「阪神・近本の作られたサイクル」とMLBの「花を持たせる」書かれざるルールとの違い

ジーターの最後の球宴での二塁打に相手投手が「花を持たせた」と発言し物議を醸した(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

球宴第2戦での「作られたサイクルヒット」をファンの多くもメディアも概ね受け入れている。しかし、ぼくは認めたくない。その理由をメジャーの「手心を加える」暗黙のルールと比較して述べてみたい。

あからさまな集団的敗退行為?

サイクルヒット達成となった7回の阪神・近本光司の第5打席に関しては、「外野手が意図的に浅く守る」「中継野手が送球を躊躇する」「三塁手がタッチに手心を加える」という集団的敗退行為が見られた。本来、ここまで手加減をされては近本は愉快なはずはないが、それを素直に受け入れなければならないのがNPBの空気感なのだろう。閉鎖的社会に往々にして発生する、特殊な倫理観である。

メジャーにもある「手心を加えた」事例

実は、MLBの球宴でも「手心」を加えた(と思われる)プレイはあった。

2014年の球宴は、ツインズの本拠地ターゲット・フィールドで開催されたが、このシーズン限りでの現役引退を表明していたヤンキースのスーパースター、デレク・ジーター最後のミッドサマー・クラシックであった。

そして、そのジーターはナ・リーグの先発投手アダム・ウェインライト(カージナルス)から初回に二塁打を放ち、満員のファンを沸かせた。しかし、試合後「事件」が起こった。ウェインライトが報道陣にHe deserves it(彼はそれに値する)と語ったのだ。これは、敢えて打ちやすいタマを投げた、とも解釈できる。本件に関する報道が過熱すると、ウェインライトは「わざと打たせたということはない」と発言を翻し、事態の沈静化を図った。

しかし、どうやらメジャーには、去りゆく大スターには花を持たせる行為を許容する「書かれざるルール」があるようだ。通算536本塁打で「史上最高のスイッチヒッター」とも評されるミッキー・マントルの535本目の本塁打は、1968年のシーズン終盤にタイガースのデニー・マクレインから放ったものだが、試合後ダグアウト裏の通路でマントルとマクレインがすれ違う際に、マントルは「ありがとうよ」と意味深な言葉を発し、マクレインは「何のことだ」と返しつつもウィンクを添えたという。

また、2007年のバリー・ボンズ現役最後の打席はセンターフライだったが、相手投手のジェイク・ピービー(パドレス)は打ちやすいタマを投げたと言われている。

「手心を加える」ための前提

しかし、ここで大事なのは、(ウェインライトは軽率にも口を滑らせたが)基本的には「あからさまには行わない」ということだ。また、1968年のマクレインはなんと31勝を挙げ「最後の30勝投手」になったア・リーグのサイ・ヤング賞投手であり、ピービーもその2007年には投手三冠でのナ・リーグサイ・ヤング賞を受賞している。そして、2014年のウェインライトも2年連続での球宴先発投手で、この年は自身2度目の20勝を記録している。「去りゆく大スターに花を持たせる相手は一流でなければならない」のだ。

このふたつの要素からうかがい知れるのは、「リスペクト」だ。わざと打ちやすいタマを投げることはそもそも肯定したくはないが、相手に対しベースボールに対し「リスペクト」が作用していることには救われる思いだ。

しかし、今回の球宴での「作られたサイクル」に関しては、「浅く守れ」と連呼したファンも、関与した選手たちも、批判性を自ら拒否したメディアもなんの恥じらいもリスペクトもない。身もふたもない行為だった。みんなでベースボールを、そして結果的には近本をも茶化した。だから、ぼくはこれを肯定したくない。