込みヘッドを斜めに傾け、斜めにテープ情報を読み取ることで、映像と音声を同時に記録することができた。この斜めのテープを支えるメタルの軸を機械加工するというモノづくりを日本が極めており、他の国は参入できなかった。テレビでもブラウン管を効率よく生産する体制を日本が構築した。VTRが盛んになった1970年代後半から1980年代にかけて世界を見渡せば、米国と欧州だけが競争相手であり、アジアはまだ遅れていた。しかしアジア経済、アジアの産業が大きくなるにつれ、競争相手は増えてきた。日本はこのことに気付かなかった。80年代後半から、アジアの時代とも言われ、アジアへ欧米、日本企業は殺到すると同時にアジアを生産拠点にもってきた。

技術的には1980年代はアナログからデジタルへの変換がおこなわれてきており、デジタル化の波は90年代~2000年代に高まってきた。日本ではデジタル化への流れに乗ろうとして何でもデジタルにしようとしてきた。例えばデジタル時計。液晶に表示されるデジタル時計は70年代~80年代には一世を風靡した。現在でも多くの時計がデジタル方式で表示だけがアナログの顔をした時計になっている。世間ではこれをアナログ時計と呼んでいるが、中身はデジタルである。

なぜデジタルになってきたのか。この動きはシリコン半導体チップの動きとも連携している。シリコンのわずか数mm平方の小さな粒(チップという)の中にトランジスタを数百個から数千個、数万個、数十万個、数百万個、数千万個、へと集積できるようになってきたからだ。デジタル回路は基本的にアナログ回路よりもたくさんのトランジスタを用いて実現する。かつてはチップの上にわずかのトランジスタしか集積できなかったためにアナログを用いざるを得なかった。しかし、ムーアの法則(Moore’s Law)と呼ばれるように、半導体産業は、わずかの大きさのチップにトランジスタを毎年2倍あるいは1.5倍の速度で集積してきた。

元々半導体トランジスタは、pnp構造(電子の多いn型と、電子の抜け殻(正孔)の多いp型を並べた構造)の真ん中(ベース)を極限まで狭くしていけば増幅作用を持つはずだ、と考えた米ベル電話研究所のバーデン、ブラッテイン、ショックレイの3人組が発明したモノであり、生まれながらにして小さいデバイスである。顕微鏡を見ながらコレクタ(p)、ベース(n)、エミッタ(p)に電圧を与えると、やがて針は多くの電流を流すことができることを彼らは確認し、ノーベル賞受賞へつながった。

トランジスタはpnp、npnというバイポーラ型(nとpの二つの極性からなるため二つという接頭語であるbiと極性という意味のpolarが語源)から、より多くのトランジスタを集積化しやすいMOSトランジスタへと変わってきた。MOSトランジスタをシリコンチップに集積するようになり、ムーアの法則が社会現象として成り立つようになってきた。抵抗やコンデンサなどの受動部品を数個使うよりもトランジスタを数万個集積する方が面積は少ないのである。

このように多くのトランジスタを手に入れ、デジタル回路を産業は手に入れた。しかし、人間の五感はアナログである。人間そのものもアナログである。いくらデジタルに変更したからといって、人間が機械を扱う限りアナログ回路は決して消えない。米国には、「これからはデジタルエレクトロニクスの時代になる」、とElectronics誌などの専門誌で言われているそのさなかの1984年にアナログ専門の企業を立ち上げた所さえ出ていた。これが今や営業利益率4割を誇るリニアテクノロジー社である。

リニア社のことはさて置いといて、日本のエレクトロニクス経営者はデジタル技術の本質を見てこなかった。なぜデジタルなのか、アナログは消えてしまうのか、を理解していなかった。専門家にとって釈迦に説法かもしれないが、デジタル技術の良さは三つに集約される;圧縮できること、誤り訂正できること、そして集積しやすいこと。それ以外はむしろアナログの方が効率は高い場合もある。大学でさえ、90年代にはアナログを教える教師がほとんどいなくなった。今でもアナログ回路を教える研究室はまだ少ない。

デジカメやスマホ、パソコン、テレビ、ゲーム機、音楽プレーヤーなど全ての電子機器は図2のような回路ブロックで構成されている。この中で、「組み込みSoCシステム」という回路ブロック(デジタル回路)以外は全てアナログ回路である。ここは今でも特長的な機能を実現できる回路である。リニア社の業績が今でも良いのはこのアナログ回路にフォーカスしているからだ。

電子システムの基本ブロック
電子システムの基本ブロック

デジタル回路部分は、ROMに焼き付けるソフトウエアと専用のハードウエア回路(周辺回路)だけが今や特長を出せる回路ブロックとなった。CPUやOSなどは外から買ってきて標準品を使えばよい。こういった技術構造を理解してさえいれば、経営者はどこに力を入れて企業を発展させればよいかがわかる。日本の経営者がデジタル技術の本質を理解していなかったのは、この点が矛盾していたからだ。DRAMメモリほど多数のチップが求められないシステムLSIにメモリと同じように投資し、ソフトウエアやアナログ回路に投資してこなかった。いわば投資先を間違ってきたのである。すなわち無駄なお金を費やし、必要なおカネを回してこなかったといえる。これで世界の企業と勝てるわけがない。しかも今、アジア企業の力がついてきた。

電子インクと液晶の両面スマホ ロシアYota Devices社製
電子インクと液晶の両面スマホ ロシアYota Devices社製

このMWC展示会の出展社たちには、欧州、米国だけではなくアジアや中東からの参加も多い。あるロシアの携帯電話メーカーは、電源を消しても画面内容が消えない電子インクディスプレイと、通常の液晶ディスプレイの両面を持つスマホを開発して、注目を集めた(図3)。新しい技術と産業の動きはやはり今年も見られた。ここに日本企業の存在感が乏しいことは極めて危険な兆候である。というのは、携帯(Mobile)分野こそが近未来の成長分野になるからだ。今や、デジカメや音楽プレーヤー、ゲーム機などは全てスマホに食われ、パソコンはタブレットに食われる運命にある。この分野をきっちり抑えなければ企業の未来、ひいては日本の未来は危うくなる。ちなみに世界の企業が考えてきた共通テーマは、「スマホ/タブレットの世界でわれわれは何ができるか」である。だから携帯産業とは無縁と思われた、オラクル、SAP、IBMなどの企業が出展しているのである。

(2013/03/01)

国際技術ジャーナリスト・News & Chips編集長

国内半導体メーカーを経て、日経マグロウヒル(現日経BP)、リードビジネスインフォメーションと技術ジャーナリストを30数年経験。その間、Nikkei Electronics Asia、Microprocessor Reportなど英文誌にも執筆。リードでSemiconductor International日本版、Design News Japanなどを創刊。海外の視点で日本を見る仕事を主体に活動。

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